リティンとジャキは指揮官室に二人だけ、というのに部屋の酒はもう無くなってしまった。ジャキは底無しだ。合わせていたらきりがない。リティンは守りのコーズに、酒の追加と適当な肴を頼んだ。ジャキは杯から火酒をあおぐや満足げな顔で次いで、リティンにとって非常に興味深い話題を振った。
「公国で思いもしない情報を仕入れた。辺境の焼失された公国の小砦……これはリティンも知っているだろう? そこへ来た王国の人間だ。ちなみに軍隊の兵士ではない、民間の四人組の戦士。一人は女……で、リーダー格の男は、氷の剣を帯びていたらしいんだ。指名手配されていた」
それはリティンが過去対峙し、取り逃がした人間だ。聖剣アイシクルを持つ戦士、四人組。おまけにシントからリティンに下賜されたナイフ、単一結晶鋼のそれすら帯びる、危険な、そして有望な四人。
「聞き捨てならないな、それは。詳しく教えてくれ」
「ふむ。あの四人組みは……スティール、ドグ、フェイク、トゥルースと言うらしい。素情は判明している。無法者の賞金稼ぎがアイシクルを有するスティールこと『鋼鉄』、さらに元警備兵の『王国の犬』ドグ。曲芸師、『偽勇者』フェイク、それから文官の女性トゥルース。さらに調べたところ公国へ向かう途中、公国女騎士に阻まれ王国へ引き返している。しかし彼らは聖剣を盗んだお尋ね者らしい。それ以上は解らないが」
リティンは淡々と値踏みした。彼らの力量は民間の冒険者にしては見事なものだ。並みの軍属分隊の兵士など比較にならない。百余の鬼と交戦し、かれらの悪運こそ味方したものの、鬼の群れを撃退せしめた戦士。もし彼らが王国指揮官としてまみえることになったら……脅威となろう。その前に公国を落とさねば。
ついでにジャキはもう一枚の紙片を取り出した。こちらは鬼のカッツ国領にいちばん近い公国都市レイクとその一帯の地図、地形に戦力分布図だ!
「素晴らしい戦果だ。これなら、貴官を将としても誰も文句を言うまいよ。すべてはまさに情報が鍵を握る点を、貴官は理解している。得難い身だ」
「おれはどうせ卑怯者さ。兵に守ってもらい、後方でのんびり美味い酒が飲めれば好い……おまえの醸造技術はたいしたものだな、シントで密売すれば、儲かるぜ天才博士。加えて司令官だからな」
「レイクへ出兵する好機を待っていたのだ……昨日までは」
「ほう? まで、とは曰くがあるな」
ジャキとしてはさして深い意図の発言ではなかったろうが、ここでトリビアを痛いほど強く意識するリティンだった。答える。
「人間の民間人を犠牲にしたくない。ゆえに侵入を許し、この拠点ぎりぎりに引きつけて迎撃したい」
「『残業代』が無駄にならなかったな。よかったよ」
軽く笑うジャキに感嘆とするリティンだった。ジャキは戦況を先読みし、まさにそのためにカッツの地図を売ったのだ……人間に接触する危険に加えて味方からの死刑を覚悟で。それだけの器量がまさか、酒さえ飲めれば幸せな男とは……野心は無いな。平和を望んでいる。
この指揮官のほんとうの内面、素顔を知れば、大局的な理想や目的などより義理を重んじる鬼の兵士たちも心服するだろう。ジャキには第二連隊長として、旅団半数四千の兵を預けるのだ。
ここで質問する。
「我らは当面、王国に対して配備されている。公国側の守りがどれだけ通用するか……」
「コーズに任せて、使者を送った。おれのいた中隊兵たちに伝言と資金を。橋を落とし、崖上から石攻めにする。崖上までもしや陣取られたらことだが、ならば敵は補給線が長く伸び切ってしまうはず。消耗を強いる。それにその付近は飢えた白虎がエサを常に求めているのは鬼たちの常識だ。谷底の水はこちらの上流から土砂汚染できるし。それにハサミ鎧悪魔がいる。巨大沢ガニだ。肉食の、な。谷底も崖上もこれだけ天然の要害、攻めるだけ愚かだ」
内心絶賛する。こうでなくてはな、ジャキ。指揮官たるものは! なにか褒美を……といっても、ただでさえリティンに『贈賄』する金があるのになにも与える宝などない。生活ができる水準の衣食住があれば、あとは酒さえ呑めれば満足な……まさにある意味最強の鬼、伝説の『酒呑童子』。
せめて提案する。
「ならば、結婚するつもりはないか? おまえからすれば鬼の娘は魅力が無いか。だがこの先いずれ人間が捕虜になれば……」
パキリ、と乾いた音がした。見ればジャキの握っていた陶磁器の酒杯は彼の拳で握りつけられ、砕けていた。真っ赤な鮮血がジャキの右手から滴る。
すかさずコーズが進み出、「染みますよ」と語り、瓶から火酒をその手に掛けていた。消毒を受けるジャキは微動だにしない。ただ表情を無くし、目を細めていた。激しい憎しみの情……
リティンは驚いていた。この人間で言う十歳児から精神の成長が止まったようなジャキに……とんでもない失言をしてしまったらしい。同時に知ってしまった。かれが本当に純粋な人間であることを。これは……発覚してはまずい。
コーズに気付かれただろうか? リティンの腹心の護衛とはいえ、ジャキを飼いならすことを快諾するとはとても思えない……悲しいことに、コーズは賢すぎた上に性急すぎた。
静かに進言するコーズ。
「リティン隊長、残念ながらこいつは間者です、罠を仕掛けられたのです。金の延べ棒はかれの密偵としての報償でしょう。人間の公国と王国に挟撃を仕掛けられますぞ! どうせ鬼の命なんて、人間とは釣り合わないと蔑視しているのでしょう。閣下、ここは……」
リティンは兵に聞かれたら大事と、小声で鋭く命じた。
「黙れ、口を慎め! 大戦果を上げたものに非礼である!」
「しかし、こんなやつ! 私は信用しません、自ら前線で剣を取って戦ったことのない指揮官など。この手傷を手当てしたら、追放すべきです」
威圧するかのように、コーズはジャキを責める。ジャキはうつむいたまま、椅子から立ち上がった。
リティンをさらに驚かせたことに、ジャキは両の手、杯の破片に切り裂かれた右手までを握ったり開いたりを繰り返していた。拳を作ろうとしている。指揮官室には、武装は許されていない。ジャキこと一見非力な鬼、いや人間が素手で戦おうと……まさかこの巨鬼、コーズ相手に!
底なしに暗い声で、吹くジャキだった。
「爪を切っておくのだったな、手のひらに刺さるじゃないか……」
リティンはすぐに平静に命じていた。
「下がれ、コーズ。誤解するな、ジャキは信用に値する指揮官だ。口外するなよ。不和を招く噂は許さん」
コーズはとたんに冷静さを取り戻し、侘びのしるしに一礼した。煮沸消毒済みの清潔な包帯を取り出し、ジャキの手に巻き付ける。リティンは初歩の治療知識も部下に教えてあるのだ。この点は、医学不明な人間の国の迷信療法より優れている。
ジャキは一人ぽつりと引用していた。
「『何気ない その一言が 致命傷』『のけものは もののけよりも けものみち』……過去でいう俳句だ。どちらかと言えば社会風刺の川柳だがな。おれはリティンに従う、真の『漢』でいる限り。それだけだ」
はっとするリティンだった。まさかジャキは伝説の『籠の鳥』の……
(続く)
後書き 出ましたキーワード『籠の鳥』。拙作共通のテーマです。ジャキはなにかにつけて身びいきして作っていますが。