リティンは醜悪とも、美しくとも見える堂々たる竜骨器の鎧をまとい、三つある自分の砦の中でもっとも堅牢な作り――人間の建てたのを奪った――の、第一砦の指揮卓の座席に悠々と座っていた。戦力も資金もここに集中させてある。他の砦は維持だけ出来ればよい。八千兵のうち一千弱に守らせるだけだ。
ジャキが任務を遂行したのは明らかだ。敵指揮官の暗殺の報は、戻らないジャキの部隊とは別に、密偵として各所に散らした斥候から三件も、もたらされている。リティンが旅団長に昇進したのもその功績ゆえのはずだから。
だがジャキはどうしたか……あれほどの男、簡単にくたばるはずはないと信じる。一見不利な風下に単独陣取った点も、それならば敵軍が猟犬を連れていたとして、発覚しないからだろう。逆に言えば、精鋭の十名は逃げ切れず猟犬の餌食になったか?
いや、これはいけないと自分に言い聞かせるリティンだった。一人で考えると、妄想は悪い方向へばかり広がるものだ。最近、痩せたな。食欲が無い。食事に毒が盛られていまいかと、ゆっくり食べるようになってから。は、覇者とはこれほど卑屈なものか。しかしいずれ司令官となることを誓った自尊心に懸けて、毒見役などは作らない。一君主の命も、一兵士の命も同じと信じる。倒してきた人間たちの命すら。
砦に籠っているいまは、女鬼がいた。厨房調理に清掃洗濯の雑務をこなしながら、兵士との性的な交流もあった。戦場へ出ない女は、男の兵士七名に一人程度と少なく、兵士は女に自らを誇示するため武勲を上げようと戦に訓練に励んだものだ。しかし、砦を離れるとなると女鬼は連れていけない。
だから遠征でどうしても必要なのは人間女性奴隷の慰み者、言葉を言いつくろえば慰安婦だ。その数は兵士百名に一人が限度だ。つまり一個旅団八千名には百名近くの慰安婦がいる。それ以上はとうてい維持して養えない。
怖気がするが、知識としては知っていた。人間の女には舌を咬まぬよう、口に帯巻いて、休ませず一日に何十名もの兵士と交じらせるのだ。そうした慰安婦の多くは発狂すると聞く。いや、発狂してくれた方が助かると。なまじ戦場での殺しなどより残酷無慈悲だが、ここは必要悪と割り切らなくてはいけないのか……
子が出来れば産ませてから後送し、保護して混血児を育てるのが慣例だ。混血とは並みの鬼より優良な子に育つものだ。あくまで知識として憶えただけなのだが……
ここでコーズが駆け込んで来た。珍しく激している。
「仲間殺しが起きました! 三名も一度に殺しておりますが……これは」
リティンは手を振って制した。言い放つ。
「なかなか勇猛な兵だな、卑劣な手ではないのなら、異動させよ。よくあることではないか」
「いいえそれが、犯人は女なのです。角こそありますが、幼いほど若く妖精のように美しい。被害者は彼女を集団で手込めにしようとして、断ちバサミで次々と殺されました」
「ならば罰せないな。保護せよ。どこの出の女か。もしや捕虜か?」
「判明しませんが、御針子として配備されていました」
コーズは言うや次いで部下にその女を連れてくるように伝えていた。
リティンは深々と息をする。
「戦争の常識だ。捕虜を慰安に使うのは認めている。さもなければ若い男が性の体験も無しに戦争へ行って命張って戦えるものか。それより兵士同士の同性愛は怖い。病気を広がらせるからな」
「人間は性欲のケモノです。その血を忌まわしいことに鬼も妖精も亜人は受け継いでいます」
「かつて狩猟民族だった人間の生態系が人の種をそう進化させたのだ。快楽を得るために交じる。むしろ子供を望まないでするのが普通だからな。一生発情していることで、全土に繁栄した。地上に湧いた悪性腫瘍のようなものだ、癌という名の」
「過激な意見を言われますね、閣下。あ……来たようです」
広い指令室の唯一の扉が開き、『女』は入ってきた。リティンは胸が痛んだ。ほんの子供ではないか。漆黒の真っすぐ流れる長髪。小さく痩せこけ少年のように胸は平たく、おそらくまだ月のものすらないだろう。木綿の布の衣服は無残に引き裂かれている。殴られたらしく、口から血を流している。
即座に命じる。
「着替えを出してやれ。女の衛生員を呼べ」
女の子は気丈な素振りで、リティンを睨んだ。激情の憎しみの目……正視に堪えないが、ここで眼をそらすのはいけない行為だ。冷静さを保ち、静かに見つめ返す。
ここで緊張の糸が切れたのか、少女はゆかにへたり込み、身震いして泣きじゃくりはじめた。勇猛を以て知られるコーズも、これにはいささか堪えた様子で、女鬼の衛生担当が着替えを持ってきて着付けをしようとするのを黙って見ている。
女衛生員は、優しく少女に声を掛けていた。つらかったわね、貴女は悪くないのよ、と繰り返し。そして少女に名前を聞いた。
少女はやっとの吐息でかすかに答えた。
「……トゥリヴィアル……トリビア」
吟味するリティンだった。『些細な』、か。いや軽視できない少女だ。可愛らしい。勇気も行動力も備えている。さらに知恵も回ることが発覚した。こればかりは、普段平静を保つリティンもあまりの事態に激怒した。
トリビアを襲おうとした鬼は、一個小隊二十名つるんでいたのだ! そのすべてを相手に、組みしかれ衣服裂かれて完全に兵士が油断したところで、隙を突いてハサミを用いたのだ。最初からハサミを構えていては、容易に払われ暴行されていたろう。
これは偶然か? もし知恵ならば有能な暗殺者に育てられる……いずれその柔肌に男を知らしめた後で。こんな考えまで先走りするのが、自分の欠点……というより役に立つとしても不埒なところであるが。
コーズは苦々しげに進言した。
「未遂でも、既遂と同じ処罰を受けるのが法というものでしたな。彼らは……ジャキがもといた公国方面の僻地の最前線へ回しましょう。閣下の手はわずらわせません。ではそのよう手配します、失礼を」
巨漢の大鬼コーズが指令室を立ち去り軍靴を踏み鳴らす音は、荒々しかった。少女を襲おうとした連中には、恐ろしい赴任地が待っている。
女衛生員は丁寧に申し出た。
「このトリビアは、孤児です。鬼と妖精の間に望まれず生まれた娘、シントからの追放者ですわ。ほんの一カ月前までは魔法の都市、聖域シントにいた……」
おかしいと気付くリティンだった。孤児でもシントならば保護するはずだ。これはシントの法事情なので、目下誰にも相談できない。なにか事件絡みだろうか。ならばジャキが戻ってくれたら、話に乗ってもらいたいところだが。
ジャキ、あのオヤジどこをうろついているのか……繰り返し自分に言い聞かせるが、簡単に死ぬような器ではないと信じる。戦果より常に逃げ道を探して動くヤツだからな。指揮官としては扱いつらいが頼りにはなる。
「閣下?」
女衛生員の声に、リティンは我に返った。トリビアに安心できる個室を与え、身柄を女鬼たちの手で保護するように命じる。先程の懸念だった慰安婦問題。できるなら避けたいな……否、避けるべきだ。我が将となるからには!
(続く)
後書き トリビア……1999年に生まれた八番目の魔王アンゴル・モエの誘惑に駆られ、ついにロリ板キャラ出してしまった。しかし、決して一線を越えないのが私の方針なので、通報しないでください。