砦を乗っ取ってから僅か二週間後、人間の兵士は三千と、当初の十五倍もの大幅に戦力を増強して奪還に来た。外壁に食い下がり、はしごを立て上ろうとする。リティンは砦に配下五百余の鬼を巧みに配置に付かせて迎撃し、部下に損害をほとんど出さずに戦っていた。なまじもともと人間が築いた砦、作りからして実用一点張りの意匠が凝られ、鉄壁な護りであった。

 砦の壁上から、スリングによる投石で存分に痛打を与える。落下速度の威力が加わるので、弓矢より強力だし、もちろん石ころなど無尽蔵と言って好い。満足に届かない石弓を放つ、人間の兵士たちを存分に消耗させてやった。

 リティンは敵の指揮官の無能振りに喜んでいた。力攻めで砦など落とすには、兵法に曰く十倍もの兵力が必要だ。『十倍なら包囲せよ』である。まあ人間と鬼との体格差を考えれば妥当な兵力かも知れないが。

 『記憶』を振り返る。自分がかつて妖精の魔術師……『技術者』リティンであったことを。自然、『飛竜』の主たる資格は存分に有るということだ。

 人間が何かを作っているとの知らせが遠眼鏡覗く監視から入った。察しはつく。破城槌だな。そんなもの少し計略を使えば、簡単に無力化できる。長く重いこの槌を苦労して押して運ぶ兵士など、格好の的となる。

 この砦を落としたときに、仕掛けたまま放置しておいた、上流の地下水脈の関。これを切って落とせば、大量の怒涛の水流となり、もろくも槌は兵士ごと転がり落ちていった。砦の周りに、堀ができたな。不落の形相だ。

 人間の兵士は当初三千を超えていたが、死者こそ少ないものの負傷者は千名を数え、いまや無傷の生存者は二千を割っている。その大半も、過酷な攻城戦による射す日の光、水と闇の寒さに体力奪われ戦意を喪失していた。

 追撃の好機だ。総攻撃を仕掛ければ、敵は戦うまでもなく逃げ散るはず。また人間の物資を鹵獲できる。リティンが部下を確認し、まさに命じようとしたそのときだった。二名の鬼の密使がやってきた。

 四半日離れた味方の砦から、救援の要請が届いたのだ。砦が人間の数万の大軍に包囲されていると。リティンは舌打ちした。部隊の兵力を割くのは、権力を削ぐのと同じだ。かといって砦を任せられる部下などいない。

 無視して放置することは命令違反として死の厳罰となる。馴染んだこの砦に部下を勝算のない戦いに巻き込むか、いずれもできない。ならばここは大規模な陽動作戦を用いての、敵軍の誤誘導で時間を稼ぐか。

 腹を決め、全軍を持って救援に向かった。砦を空にすることになるが、深夜の闇の中、夜目を生かして人間に気付かれぬよう。

 さして強行軍というわけではない。上り坂だが、十分夜明けに間に合った。失笑する。なにが数万の兵士か。せいぜい千ではないか。

 小細工はいらない。突撃を命じる。分散して砦を包囲していた人間兵士は、背後からの致命的な援軍の前に軽く打ち崩せた。完全な奇襲、犠牲はほとんどでなかった。掃討作戦を命じる。いい気なもので、これはここの砦の鬼、千余りも威勢よく参戦してくれた。生き伸びた人間がいるだろうか。直ちに、手勢五百で自分の砦にとって返す。二刻ほどで戻れた。

 人間に乗っ取られることを危惧していたが、幸運は味方してくれた様子だ。兵士たちは撤退しかかっていた。威嚇にときの声を上げると、崩れるように逃げ散って行った。砦と挟み打ちにされると誤解したのだろう。数だけは多い。部下も疲れているし、深追いの必要はない。

 この戦果で、リティンが助けた側の大隊長宛に、密書が届いていた。それをコーズは手に入れ、封にも入っていないよれよれの紙片をリティンに差し出した。下手な文字で、連隊長に昇進させる、とあった。しかしリティンは文字の読める鬼がコーズくらいしかいないことをいいことに、その密書に自分の名を明記した。コーズは共犯者として合意し、悪戯に笑っていた。

 さして良心は咎めなかった。その文盲の大隊長が人間の戦士数万名も相手にしている、などと大げさに騒いだからだ。武勲は自分の手にある。

 こうしてリティンは鬼族の連隊長になり、二つの砦を任された、堂々たる連隊指揮官になったのだ。

 鬼の兵士、持ちゴマは千八百名まで膨れ上がっていた。幸運が幸運を呼ぶ。後方から、さらに二千余りの兵士が増援されると来た。最前線の砦を任される兵にとって、強い指揮官のもとに集いたがるのは自然だが。

 どうどうたる勝ちどきが響き渡った。鹵獲物資のたっぷりした食糧と酒の前に、耳をつんざく勝利の喝采が上がる。

 リティンもまた、ひとときの勝利の美酒を味わった。リティンはいまや鬼たちの心服する指導者としての地歩を固めている。単なる軍の指揮官としてより、皆を統率する指導者として。これは大きい。

 酒杯を片手に、副官コーズに話す。

「私は恵まれて育ったからな。身長は人間の人並み、筋肉も均衡良く身に付いている。学問も多々学ばせてもらった。武術も」

「隊長は好く指揮を執られ、苦労なさっています。なまじ戦死者をあまり出さないので、楽をして勝っていると誤解される兵がいますよ」

「戦力を温存できるから、なおのこと楽というものさ」

「まったく貴方らしい。ですが究極の目的のためなら、いかなる犠牲も払う覚悟は必要かと……その責任の重圧下で恵まれていますか?」

 リティンは敢えて話題をそらした。

「並みの鬼は人間の子供、十二歳児くらいの背丈しかない。コーズ、きみも恵まれているよ。並みの人間、つまりおよそ私より頭一つ大きい。これでは武術に戦を知らない素人には無敵だ。白兵戦ならば並みの鬼なんか百人束になっても敵わないだろう。きみは将の器だ」

 諧謔を込めて話すリティンだった。良く、将がコーズでリティンは軍師か文官と間違われるのだ。

「しかし大勢に弓矢を使われてはかないませんし、人間の兵士には俺並みの体格もたくさんいます。俺は自分を過信しません。力と強さは別物だし、どちらも勝敗とは直結しない……これを教えてくださったのは隊長です。まあ、いまはひとときの美酒を堪能しましょうか」

 祝宴の際に、急使が『就任祝い』を運んできた。リティンは名誉なことに凶悪な外見の、竜骨器鎧を賜った。仮にも最強の生物、巨大強力なドラゴンの骨からできた鎧である。軽く、鋼などより頑丈で、左の肩当てには長い角がある。首の守りとなるはずだ。

 もっとも兜はかぶらなかった。視界と、聴覚の邪魔になるだけだ。

 その兜は、先の大隊長にくれてやった。無能なら戦死し、兜はもっとできる隊長のものとなるだろう。

 そちらの砦は鬼が築いたもの、築城術は未熟であった。堅牢にするため、石材だけでなく土嚢を使い城壁に盛り土し、石弓の準備とスリングの練習もさせるよう命じた。こうしていると、おままごとでもしている気持になる。鬼の国、正式な名前さえ持たない通称『カッツ』(欠角)の衰退した技術とは。『シント』に比べると……。

 

(続く)

 

後書き テーマ拙作『犬狼疾駆』は『竜騎兵の恋人』の五年ほど前に当たるので、この五年間でリティンはシント王子、それも竜騎兵隊司令官撃墜王の地位を手に入れることになります。