「いかがされるのです? 十倍差。しかも、敵は険阻な隘路の砦。正面からでは無論勝ち目はありません」
副官コーズの問いに、小隊長リティンは低く笑った。
「ならば布石を打つまで。部下を三名ほど連れる。留守を任せるよ、人間の砦などより、味方の他部隊の低能どもの監視を怠るな」
リティンは数名の兵士を引き連れ、砦に忍び寄り、偵察する。砦は煉瓦造り、四隅に高い矢倉がある。立地条件としては、辺境の流通路の拠点、堅牢だが。すぐ側には川はない。地下水で賄っているか。
ならば。地下水脈の上流に迂回し、穴を掘り横に長く溝を造り水源を絶つ。それでもわずかには水脈は残るが、土砂を流し込んでやる。こうなれば自然、遠くの川を頼らねばならない。
小隊全員で作戦をはじめる。手間取ったが一週間の土木工事で、砦への地下水脈を絶ってやった。じっと出方をうかがう。敵が、動いた。川へ水汲みにきたのだ。人間たちは、軽装だった。まだ脅威には気付いていないようだ。ここはコーズの出番だ。速やかに奇襲を仕掛ける手はずを整えてもらう。
水汲みに来ていた人間を、鬼二十名で一斉に斬りかかる。鬼の突然の攻撃に補給担当の軽装で無警戒な、たった六名の人間の兵士は成す術なく死んだ。その死体をむごたらしく切り刻み、指を落とし顔面えぐり、いかにも残酷な拷問をひたすら受けたかのようにし放置する。
監視する。やがて水当番を調べに来た人間の兵士は十名、襲撃すれば倒せない相手ではなかったがリティンは無視した。どうせ後で勝てるのならいまの部下に犠牲を出したくないし、十人ここで倒したって戦略的にはささやかなものだ。それよりはせいぜい、脅威を触れ回って貰わねば。この方が効果は大きい。人間どもはむごたらしい死体に恐れおののいて帰っていった。
直ちに次の手を打つ。リティンはコーズに命じ、全兵士たちにひたすら、焚き木を掻き集めるよう指示し、それを運んで山岳を降り、平地に出る。砦から一万歩離れた平地の広範囲に仕掛け、夜。一斉にそれを燃え上がらせた。幾千もの大軍の夜営のかがり火のように敵からは見えるだろう。
意図を察して、コーズは満面の笑みを見せていた。
人間たちは決して無能ではない。士気もなまじ並みの鬼より高い。そこに付け入る隙がある。水路を絶たれた、と思い込ませれば敵は篭城できない。しかし一見多勢に思える我らに、あえて打って出るとも思えない。
まして上流からも、平地からも鬼たちに陣取られたとなれば、僻地に孤立した砦などもはや戦略的意味をなさない。そんなところで戦うのは無駄死にというものだからだ。結論は一つ。近いうちに撤退。
明けて翌朝。リティンは部隊を連れ、砦にこっそり忍び寄った。砦はもう静まり返っていた。夜逃げしたな。
勝ったな。砦に堂々と乗り込む。人間どもは、取るものも取りあえず逃げ出したらしい。食料も武具も燃料も、かなり残っていた。資金も金貨こそなかったが、銅貨などなまじ持って逃げるには重すぎて不自由だからそうとう……蔵の中の木箱に何万枚と詰まっていた。銀貨も数百枚と、かなり。それでも金貨に直せばほんの数百枚だが。部下の兵士たちが、喝采を上げる。
銅貨は一枚あれば、兵士一人の日給には十分になるのだ。もっとも、鬼の兵士はろくに計算どころか数字というものを知らないが。
兵士に景気よく銅貨を百枚ずつ配ってやった。占めて二千枚。彼らには先任上兵待遇として、いずれ下士官を任せるのだからそのくらいの余裕は与えないと。ずっしりした麻の小袋に、兵士はみな喜んでいた。こんな辺境では兵士に金の使い道は無い。せいぜい真剣を使わない模擬試合とかサイコロ賭博でもさせて遊んでもらうだけだ。事実上、この砦の資金は減らない。
それに武具も、新しい刃こぼれのない長剣や斧に士気上がった。盾、それも丁寧な作りの頑丈な木材になめし革を張り、外枠を鋼で補強したものも重宝がられた。鎧に関しては、板金鎧など動きの邪魔だから、鋼材としての貨幣代わりにするつもりだった。だが兜に、首筋を守る肩当て、軽い鎖鎧は大きさに気をつけて部下に身に着けさせた。
人間の美味な食料と酒を堪能し、その夜の宴会は盛り上がった。それらの備蓄は貴重な戦力だ。兵士三千名いてもこの砦は機能するだろう。というか二十名では手が回らない。いま奪還に来られては手の打ちようがない。だから信頼できる部下に、密使を頼んだ。
要所の砦を一切の犠牲を払わず手に入れる武勲を立てたのだ。部隊長昇進は間違いないな。この砦がしばし、持ち城となるか。無論戦利品の資金の中でも五十枚もの銀貨を、密使を介し上官に付け届けする配慮も忘れない。贈賄は蔑視すべき犯罪行為であるが、汚職に手を染めずして身を立てられる世の中ではないのだ。
時をほとんど経ずして密使が帰って来た。数百名の鬼の兵士を引き連れて。この戦闘の結果、大隊並みの働きと絶賛され、リティンは大隊長にいきなり抜擢され、五百名余の部下を任されたのだ。しかも砦の主として。権限が何十倍も増大されたわけだ。大隊結成式と、大隊長就任祝いとして宴会が続いた。次いで人事だ。リティンはコーズに中隊長を任せようとした。が。
「どうか副官の地位を続けさせてください、隊長の背後は俺が護ると決めています」
と、コーズは丁重に断った。これは中隊の各小隊まで、自分が指揮をしなければ間に合わないな。たしかに本当の師団長とやらは万兵を率いるもの。このくらい統率しなくては務まらない。
しかし。リティンは思いふけっていた。自分の望みとする『目標』までは、まだとても遠いと。玉座へは。人間と鬼、戦いの決着には。
しかし作為的に仕掛けた、『秘宝』。あの過去の文献が四人組の聖剣の持ち主に渡るのは確実だ。地図無き辺境を旅するなら無論、そうとうな力量の文官がいて、無事に解読してくれるはず。
ならばこの戦いもいつまで続くものか。人間にも鬼と、それに妖精ら『亜人』と分かり合える輩がいるものならば。
軽い満足感に小角の鬼士、王子足り得る戦士、リティンは一人闇の中で暗い笑みを浮かべていた。
(続く)
後書き 知略と勇気、統率力。君主の度量兼ね備えし鬼の英雄の伝説です。これはファンタジーによくある戦記ですが。リティンは一介の下士官兵の地位から至尊の座を手に入れるに当たり、決して安全な道はありません。