『私は戦場において、戦うからには必ず勝つ。ただし誰のために、とは言わないし、私の指揮の手段采配に対していかな誹謗中傷を受けようと弁解するつもりはない』
これは後に『悪鬼の覇王』として知られることになる下士官上がりの君主リティンが、親友への私信に宛てた手紙の中でも、特に辛辣な抜粋とされる。これが事実は必ず勝つといっても、絶対的な戦果を上げればいかな犠牲は問わないという点と、絶望的な不利から陣を捨て、総兵力を引き上げ逃げるとしても犠牲は出ないから負けではない、との詭弁であることを承知していれば。彼の冷静で温和な紳士という風評とはかけ離れた言葉だが、本音だろう。
総兵力絶対数に、資金面。補給物資だけでなく体格、技量、士気、装備、いずれにおいても敵である人間に対し常に劣勢な戦力でありながら、戦い抜いた『雑種の野良鬼士』リティン……そう、かれこそはまさに覇王だった。知略面なら初代ラックホーン王を凌ぐ。以下はその記録の断片である。
辺境……険しい山岳の連なる戦略上の要地にて、鬼たちのちっぽけな一部隊の兵士が夜営していた。時は春。厳しい冬の雪が溶け、敵味方ともこの山岳を動けるようになった季節の夜だ。肌寒いが火は使わず、闇の中にひっそりと。鬼は夜目が利く。見張りは少数でいい。人間たちは行軍に灯を使うから、夜の中は容易に位置をつかめる。夜襲を受ける危険はない。
その隊長。二十七歳――外見は童顔ではるかに若々しく映る――の混血鬼、リティンは自分の額の右隅にある、小さな『角』を手入れしていた。乾いた清潔な布切れで光沢が出るよう丁寧に磨く。こんなちっぽけな角でも、価値はあるのだ、権威には。小さい角こそ王位の証との伝説によって。
彼の装備は漆黒の分厚いなめし革の衣服上下に拍車の付いた靴。左腰には波打つ鋸刃の蛮刀一つのみと軽装だ。なまじ部下の兵士の方が胸当てか鎖カタビラや盾を身につけているものも多い。
リティンは鬼の王子の端くれだった。といっても傍系なので、五十万を数える鬼族をまとめる地位につくにはとても及ばないが。伝説の正統な先祖、初代ラックホーンの血を引いているかさえ疑わしい。
しかし、平均人間並みの背丈がある鬼とされる自分の血には確かに人間の種が混ざっている。そのほか、妖精とされる種も、小人とされる種も。それゆえ角も小さいのだ。自らの肉体を武器にする戦いには、とても役立たない角とはいえ。雑種の野良王子、と自らを皮肉るリティンだった。
それでも、わずかながらの部下は信服してくれる。小隊二十名の部下を預かり、一名の戦死者脱落者を出さず戦い抜いた自分には。他の小隊の兵士からも、リティンの部隊は精鋭と一目置かれている。
まあ、当然か。剣や槍での白兵戦ではなく、スリング(石を挟んで振り回して投げる布ひも)の投石で戦ったのだから。その訓練は十分に行わせておいた。これは評判が良く、部下でいちばん大柄な鬼など、重い石ころを数十個ひとまとめに降り回し、一斉にばらまいてみせる荒技を身につけてくれた。打撃力だけでなく威嚇効果ばつぐんだ。大軍相手には相当有効だろう。
彼の名はコーズ。体力だけでなくものごとの道理を理解してくれる義理堅い鬼で、リティンは副官に準じ信任していた。コーズも常に信頼に応えた。まだ出会って半年の仲だが。ちなみに小隊長との座を彼と争った。素手の格闘こそリティンは負けたものの、木刀勝負、それに投擲武器では圧勝した。以来コーズはリティンを武勇知力兼ね備える本当の実力者と認めている。
リティンは孤児だ。異種の間に生まれた彼を、親は捨てた。二十歳を過ぎても衰えず、それどころかまだ成長期にある自分の肉体を皮肉に思う。発育の遅いリティンは劣等種として、幼少のころは冷遇されていたものだ。
しかし、普通の鬼の中年期にあたるこの歳にして戦術的手腕に加え個人の武術において卓越、しかも機転の利いたリティンは逆に鬼たち、とくに年配の上官から妬みを買うくらいになった。鬼よりもむしろ人間……否、妖精に似た端正な風貌をしている、となれば当然だが。
先の砂漠地帯の廃墟、伝説の『氷の剣』を持つ四人の戦士との戦いで、リティンはまた妬みを買った。六個小隊百二十名を指揮する上官の中隊長は、リティンの進言も聞かず力攻めをした。リティンは無用な戦いはせずに、威嚇に留め降伏に追い込むか、殺すならいっそのこと火計でも仕掛け丸焼きにしてしまう作戦を提示していたのだ。
それを中隊長は、「人間の捕虜など認めない、火なんて使ったら氷の剣が溶けてしまう」と否定した。あの伝説の剣が溶けるものか。ろくな知識も有せぬ体格だけの鬼の王族戦士、無理はないが。余計な犠牲を払ったものだ。貴重な宝刀を手に入れる、好機を逸した。
おまけに敵の援軍の騎馬隊……ものの二、三十騎がやってきたとき、まだ数において勝るはずの鬼の部隊は混乱に陥るところだったが。冷静に整然と退却の指揮を執ったのはリティンだった。戦果もないまま度を失って逃げ出そう、なんてしていた中隊長は面目丸つぶれだ。
敵の砦を攻めるときも。いくら鬼たちが集結し四個中隊五百名余の圧倒的優位にせよ、砦なんて正面から相手にせず後背に回り連絡線、補給路を絶つべきとリティンは進言していた。孤立し情報が途絶えれば、なにもわからない砦の中で、敵の士気は落ちる道理だ。
それも受け入れられなかった。結果は、泥臭い包囲攻城戦。敵の指揮官はなかなかの辣腕家だった。いちおう勝ったものの、ほんの五十名の敵を殲滅するのに、戦力的に有利なのにも関わらず、百名以上の犠牲者を出した。無駄死にさせたものだ。当たり前の兵法の初歩において正面からの城攻めとは、彼我に損害増すばかりの下策中の下策なのだ。
しかも敵は自ら砦に火を放った! 戦果は無いといっていい。戦略的にまったく意味の無い戦いだった。こんなことなら、最初から火攻めにしてしまえばよかったものを。これらを逐一上官に、事前と事後に訴えていたリティンである。無論煙たがられていた。
と、ここで伝令に出していたコーズが帰ってきた。彼は小声で告げた。
「リティン隊長、任務です。本隊が人間の領土に進軍する前に、山岳部に位置する敵の砦を攻略せよ、と。それも貴方自らの兵つまり二十名だけで……いささか理不尽ですが、どうされますか? こんな不条理な指令従う理由はありますか?……命令違反は死の厳罰です」
リティンは軽く笑った。
「捨石にされたか。手勢二十名で、砦ひとつを陥落せよ、とは。砦には少なくとも二百の人間の兵士がいるはずだ。大口を叩くなら、実力で証明してみろ、ということだな。これは部下には教えるな。あまりの重圧の恐怖から脱走されてはかなわないから。単に独立行動だ、とだけ伝えよ。よかろう、まずは部下たちを安心させよ」
「ならば、隊長には勝算があると。城攻めは下の下と自ら言われた貴方に」
信頼と尊敬の目で、コーズはリティンを称賛した。
(続く)
後書き これはテーマ『犬狼疾駆』の続編です。主人公リティン、さまざまな自作品に登場しますが、知識だけ受け継いでも、中身の個性はまったくの別人としてあります。