黎明の薄明かりの中、緊張した雰囲気が村を包んでいた。二つの都市の中ほどにある村は、都市の兵士が駐屯していた。非常事態なのだ。兵士は槍を構え村の門を見張っている他、剣を携えたものは定期的に村を巡回している。

 村民は、不安げに事態を見守っている。その兵士たちへの視線は、決して暖かいものではない。村の安全を脅かす軍事力の存在は疎まれこそすれ、感謝される筋合いのものではないのだ。

 しかし兵士たちと村民とに、溝となるような事件があったわけでもない。兵士たちは極めて統制の取れた、規律礼儀正しいものたちだったのだ。

 騎竜を失った竜騎兵、ジャックはここで作戦任務についていた。都市アルセイデスの将として。この一週間で、戦局はガラリと変わっていた。かれは深刻に、事態を憂慮していた。

 一番大きな事件は、都市オケアニデス。王党派のこの都市が、空賊と手を組んだことだった。オケアニデスは戦力を大幅に増強し、近隣の都市を脅かしている。王党派と解放軍とは敵対関係にあるとはいえ、どちらも単なる犯罪勢力である空賊と手を組むとは、考えられないことだった。

 しかし、事情が変わったのだ。伝説の魔剣、聖剣は実在した。そのいずれかを手にすれば、竜の群れを従えられ、王国を再興できる。分断され、戦乱に満ちるこの地を統一できるのだ。この大義の前に、空賊の力を借りることなど、一時の方便であった。

 これだけでも、戦乱の引き金となる。竜たちが魔剣の主の元に集い、新王国を築くべく戦うなら。

 もちろん別の道もある。二振りの魔剣を、竜と共に封印する、だが。そんな選択は、だれもしないだろう。そうジャックは皮肉に思い、思案に暮れていた。魔剣と竜という圧倒的な武力を、みすみす捨て去ろうとする権力者はいないだろう。権力と富、おまけに魔法文明の知識を齎すのだから……戦乱で散るであろう無数の兵士たちの、屍の上に。

 つまり代償が伴うとはいえ、自分の主君であるフレイだってそう望むだろう。

 だが、事実は違うのだ。ジャックが主君にも報告できなかった、事実。聖剣を手にしているはずの傭兵戦士ソード・ケインは、飛竜の主とはならなかった。ならばかれの取るべき行動は……双方のいずれか、おのずと決まる。

 なにより重大だったのが、魔剣聖剣双方の所在が、空賊たちにわかってしまったことだ。都市ナパイアイの太守エストックが、あろうことかその情報を賊どもに売り渡したのだ。同盟諸都市に対して、重大な裏切り行為だ。こうして、アルセイデスとナパイアイは交戦状態に縺れ込んだ。空賊が、激しく活動を開始したこの時に、である。やつらの狙いは、明らかだ。

 魔剣は竜騎兵団を指揮するレイピアが、所持している。これには手出しは難しい。しかし聖剣の所有者は、弱勢、それも竜騎兵を持たない。こうしてすべての竜騎兵たちは、ソード・ケインを付け狙うこととなったのだ。

 ケインを見つけなくては! ジャックはそれこそ血眼で偵察兵部隊を散らし、必死に情報を集めていた。その間アルセイデス・オレアデス軍と、オケアニデス・ナパイアイ軍との戦争は激しさを増していった。撃墜王レイピアの竜騎兵部隊と、空賊竜騎兵との戦闘も続いた。

 ナパイアイが敵に回ったことは大きな痛手だった。ただでさえ規模が大きいのに太守エストックは非凡で有能な将だったから。ましてその部下のスレッジは歴戦の猛将だ。兵力を巧みに投入して、堅固な防衛網を築くアルセイデスの軍を翻弄した。

 ジャックとアトゥルは空から指揮しながら、防戦に追われた。フレイも騎竜ファルシオンを駆り、ひたすら地上部隊を牽制し、味方を鼓舞した。

 唯一救いだったのは、ナパイアイの竜騎兵はみんな傭兵だったから、全面決戦という危機に積極的に戦う士気が欠けていたことだ。対してフレイ側の竜騎兵に歩兵騎兵は都市の危機に士気が満ちていた。

 これらの戦いはしだいに膠着し、泥沼化の様相を呈してきた。これ以上消耗戦を続けることは、両軍にも民衆にも取り返しのつかない痛手となるだろう。都市機能は瓦解し、暴力と略奪と凌辱の賊ののさばる無法地帯になってしまう。

 すでにアルセイデスとオレアデスの兵士死傷率は、二割を超えた。勝機は見えない。このまま力押しの戦闘を繰り返すなら、アルセイデスの敗北は目に見えている。都市に撤退の決断をすべき時期ではないか?

 しかし一週間後の今日未明。戦争は新たな局面を迎えた。ソード・ケインが僅かな手勢を率い、ナパイアイ軍に攻撃を掛けたのだ。寡兵をさらに分散しての、離れたところからによる一撃離脱のゲリラ戦術。これは明らかな陽動作戦だった。

 ケインはあろうことか、自らを囮にしたのだ。敵の注意がケインに向けば、おのずと敵の戦力は分散する。野心剥き出しの戦況判断ができない愚かな賊どもならば、同士打ちすら起こるだろう。

 ならば……決戦のときは、まさに今日。戦力が削がれた敵軍に、フレイは総攻撃を仕掛けるだろう。アトゥルが、おそらく先陣だ。

 しかしジャックの部隊は、それには加わらない。もどかしいが、ジャックの部隊は警備兵隊、決戦戦力ではないのだ。出来ることと言えば、ケインを助けることだけだった。ジャックは伝令を発し、半数の部隊にケインの援護をさせようとしていた。残りの半数は都市の警備だ。戦乱に乗じて略奪、破壊、暴行を行う不平分子を制する必要があるのだ。

 そんなとき、ある別の知らせが舞い込んだ。ジャックは部下を集め、直ちに現場に向かった。情報は、飛竜が一騎近くの森に舞い降りた、というものだ。空賊の竜騎兵であれば、困難だが地上にいるときに奇襲を掛け、なんとしても仕留めなければ。

 ジャック指揮下の熟練した偵察兵が、森の中をかき分け調査を進める。やがて竜発見との報告が、もたらされた。

 ジャックは数名の部下とともに、その竜騎兵に忍び寄った。ジャックは竜を見て、驚いた。それは、自分の騎竜ではないか! ならば、そばにいるのは……ジャックは興奮の中、生唾を呑んだ。木陰の薄闇にたたずむ、ほっそりとした影。ジャックは命じた。「あの女性を囲め! 捕らえろ、ただし傷付けてはならない」

 命令を受け兵が数人、すばやく女性に詰め寄る。木陰から同時に飛び出し、荒縄で取り押さえる。彼女は、抵抗しなかった。アルセイデス太守補佐官、スティレットは。それを悟り、ジャックは手を振り払った。部下は拘束を解いた。

 ジャックは丁寧な口調で、問いただした。「説明して頂けますか? 今回の、無体の理由を」

「これを読めば……わかるわ」スティは、封筒を差し出した。意匠を凝らされた作りの、封印が封蝋で厳重に固められている。「特別に閲覧を許可するわ。また、封印しなおすから。あなたにこの書類を、アルセイデス太守フレイルに届けることを命じます。この、戦いが終わってから」

 ジャックは封筒を受け取り、封を切って中の書類を出した。そこにはこう、記されていたのだ。

(アルセイデス司法官、セイバー卿スティレットの正式な許可として、以下の両者の決闘を認めるものである)

 決闘裁判の、認可証! ジャックはそれに記されている二人の名を見て、血の気が引いた。身震いする。震える声で、問う。

「なんです、これは! なぜ、こんな」

「二人は見ての通り、待ち望まれていた存在だった。なのに、その二人の意見が食い違うのよ」

「!? それはいったい……」混乱の中、ジャックは必死に落ち着こうと勤めた。状況を把握する。「こうなることを、予期していたのですか。たしかに彼らだけの決闘なら、大戦争にはなりませんが。たしかにやむを得ない措置かも知れませんが、わたしに、いえフレイに内密にしてまで、こんなことを」

「戦いの帰趨は、明らかだから。これなら、どちらに転んでも私達の得になるわ」

「そんな……」ジャックは言葉を詰まらせた。しかし、決意を固め問う。「違うでしょう。この手続きは、あなたにとって苦痛のはずですが。なぜなら、あなたは……かれを、愛しているのでしょう?」

「私の個人的な感情など、どうだというの?」

「かれらは互いの正義と名誉を賭け、技の限りを尽くして戦うでしょう。その結果が、あなたの意にそわなくても、よいのですね」

「かれを、信じているから」スティはつぶやいた。それは、口をすべらしたといってよかった。

「それが、本音ですか」聞きとがめ、ジャックは言う。「かれが勝利すれば。わたしたちは、大いなる脅威に徒手空拳で立ち向かう羽目になるでしょう」

「でも、同胞同士で殺し合うような、悲惨な事態は避けられるわ」

「だからといって!」

「私は……なにが正しいのか、なんてわからない」スティは言葉を詰まらせた。口調は、いまにも泣きそうだった。

 ジャックは言葉を止めた。それは、自分だって同じではないか。この困難な時代、なにが正義かを決める、なんて。そんなこと、後世の歴史家のみわかること。ならば、今の時代に生きるものは、自分にできるせめてものことを、するだけ。

「わかりました。この書類、たしかに、お預かりします。では、直ちに」

 ジャックは自分の騎竜に乗り、命令を下し、空に舞い上がった。空賊との戦いは、これで決した。勝利することは間違いない。それなのに……。ジャックは事実に落ち込んでいた。これが、彼らの宿命なのか。これを、フレイに報告しなければならないのか……。

 

(続く)

 

後書き ようやく決戦に入り、キーとなる事件も動き出しました。この章が終わればクライマックスです。