「ダグアが危険?」ケインはヴァイに問うてきた。
ヴァイは説き伏せた。「彼は王国の奴隷だった。幼少から虐待を受けていたということは、単に不幸で片付く問題ではない。彼は回りの人間に、ひいては社会に裏切られた、ということなのだ。それは回りの人間に、社会になんら負うところが無いということになるのだ。そうではない信念を持つ戦士なら、自身が戦うことは仲間や頼られる人間を守るということだと考えている。全体を守るためなら、その一部である自分の犠牲は受け入れられると感じている。しかし、社会に負い目を感じない人間はこうはいかない。彼らが戦うのは、自身の欲求のためだけだ。決して満たされることのない、狂おしい欲求……それを満たすためなら手段を選ばない。犠牲も厭わない。自身にせよ他者にせよ」
「ではダグアは」
「かれは竜騎兵でありながら、戦乱の世に背を向け生きてきた。覇権を目指す撃墜王レイピアとは違う。ダグアはレイピアのやり方に賛同すると思えない。空賊との戦いが終わったとき、どうなるか。わたしは、それにケインたちはどう動くべきか。レイピアの魔剣とケインの聖剣。ふたつがそろったときどうなるか。そもそも魔剣とはなんだ?」
「伝承によると、いろいろな素材から造られている。死者を封じる力のある銅、精霊界で最も堅い青銅(銅と錫の合金)、魔界に存在できる銀、最も血を吸ってきた忌まわしき鋼鉄、同じく鉛、伝導率の最も高い金、天空の金属隕鉄。おまけに仕上げた後、処刑された罪人の屍蝋化した死体を燃やし焼きを入れてある。普通合金は融点が低くなり、柔らかくも脆くもなるはずなのに、謎めいた比率で調合されたそれぞれの物質が働き、未知の素材隕鉄の細かな粒子が他の素材を絡めて結びつけ、鋼鉄などとは比較にならない強度を得ている。しかもいったん鍛え上げられた後は、熱し溶かすことは灼熱と言われるドラゴンの炎でも不可能とされている。錆付くこともない。酸も受け付けない。魔術師による伝承では、魔剣は大いなる力融合炉を守るための『鍵』だという。剣としての姿は単に防衛機能に過ぎない。なぜ、竜たちが魔剣に従うのか。それは世界に恩恵もしくは破壊をもたらす融合炉を守る鍵、その所有者に従うためだと」
「聞き捨てならないな」ヴァイは渋面を作った。「ケイン、今一度問う。聖剣を手にしながら、いまでも竜の主になる気は無いのか?」
「俺には認められない。己の覇権を望まないのが、俺の部隊の流儀だから。死んでいった仲間と殺してきた敵の為にも、つらく苦しく報われない任務を忠実にこなしてきた部下のためにも、汚れた仕事を続けてきた俺には受け入れることはできないのだ」
「そうか」ヴァイは嘆息した。ケインの意は変わらないだろう。ふと、ヤイバに注意を向ける。物静かな異国の剣客、亡国の士族。「ヤイバ、あなたの意見は」
「わたしの主はケインです。彼に従うだけですよ」
ヴァイは思った。われら三人は、『かれら』に似ていると。そしてダグアも。古くからの伝承によると、魔法文明の崩壊の時代を駆け抜けた戦士たちがいた。その一人は魔王とすら呼ばれた。彼らは次の二条が信念だった。『間違っているならば、神すら敵とする』『輝いているならば、塵芥でも救う』、と。
虐げられる一人を救うためならば、全世界をも敵に回す。たしかその名を『籠の鳥』。彼らの信条に基づく活躍は大変な悲劇を招いたという。
言い伝えがある。『星降る夜、輪廻の歯車廻りて魔王は甦る。彼こそは魔人、人の子として人の姿を持って生まれ人にして人に在らざるもの。出現を待ち望まれし魔物たちの王。時の鎖を断ち切り、世界に混沌をもたらすであろう』
融合炉の惨劇は、彼らにより引き起こされたとの話もある。たったひとつの欺瞞を許せなかったがために世界を破滅させかけた。逆賊とされる彼らだが、民衆には人気がある。ヤイバの祖国はかの地らしいのだ。だから聞いてみる。
「あなたはなぜ祖国を離れたのです? 戦乱、ですか」
「わたしの国ですか。見た目だけを問うなら、争いもない豊かな美しい国でしたよ。小さいながら自然に恵まれた肥沃な土地なのです」
「ならばなぜ?」
「欺瞞に耐えられなくなったのですよ。田畑には単位面積あたり王国の数倍の実りがあるというのに、庶民、こと農民の暮らし向きはさほどこの地方と変わりません。なぜなら、作物の実に半分を税にされているからです。考えられないでしょう、この地では三割が相場。圧政で悪名高い王国でさえ、平時では四割。加えて農作業以外の租庸調があるのですから。わたしの国では士族階級は、この財力を背景に揺るぎない支配権を握っていました。何と言っても、王国の騎士は総人口の百分の一程度なのに対し、わたしの国の武士は十人に一人ほどの割合もいるのですから。かりそめの太平の世。それは多くの民衆の犠牲の上に成り立っていました。飢饉の年は餓死者を出し、年端のいかない娘の身売りも行われていました。働けなくなった老人や不具者は山に捨てられ、育てることの出来ない赤子は沈められ。それもすべて無能で卑劣な支配者のために。だが、ね」ヤイバは息をついた。「こうしたことは、どこの国でも同じのようです。生きるためには避けられない戦いがあるということを、思い知りましたよ」
「それが、戦士の名誉ですからね」
「戦いには名誉などの入る余地はありません」ヤイバは淡々と告げた。「美辞麗句で着飾ったところで所詮自分より弱い者にしか勝てない、それが戦ではないですか。わたしは師から非力なわたしにできる唯一の戦法を叩き込まれました。速剣術です。しかしそれだけでは、力不足の穴埋めにはなりませんでした。わたしは道を外れ、暗殺術を身につけることとなったのです。強さとは敵に対しいかに卑劣に、いかに残虐になれるかで決まるのです」
ヴァイは反論した。「それは違う。強さとは、弱きものを守るためにあるのだ。戦士は守るべきもののために命を賭けるのではないか」
「強いものが弱いものを救うなんてことは、大いなる欺瞞です。そもそも力あるものが力なきものを虐げることがなければ、そんなもの必要ないではないですか。士族階級は常に、住民を守るという建前のもと、搾取を行ってきたのです」
「この点でいくら口論しても、あなたとは分かりあえないようだ」
重い沈黙が訪れた。ヴァイは煙草を深く吸いこみ、ゆったりと煙を燻らせた。ヤイバはケインに注意を払っている。ケインは動かない右腕をさすりながら、傍らの聖剣を見つめていた。
都市ナパイアイの外壁の砦。司令室にいる一人の重戦士は物思いにふけっていた。
スレッジは、ナパイアイ領主エストック配下の将だった。補佐官ミゼリコルドと並んでエストの信任が厚く、ナパイアイの過半数の歩兵部隊統括をまかされていた。
スレッジは二年前を回想した。エストはシオンからナパイアイ太守に任じられるまで盗賊団の首領として、巧みに三つの村を支配していた。街道筋にあたる宿場が主な村を軸に、その付近の畑や牧畜を営む農村二つ。
戦乱の気運が高まるこの地は、盗賊や傭兵くずれのならず者が、立ち寄りやすい。エストの盗賊団はそれに対する村の守り手となっていた。エストは部隊の規律を正しくしていた。自身の部下でも、村人に対し不正や乱暴をはたらいたものは、罰せられた。また、真面目に村人に混じって働くことを奨励していた。
結果、エストは村人から高い支持を得ていた。村の若者も、多くエストの部下になっていた。直属の部下というよりは、自警団だが。村は周辺と比べると、ずいぶん栄えていた。
エストにとって盗賊団という評価はもはや、近隣の地方領主からの視点に過ぎないともいえた。とはいえエストは部隊を率いて他の盗賊や山賊を攻撃し追い払い、略奪を働くこともあった。領主の立場からすれば私掠と言う所だ。こうした行為は必ずしも住民の好感を得ないが、周辺の治安維持には役立っていた。そうして村を治めていくと、エストは郷士の地位と見なされるようになっていた。盗賊から身を興したものにとっては破格の待遇だ。
さらにむかし。スレッジは王国軍の兵士長として一個中隊を率い、騎士に近い身分だった。反乱軍との戦いが始まると、スレッジの中隊は他の部隊が瓦解していくなかで善戦した。しかし戦局は決まり、自身の上官が保身に走り、残された民間人をかえりみなくなったとき、スレッジの立場は変わった。非常徴収という名の略奪行為をスレッジは拒否した。上官は激怒しスレッジを処刑しようとしたが、部下はスレッジをかばい、住民も彼の部隊をかくまった。スレッジは数人の部下だけを連れ、都市を離れた。それから一年ほど、スレッジは反乱軍にも王国軍にも加担せず、隠遁を決め込んだ。その間に、王都は陥落した。スレッジがエストにであったのはその後だった。義勇軍上がりのエストは数人の仲間と共に、盛り場の用心棒をしていた。スレッジとエストの仲は一端険悪になりかけたが、すぐに意気投合した。なぜエストを首領に据えたのか。とどのつまり、エストはただの平民の若者に過ぎない。兵士ですらない。武器の腕も未熟で、スレッジは自身の技をエストに教えこむ必要があった。しかし、スレッジにとって絶対と思われていた王国は滅んだ。スレッジは歳を取っていた。衰えてはいないが、もう若くはない。未来ある若者に、道を譲ることにしたのだ。
いま。飛竜が現れてからというもの、その乗り手となり武力を手にするものが多く出た。大半は無力な平民だった。短絡的にその力を行使し略奪に走り、空賊となるものも多かった。が、あくまで自身とそして守るべき家族や仲間のために竜騎兵となるものも少なくはなかったのだ。エストックはそうした者たちを傭兵として登用した。レイピアだってそうだろう。そのエストックとレイピアが、明日にも衝突しようとしている。ナパイアイとアルセイデスは戦争となるだろう。スレッジはエストの生き様に不安を覚えた。戦いの行方にではない。エストの求める力そのものの行方にだ。『力こそ正義』。それは王国のやり口そのままではなかったか。そして王国は滅んだ。惜しまれることも悲しまれることもなく。ただ憎しみだけを一身に浴びて。
エストは決して、悪漢ではない。だが好戦的で性急すぎる。ひとつ間違えば、賊として処刑されてしまうだろう。仕えていた王国が滅んだとき、スレッジはもはや失うものは無いと思っていた。だが、これまでの数年で、いろいろと大切なものができてしまった。
スレッジは思いを馳せた。戦局がどう転ぶであれ……おそらく決着のつかない消耗戦に終わるだろうが、犠牲となるものたちの死が無駄にならんことをと。
(続く)
後書き 捻りが足らないなあ、単なる戦記もの。華麗な戦術もここには登場しないし……続きにご期待下さい。