この重大な『事件』に関して、帝国軍人ブレード・フォン・ラスター提督を責めるわけにはいかないだろう。成す術が無かった。ラスターは新米の一準将、ガイエスブルグ要塞での捕虜の待遇を決する式典の間は将官の列の奥に立っていたのだから。
まさかローエングラム元帥が暗殺され掛かるとは……敵将官アンスバッハのハンドキャノン発射に誰もが事態に硬直する中、躊躇せず、楯となったのは総参謀長オーベルシュタイン中将だった。凶弾は逸れた。もっともアンスバッハに飛びかかり、身を呈して銃口を逸らしたのは……ラスターを準将に取り立ててくれた、キルヒアイス上級大将!
キルヒアイス提督は主君、それとも親友をかばい、殉死された……
哀しみと自責に我を失する金髪の元帥。覇者のあまりに意外な姿だった。各艦隊司令官は、総参謀長の提案の元、帝都星オーディンの攻略に向かい、陸戦兵で要所を制しにかかる算段だ。ラスターもビッテンフェルト艦隊の一陣として、新造無人艦七百隻の加わった計千二百隻の艦隊を率い、強行軍としては驚異的に、一隻の脱落艦もなくオーディンに到着した。
ラスター艦隊は地上戦能力のない無人艦隊のため、そこで急遽衛星軌道上の制宙権を確保する任務に当たったミュラー艦隊に移籍された。
かくして帝都オーディンは皇帝擁護派の手に落ちた。
宇宙艦隊司令長官、ラインハルト・フォン・ローエングラムが、事実上帝国最大の権力者になった瞬間だった。
……
少し時は流れ、痛ましい内乱の悲劇も終息し。惑星オーディン衛星軌道上。ラスターは自分の旗艦マーリンの艦長席で、いつものようにサンドイッチを齧りながら、昼時間ではあるがストレート・ラムを嗜んでいた。
「我は甘かったかな……」ラスターはやるせなく言った。
電子頭脳艦、マーリンは答えた。「閣下の責任ではありません。ローエングラム元帥の意向です」
「ローエングラム元帥が、偉大なことは認める。旧門閥貴族どもの腐敗した体制を、ドラスティックに改革した。帝国すべての臣民に公正で公平なる生きる権利を約束した。じきに豊かさと自由も与えるのは明白だ……ならば、自由惑星同盟を僭称する通称叛乱軍どもに、和平と共存の道を選択されても良いはずではないか」
「理想論としてはそうです。しかし現実は『第三の勢力』が許しません」
「フェザーンラントか……」ラスターは苦々しげにつぶやく。「まさかね……それはヤバいな」
「現実環境下から引き起こされる当然の結果です、私の閣下。帝国と同盟のミリタリーバランスを保って交易で漁夫の利を得るというフェザーンの方針は、もはや成り立たなくなります。銀河のミリタリーバランスは、過半が帝国によって制された。イゼルローンへガイエスブルグ要塞をワープさせて全面対決させる案が採用されたのは当然でしょう。まあ愚策なのは明らかですが。泥沼の消耗戦になりますね」
「よりによってミュラー艦隊に回されて、初の任務がイゼルローン相手か! なんてこった。ミュラー提督はビッテンフェルトの猪ちゃんに比べたら、真面目な優等生っぽいが」
「たしかにミュラー提督は守勢に強そうですね。攻撃一辺倒のビッテンフェルト提督と対照的です。司令官のケンプ提督はワルキューレの撃墜王、戦闘艇を指揮しての制宙戦闘はお手の物でしょうから、要塞戦には頼もしいです。形の上だけとはいえあのヤンと戦って負けなかった提督ですし」
ラスターの声は小さく、ほとんど独り言だった。「いや……負ける、か。すると自然……難攻不落なイゼルローンに、不敗の名将ヤン大将を相手にするよりは……」
「閣下?」
「ああ、いや。話は変わるが、歴史にもしもは無い、というがね。もし同盟が愚かな侵略で大敗をしなければ、内乱時ローエングラム元帥は相当不利だった。帝国存亡の危機だ」
「さようです」
「加えて皇帝が突然自然死で崩御しなければ内乱は起こらなかった。あるいは事前に世継ぎを決めていたらまるで変わっていた」
「それもしかりです」
「そもそも、ここ数年の大会戦の連続が無ければ、武勲を立てられないからローエングラム公は元帥になれなかった。自然、まったく状況が異なる。宇宙艦隊司令になっていなかったら、大貴族は滅ばなかった可能性の方が高い」
「まったくです、閣下。いかがされました? 真面目な疑問符だけをつらつら述べられて。酒が足りないらしいですね」
「我はいつだって真面目だよ、マーリン。酒こそ本音トークをするのに欠かせない必需品だ」
「どこぞの田舎オヤジのような意見ですね」
「褒められたと思っておく。我は過去、十六歳まで生き伸びられれば上等と信じていたから、いまの人生はおつりだよ」
「! 口が過ぎましたね、失礼いたしました」
「構わないさ、我はいつもきみに甘えている。無駄だとわかっていても、きみに計算してもらうのだよ、マーリン。もし同盟が帝国領侵攻で、急速に多数の星系を制圧……まあかれらの言葉で解放せず、地道に一つ一つ、丁寧に住民を保護し自給自足できるだけの援助を行い、橋頭保としていたらどうなるか……」
「了解です、シミュレートしてみます」
「さらにもしヤン艦隊がドーリア星域会戦を行わず、工作員をバーラト星系ハイネセンに忍ばせ、彗星によるアルテミスの首飾り破壊を行っていたらどうだったか。ヤン艦隊はその間、機動戦力第十一艦隊を戦わずに、引きずりまわしていればいい」
「わかりました、並行処理します……演算結果出ました。モニター表示を添えます、御覧ください」
「流石の迅速さだな、マーリン。伝説の西暦のはるか過去幻に消えた量子計算機もびっくりだ」
「このように」と、マーリンはスクリーンにマップとグラフを表示しながら解説した。「前者の意見は、航路をよく把握する帝国艦隊の攪乱・陽動作戦で妨害されます。とてもではないですが、辺境惑星規模の生産力経済力では長期間大艦隊を運営保持できません。補給線の安全を万全にしても、結局は同盟国庫に莫大な負担を強いて頓挫します」
グラフでは同盟の補給物資と国庫財力の概算が、みるみる減っていくのが映し出された。
「なるほど。後者は?」
スクリーンに二つの艦隊航路の予測図が複数のパターンで表示され、艦隊機動の動きがおおまかにわかる。「アルテミスの首飾りの破壊に成功して、仮にヤン艦隊がハイネセンにたどり着いたとします。政治家、悪くすると国民を人質に取られて時間稼ぎをされるかもしれません。その間に第十一艦隊はやってきます。小細工抜きの正面決戦となるでしょう、ヤン艦隊が勝つでしょうが、彼我の損害は事実よりはるかに大きくなりますね。しかも長引けば帝国の攻勢が始まること疑いありません」
「どちらに転んでも同盟はダメか、我が帝国は常勝の天才の旗下にある……聞かぬが花、とは言うが、イゼルローンに勝算は?」
「敵将ヤン提督の知謀は未知数です。それを除外してシミュレートするしかなかったです。彼我の艦隊がどの局面で投入されるかにより、戦局はガラリと変わりますが、要塞同士に限ると。トールハンマーとガイエスハーケンは互角、互いに恐ろしい出血を強いるのは確実です。単純な消耗戦ならば……五割近くより大きく打たれ強いのはイゼルローンの方です、残念ながら」
「ったく、大艦巨砲主義は時代錯誤というのに。我は死にたくないぞ、要塞主砲なんかで」
「幸いミュラー提督からも、私の艦隊は閣下の独断による無制限の自由行動・自由決定権が認められています。ここはなんとか乗り越えましょう」
「では要塞に対する戦術機動の、シミュレーションパターンを組んでくれ。どの道我らは死角を狙うのだから、留意すべきは主砲より浮遊砲台とヤン艦隊だ。対抗策を練ろうではないか。消耗戦は必至だ、マーリン、今回ばかりは我が艦隊は多大な犠牲を払うことになるな」
「さようです。ですがお気になさらずに、閣下。マーリン艦隊はミュラー艦隊を一隻でも多く守る楯になりますよ」
ラスターはわかっていた。マーリンもわかっているのだ。この戦いは負ける。故に目下目的は、どれだけ犠牲を少なくして負けるかなのだ。金髪の元帥……戦争の天才としては珍しく愚策を取ったものだ。フェザーンの陰謀もきな臭いな。
ラスターはこの日、大酒はしなかった。二杯目のラムをちびちびと飲みながら、睡魔が襲うまで何時間もマーリンと相談していた。
イゼルローンを陥落させるには、ラム酒のラムではなく、破船鎚としてのラムを使えばいいとの結論に達していた。しかしその提案が通るような地位のラスターではなかった。
18 要塞対要塞
まさかローエングラム元帥が暗殺され掛かるとは……敵将官アンスバッハのハンドキャノン発射に誰もが事態に硬直する中、躊躇せず、楯となったのは総参謀長オーベルシュタイン中将だった。凶弾は逸れた。もっともアンスバッハに飛びかかり、身を呈して銃口を逸らしたのは……ラスターを準将に取り立ててくれた、キルヒアイス上級大将!
キルヒアイス提督は主君、それとも親友をかばい、殉死された……
哀しみと自責に我を失する金髪の元帥。覇者のあまりに意外な姿だった。各艦隊司令官は、総参謀長の提案の元、帝都星オーディンの攻略に向かい、陸戦兵で要所を制しにかかる算段だ。ラスターもビッテンフェルト艦隊の一陣として、新造無人艦七百隻の加わった計千二百隻の艦隊を率い、強行軍としては驚異的に、一隻の脱落艦もなくオーディンに到着した。
ラスター艦隊は地上戦能力のない無人艦隊のため、そこで急遽衛星軌道上の制宙権を確保する任務に当たったミュラー艦隊に移籍された。
かくして帝都オーディンは皇帝擁護派の手に落ちた。
宇宙艦隊司令長官、ラインハルト・フォン・ローエングラムが、事実上帝国最大の権力者になった瞬間だった。
……
少し時は流れ、痛ましい内乱の悲劇も終息し。惑星オーディン衛星軌道上。ラスターは自分の旗艦マーリンの艦長席で、いつものようにサンドイッチを齧りながら、昼時間ではあるがストレート・ラムを嗜んでいた。
「我は甘かったかな……」ラスターはやるせなく言った。
電子頭脳艦、マーリンは答えた。「閣下の責任ではありません。ローエングラム元帥の意向です」
「ローエングラム元帥が、偉大なことは認める。旧門閥貴族どもの腐敗した体制を、ドラスティックに改革した。帝国すべての臣民に公正で公平なる生きる権利を約束した。じきに豊かさと自由も与えるのは明白だ……ならば、自由惑星同盟を僭称する通称叛乱軍どもに、和平と共存の道を選択されても良いはずではないか」
「理想論としてはそうです。しかし現実は『第三の勢力』が許しません」
「フェザーンラントか……」ラスターは苦々しげにつぶやく。「まさかね……それはヤバいな」
「現実環境下から引き起こされる当然の結果です、私の閣下。帝国と同盟のミリタリーバランスを保って交易で漁夫の利を得るというフェザーンの方針は、もはや成り立たなくなります。銀河のミリタリーバランスは、過半が帝国によって制された。イゼルローンへガイエスブルグ要塞をワープさせて全面対決させる案が採用されたのは当然でしょう。まあ愚策なのは明らかですが。泥沼の消耗戦になりますね」
「よりによってミュラー艦隊に回されて、初の任務がイゼルローン相手か! なんてこった。ミュラー提督はビッテンフェルトの猪ちゃんに比べたら、真面目な優等生っぽいが」
「たしかにミュラー提督は守勢に強そうですね。攻撃一辺倒のビッテンフェルト提督と対照的です。司令官のケンプ提督はワルキューレの撃墜王、戦闘艇を指揮しての制宙戦闘はお手の物でしょうから、要塞戦には頼もしいです。形の上だけとはいえあのヤンと戦って負けなかった提督ですし」
ラスターの声は小さく、ほとんど独り言だった。「いや……負ける、か。すると自然……難攻不落なイゼルローンに、不敗の名将ヤン大将を相手にするよりは……」
「閣下?」
「ああ、いや。話は変わるが、歴史にもしもは無い、というがね。もし同盟が愚かな侵略で大敗をしなければ、内乱時ローエングラム元帥は相当不利だった。帝国存亡の危機だ」
「さようです」
「加えて皇帝が突然自然死で崩御しなければ内乱は起こらなかった。あるいは事前に世継ぎを決めていたらまるで変わっていた」
「それもしかりです」
「そもそも、ここ数年の大会戦の連続が無ければ、武勲を立てられないからローエングラム公は元帥になれなかった。自然、まったく状況が異なる。宇宙艦隊司令になっていなかったら、大貴族は滅ばなかった可能性の方が高い」
「まったくです、閣下。いかがされました? 真面目な疑問符だけをつらつら述べられて。酒が足りないらしいですね」
「我はいつだって真面目だよ、マーリン。酒こそ本音トークをするのに欠かせない必需品だ」
「どこぞの田舎オヤジのような意見ですね」
「褒められたと思っておく。我は過去、十六歳まで生き伸びられれば上等と信じていたから、いまの人生はおつりだよ」
「! 口が過ぎましたね、失礼いたしました」
「構わないさ、我はいつもきみに甘えている。無駄だとわかっていても、きみに計算してもらうのだよ、マーリン。もし同盟が帝国領侵攻で、急速に多数の星系を制圧……まあかれらの言葉で解放せず、地道に一つ一つ、丁寧に住民を保護し自給自足できるだけの援助を行い、橋頭保としていたらどうなるか……」
「了解です、シミュレートしてみます」
「さらにもしヤン艦隊がドーリア星域会戦を行わず、工作員をバーラト星系ハイネセンに忍ばせ、彗星によるアルテミスの首飾り破壊を行っていたらどうだったか。ヤン艦隊はその間、機動戦力第十一艦隊を戦わずに、引きずりまわしていればいい」
「わかりました、並行処理します……演算結果出ました。モニター表示を添えます、御覧ください」
「流石の迅速さだな、マーリン。伝説の西暦のはるか過去幻に消えた量子計算機もびっくりだ」
「このように」と、マーリンはスクリーンにマップとグラフを表示しながら解説した。「前者の意見は、航路をよく把握する帝国艦隊の攪乱・陽動作戦で妨害されます。とてもではないですが、辺境惑星規模の生産力経済力では長期間大艦隊を運営保持できません。補給線の安全を万全にしても、結局は同盟国庫に莫大な負担を強いて頓挫します」
グラフでは同盟の補給物資と国庫財力の概算が、みるみる減っていくのが映し出された。
「なるほど。後者は?」
スクリーンに二つの艦隊航路の予測図が複数のパターンで表示され、艦隊機動の動きがおおまかにわかる。「アルテミスの首飾りの破壊に成功して、仮にヤン艦隊がハイネセンにたどり着いたとします。政治家、悪くすると国民を人質に取られて時間稼ぎをされるかもしれません。その間に第十一艦隊はやってきます。小細工抜きの正面決戦となるでしょう、ヤン艦隊が勝つでしょうが、彼我の損害は事実よりはるかに大きくなりますね。しかも長引けば帝国の攻勢が始まること疑いありません」
「どちらに転んでも同盟はダメか、我が帝国は常勝の天才の旗下にある……聞かぬが花、とは言うが、イゼルローンに勝算は?」
「敵将ヤン提督の知謀は未知数です。それを除外してシミュレートするしかなかったです。彼我の艦隊がどの局面で投入されるかにより、戦局はガラリと変わりますが、要塞同士に限ると。トールハンマーとガイエスハーケンは互角、互いに恐ろしい出血を強いるのは確実です。単純な消耗戦ならば……五割近くより大きく打たれ強いのはイゼルローンの方です、残念ながら」
「ったく、大艦巨砲主義は時代錯誤というのに。我は死にたくないぞ、要塞主砲なんかで」
「幸いミュラー提督からも、私の艦隊は閣下の独断による無制限の自由行動・自由決定権が認められています。ここはなんとか乗り越えましょう」
「では要塞に対する戦術機動の、シミュレーションパターンを組んでくれ。どの道我らは死角を狙うのだから、留意すべきは主砲より浮遊砲台とヤン艦隊だ。対抗策を練ろうではないか。消耗戦は必至だ、マーリン、今回ばかりは我が艦隊は多大な犠牲を払うことになるな」
「さようです。ですがお気になさらずに、閣下。マーリン艦隊はミュラー艦隊を一隻でも多く守る楯になりますよ」
ラスターはわかっていた。マーリンもわかっているのだ。この戦いは負ける。故に目下目的は、どれだけ犠牲を少なくして負けるかなのだ。金髪の元帥……戦争の天才としては珍しく愚策を取ったものだ。フェザーンの陰謀もきな臭いな。
ラスターはこの日、大酒はしなかった。二杯目のラムをちびちびと飲みながら、睡魔が襲うまで何時間もマーリンと相談していた。
イゼルローンを陥落させるには、ラム酒のラムではなく、破船鎚としてのラムを使えばいいとの結論に達していた。しかしその提案が通るような地位のラスターではなかった。
18 要塞対要塞