警戒はしていたけれど、なにごともなく街へついた。萌の街、秋葉。これでも五年前は、パソコンマニアゲームオタク集まる電気街だったらしいけど。当時と比べてどちらのヲタク度が高いかは、興味深い点だ。メイド喫茶が軒を連ねている。そんなところに集まる男の気が知れない。でも、バイトだったらやってみたいかな。
でも、おかしいなあ、待ち合わせ場所、仲間いないよ。
と、横合いから声がかかった。「真理、なぜここにいるんだ」
「涼平さん?!」
涼平は、カジュアルな動きやすいシャツにジーンズで、右腕は包帯を巻いていた。
「俺はボスの命令で、夜中にシザーズと待ちあう約束だったんだ、しまった!」涼平の顔は驚きに歪んでいる。「直人だ! あいつ、ボスを売りやがった。こんどは俺たちの番だ」
「直人が?」
「罠だったんだ、日中バイオからみれば俺たちを一人一人潰していくより、集まったところを芋づる式に叩きのめすほうが都合がいい。なんといっても俺たちのボスは居所が割れていなかったからな」
ふいに、愉快そうな笑い声がかかった。直人!
「いや、ちゃんと売ったよ。ボスはいまごろ檻の中さ。シザーズはまだ逃げている最中かな、あれはいちばん速いし」直人は言うや、ポケットビンをあおいだ。
背後には、背の高く筋肉質の男性が、六人いる。みな三十代前後だろうが、目つき、態度に身なり風体からしてどう見てもかたぎじゃない。敵、日中バイオの追っ手? わたしと涼平を威圧するように囲う。
涼平は押し殺した声でいう。「何故だ? ならばもはや俺に価値はない。やろうと思えば俺なんて一発で」
「真理を嫌う男はいない、か」直人は皮肉げに笑っていた。「惚れたのか、真理に」
「おまえこそ! 真理を助けておいて。シンクロまでしておいて見捨てるのか」
「そうした感情は持ち合わせていない」
「どうかな。似合わないぜ、キャラが違うよ。おまえは怒らない男だ。自分に非がなくて責められたようなときですら、柔和におどけていた。おまえに守りたいものができたとき、それが傷つけられるようなことがあれば。おまえは全世界を敵に回しても戦うはず」
「おれはそんな殊勝な人間ではない。ジェイルバードなんかより、日中バイオの方がよっぽど儲けさせてくれるからな」
「直人! きさま」吐き捨てるように涼平はなじった。「名は体を表す、というがな。おまえほど屈折したヤツはいないぞ」
「おれは自分のポリシーに忠実なだけさ。おまえこそ、こんな暑苦しい男他にいないね」
こうなったら! わたしはシュリークを構えていた。銃の扱いなんてわからないけれど、とにかく銃口を直人に向ける。しかし。
「おれに銃を向けるか、馬鹿女。おまえも名前負け組みだな」間延びした声で笑う直人はポケットビンを片手に、ふらふらよろけている。照準が合わない!
「いまのおれは最高に機嫌がいい。二十年もののXOだぜ。染み渡るねえ」直人は左手でまたもポケットビンをあおると、懐に右手を入れた。「シラフでないときのおれに敵うものがいるかよ!」
パパパパッッッ! 爆竹の破裂するような音が響き渡った。
直人は叫んだ。「走れ!」
涼平は、わたしの手を掴むと人込みに駆け込んだ。ちらりとしかわからなかったが、直人に撃たれたのは敵の方だった! 瞬時に三人は、撃ち抜いたろうか。正確に、脚だけを。
後ろから駆け寄ってくる直人は狂ったように笑っている。「愉快だねえ、世界が壊れていくぜ」
無関係の通行人が群れている都心で実弾を発砲なんて! こいつ完全にキレてる!
わたしたちは大通りの中で、人垣に紛れ込んだ。敵は追ってこない。騒ぎを大きくしたくないからだろう。
角を曲がり別の大通りで落ち着くと、涼平は激しく尋ねた。
「どういうことだ、直人!」
「ボスのお達しだ。誓ったもんな。おれたちの生きる世界を守るために」
「一つ、間違っているならば、神すら敵とする。一つ、輝いているならば、塵芥でも救う。それが掟だ」
「そう。虐げられる一人を救うためなら、全世界を敵に回すことを厭わない。それがジェイルバードだってね。涼平、おまえは裏切り者ではないとの結論に達したんだ。酔狂にもほどがある。コウ、ケンジ、ナミは復活した。おれたちは全世界、敵に回せるぜ」
「日中バイオの方が儲かるんじゃなかったか」
「おれはそんな安い男じゃない。ぶっ潰してふんだくったほうがよほど儲かる」
「でも、騒ぎ起こしていいの!?」
いまにしたって、秋葉は至るところにカメラがおいてある。さっきの騒ぎも、もうバレバレだな。警察に知れたら、ものの十分で警戒網がしかれてしまうはず。
しかし、わたしは周りが賑やかで、いつもどおりの活気にあふれている事に気付いていた。場所が場所だけに、マニアのなにかのお遊びと取られたのか。日本も平和ボケしているとはいうが、これほどとは。
「この一帯は無効化したよ。バグクラッカー使って」直人はこともなげだ。「ここ半径100メートルくらいは、電子機器麻痺してる。ランバージャックに頼んだら、ものの三分で処理を済ませてくれた。警察は動けないよ。サイバーテロとも言い切れない、街の一角の情報なんてまだ漏れない。事前に、マスコミに偽映像送っておいたからな。過激派、国会議事堂に発砲。爆発物を仕掛けた模様。この地区を抜けたら、ニュース見るといいぜ」
さらりと言う直人だが、事実がわかると怒りがわいてきた。「わたしをオトリに使ったわね!」
「真理、きみには生きていてもらわなくては困るんだ。オトリがいなかったら、おれが生き残る可能性が減るからな」
涼平は力の抜けた声を出した。「本音を言え、直人。ひとりでは東京の街を歩けないから、敵に故意に寝返ったんだろ」
ふへ? それだけのために!?
「は、東京は馬鹿みたいに入り組んでいて嫌いだ。他の県では、徒歩ほんの十五分なんて当たり前に済ませる区域を、わざわざせせこましく地下鉄線路が張り巡らされている。前世紀のトチ狂った未来都市設計の失敗の残骸だな。平安貴族から続く箱庭文化の、滑稽なカリカチュアだ。ひねくれた島国根性だね。東京は砂漠じゃない、ジャングルだ!」
現実にこんな馬鹿いるとは、想像もしていなかった。涼平も呆れた声を出した。「真理、帰ろう、こんなヤツ置いて」
「涼平、助けてやったのにそりゃねーだろ!」
「神に愛されるヤツは、どうなるんだった? 悪魔に好かれれば、きっと長生きできるぞ」
「追っ手は44マグナム持っていたなあ。有効射程三百メートル。おれ抜きで逃げ延びられるかい?」
「商談成立だな。対策は?」
「なにもない」
「直人?!」
「心配はいらない。かっこつけて44マグナムなんて使うからさ。あの馬鹿でかい拳銃が、この距離で当たるものかよ。音も派手すぎるし。ありゃ体重が八十キロもなきゃ片手では使いこなせないな。人混みでつかったら、大惨事だ。漫画の主人公では好まれて使われる銃だが、実用性は無い。単に扱いが難しく、殺傷力が強いから有名なだけさ」
「直人は、いつもの得物を取り返したのか?」
「そう、22口径のリボルバー、それも6インチバレルの7連回転弾倉なんて使う男、おれだけさ。こいつもおれの密造銃でね。22口径なんて針を飛ばすようなものさ。おもちゃみたいだろ?」
直人は自慢げに、拳銃を見せびらかせている。わたしは近寄った。手を伸ばす。「持てないこともないけど、見た目よりずっと重いのね」
「だろうな。38口径並みのウェイトに調整してある。ま、そのおかげで撃っても反動がほとんどないんだぜ。この方が照準がブレないからな。弾丸はカルシウム製、人体に命中しても砕けて溶けてしまう。名はスクリーム。シュリークも、もともとおれが作ったんだからな。死人は悲鳴をあげないからね」
「早撃ちの達人って、わけ」
「早撃ち? 西部劇みたいなクイックドローならおれは遅いよ。0.7秒ってとこだな。できるヤツは0.4秒近いのもザラさ。反射神経はともかく、おれは腕力ないからなあ」
「でもさっきの早撃ちは?」
「スピードの速さより間の早さ、なのさ。早撃ちってのはスピードじゃない。タイミング、とにかく相手より早く撃つだけさ。敵が動く前に撃つ。決闘とは違うからな。スクリームは十メートル以内の至近距離の目標を、瞬時に連続して複数狙うのに適している。そう、ゲーセンのガンシューティングゲームのようにな、……ってなんでおまえがおれの銃両方持っている!」
「知っているかしら、侮辱、名誉毀損は傷害より罪が重いって」
わたしはシュリークを右手に、スクリームを左手に構え、直人に銃口を向けた。このくっつくような至近距離なら外れない。
「待った! 話せばわかる」すごむわたしに、直人は怯んでいる。
涼平は、笑ってこういった。「真理、銃なんていらない。ちょっと突いてみな」
シュリークの横腹でひっぱたくと、直人はまたも脆くもぶっころげた。こいつバランス感覚ないなあ。腕細! これならわたしでも勝てる、ちょろい。
直人は怒鳴っていた。「おまえが強すぎるだけだろ、モビルスーツ女!」
! こいつまたわたしの心読んだの? こんなヤツと精神が繋がっているなんて。「殺すわよ! この脳みそクラゲ男!」
わたしはまたも直人をどついたが、直人はうずくまっていた。顔が引きつり、全身ががくがく震えている。
「涼平さん、こいつどうしたの?」
「酒が切れたんだ。飲まなきゃ他人に声もかけられない小心者だからな。なんたってアニメ『千と千尋の神隠し』を見て、いい歳して怖さのあまり泣いていた臆病者。泣くどころか笑って見ている子供達を、悪魔の化身と呼んだ意気地無し。映画館を出た後の感想は、『八百万の神は人類の敵だ!』ときてる」
……こいつ馬鹿だ。他に形容詞はいらない。