少女は上官である艦長の前で姿勢を正し、敬礼した。「ティア・ラスター二等兵、着任します」
 新設された自由惑星同盟第十三艦隊の駆逐艦、ユーナギの艦橋。中年の艦長セイル・ペインター少佐は配属された兵士の少女に語りかけていた。「ティア・ラスター、十五歳女性。ハイネセンの名門ハイスクールを中退し……志願して二等兵、志望通り当艦の砲兵か。ここまではたいへんけっこうだがね」艦長は言葉を区切って、困ったようにいう。「フェザーンの民間武装船に撃沈された駆逐艦艦長の一人娘とは」

 ティアは決然と答えていた。「それになにか問題が?」
「なんだって駆逐艦の主砲砲兵なんて志願したんだ? 軍艦の中で、戦闘機に並んで最も死傷率が高い部署って知っているか。それにきみのあのままの成績なら士官学校だって入れたはず。しかもアスターテ会戦の直後というのに」
 手厳しく言い放つ艦長に、ティアは本音を語った。「一日も早く、父の仇を討ちたかったのです」

「調べさせてもらった。あの事件は裁判ですでに片付いている。先に砲撃したのはきみの父の艦だ、砲手が命令を待たず勝手に暴発してね。同盟は逆にフェザーンに慰謝料を払った。フェザーン船だって無傷ではなかったのだ、乗員が半数は亡くなっている。しかもその内、船長は自殺だ。仇を討つべき相手はもういない」
「そんな理屈! 相手は大義もなくハイエナのように戦利品をたかる卑怯者よ。武器を売って儲ける死の商人よ」
「きみは勘違いしている。酷な事をいうが、どのみちフェザーンとこの艦は戦う機会はないよ。戦うのは帝国軍だ。それも百五十万将兵を失ったアスターテの敗戦の後にね」

「そうなの……ですか」ティアは全身の血の気が引くのを感じた。大人なら当たり前のこの事実を知らなかったことに。とはいえ、仇が海賊行為をしている限り、戦場で出会う確率はゼロではないはず。アスターテについては、大勝利と聞いていたし。
 ペインター艦長は忠告する。「しかしひとたび志願が受理されてしまった以上、きみは軍を辞めることはできない……徴兵新兵の最低任期二年間ではなく、志願兵なら最低四年間はね」
 ティアは意地を見せた。「戦い抜いてみせます」

 艦長も誠意を見せてくれた。「私戦と混同しないようにな。もっとも、任期の途中でも士官学校への編入は可能だ。きみは来年度なら受験して入れる。キャリア士官さまなら、もっと安全な部署に就くこともできるだろう。士官学校はわしでも入れたレベルだ。もっとも四十四にもなって、少佐止まりのぼんくらだがね」
「わたしは士官学校へはおそらく入れません。実は、家系に汚点があるのです。だから父も政経アカデミー卒業後、二等兵からの叩き上げ艦長だった」
「汚点、とは?」

「傍系ですが先祖に高官役人でありながら、帝国相手に情報を売り収賄をしたあげく、発覚するや莫大な金をもったまま内輪の家族を連れて帝国に逆亡命した恥知らずがいるのです」
「そうか……が、おそらく曾祖父以前の先祖だろう、そんなこと記録になかったぞ。すると罪はとっくに時効だし、そもそも罪科が親族に及ぶことは法律上ありえない」

 ティアは苦々しく思った。それは建前だ。その事件以来、家が裏切り者とされ蔑視され、どれだけ没落したか。耳が腐るほど父方の祖母から聞いていた。
 祖母は嫁であるティアの母のことも愚痴っていた。とてもほんらいのラスター家とは釣り合わない家柄だと。
 家庭は崩壊していた。二年と少し前だ。祖母が原因不明の変死を遂げた数週間後、母は精神が不安定になり、精神科へ入院した。父の駆逐艦が撃沈されたのと重なってしまった。

 ティアは告白した。「わたしの家は、アカデミーに通う経済力すらない。だからどうせ働くなら……父の遺志を継いで」
「それがきみの父の本意かはわからないが、承知した。士官学校への編入は考えておいてくれ。わしはなまじ軍歴だけ長いから、人事権を持つ高官ともコネがあるよ。では、自室へ戻りたまえ」
「了解しました、ありがとうございます、艦長」言うやティアは敬礼し艦橋を退出する。

 ティアはわかっていた。自分が問題を履き違えていることは、承知の上なのだ。仇である武装商船船長は無益に同盟艦を撃沈したことを悔い、責任を取って自決したのだから。
 だがどうしても、度重なる汚名の屈辱の中で育ってきた過去を清算したい。生き抜く理由が……他に見つからないのだ。
 わたしはティア・ラスター。『輝く涙』。周囲から常にずっと嫌がらせを受け涙してきた過去を清算し、売国奴とされた家名に輝きを取り戻さなくては。

 柄の悪い生徒ばかり群がる学区のジュニアハイでは、全世界が敵に見えていた。孤独だった、嘲笑と虐待の対象として。
 苦学しそこそこのレベルのハイスクールに入るや、穏やかな環境に驚いた。なまじきちんと学んできた成績の良い生徒はモラルがあり、他人の悪口を言わないものだ。
 入学式、前年度生徒会長をしていた先輩が、卒業後は徴兵され、二等兵として前線に赴くことを決断したことが訓示にあった。それも、すでに合格していた大学への進学より早く。
 それで誓ったのだ、自分も……ティアは力を求めていた。幼いころから、武術に憧れた。しかし、学校では密かに手を回され、悪用されたらまずいとばかりに、武道や格闘技は習えなかった。

 もどかしい思い出だ。言葉を言い繕ってもしかたない、いじめを受け、両腕を左右から男子生徒二人に締められ、さらにもう一人にティアは汚らしい掃除に使うモップで頭や顔を叩かれた。
 教室内の他の連中は、「汚ねえやつ」とか「臭い、寄るな」とかティアをさんざん侮辱していた。護身の術はなかった。
 そんな環境下の毎日が続いたのに、学校教師連中は虐待の事実を隠蔽した。大勢の加害者全員を敵に回して相手にするより、一人の被害者の口を塞げば、事は済むからだ。
 どこかで聞いた、あるセリフを思い返す。「恥辱を受けた戦士は、死ぬためだけに存在する。過去の汚名をそそぐために」

 だから、わたしは戦士になる。兵士としてより戦士に。こんな腐った社会の大義や戦争なんて関係ない。ただ自分の矜持に掛けて……無意味な、無価値な世界に死に場所を求めて。
 自室に入るや机に向かい、情報端末を開く。ネット検索で、フェザーンの武装船を調べようとするが、やはりだめだった。厳しくフィルターがかけられている。
 貿易商売立国のフェザーンはなまじ、情報網のセキュリティが堅い。交易品の原価に仲買い売買価、それに航路図などは決してネットに流れない。
 うわさでは、地球教とか名乗る右翼宗教組織の陰謀が絡んでいるとか。その教徒は同盟にも帝国にもいる……ん?

 フェザーンの初代自治領主レオポルド・ラープは地球出身の大商人だとか。なにかおかしいな、地球は人間を始め生命を育んでくれた母星だが、資源は枯渇しているのに。どうやって富を。
 ラープが帝国への多大な賄賂によりフェザーンを買い取ったのは、常識だ。おまけに同盟とも交易し、フェザーン回廊の航路図は帝国同盟とも隠し秘密にして利益を独占できる構図にしたというのに。地球教とやら、なにかひっかかるな。
 ふと、帝国のラスター家の情報を見てみる……帝国軍の人事機密にまでは踏み込めないが、個人の有名人情報なら、閲覧できる情報力は同盟にはあるのだ。検索……!?

 ブレード・フォン・ラスター少佐? 帝国辺境惑星ロキの大地主で帝国騎士、二十二歳?! まさかこいつは……
 ティアは調べていった。ラスター姓はありふれているが、同盟の名前を持つたかだかライヒスリッターが、こんな若くしてしかも士官学校を出ていないのに、帝国軍少佐なんかになれるはずはない! そうか、地主の資金力か! 領主に贈賄したな。
 間違いない、ラスター家汚名の元凶の子孫! よりにもよって軍人となり同盟と戦っているのか! ティアは頭に血が上るのを感じていた。頭痛が血流とともに波打つ。
 
 こうしてフェザーン、帝国、同盟の数奇な運命をさまよう人々の舞台とシナリオは整えられた。広大な宇宙に浮かぶ砂粒の一つのような銀河系の、塵のような惑星に住む愚かな人類の戦争という名の同族殺しの悲喜劇の、ほんの片隅の物語。
 彼らが無事に各々の役割を最後まで演じられるかは、神すら予知出来ぬであろう。
 
* 銀河英雄伝説フェザーン戦記 序章  終 *

5 要塞陥落