アスターテ会戦の後。フェザーンに戻っていたコルセア号の操舵室――船長、操舵航法士、砲雷長の三名――で、コルセア船長は航法士の女性シアーに話しかけていた。「あのときの同盟第二艦隊司令官代理のヤン準将だが。ハイネセンに帰還するや少将に昇進し、新たな艦隊司令官となった。なにか匂うと思わないか?」
シアーはきょとんとしている。「なにが疑問です? 敗軍の将が昇進したことですか? 奇策を用いて戦力に勝る帝国艦隊と互角に渡り合ったのですよ、常人の業ではありません」
コルセアは説明した。「艦隊司令は、通常中将以上の将官が務める。敗残兵を、しかも未熟な新兵を加えてまでして再編成して無理やり構成された少数の艦隊。なにか妙だ」
「ヤンとやらは、弱冠二十一歳の新米中尉時に民間人三百万人の救出に成功した、まさに英雄です。敗残兵、新兵。並びに市民の士気を高める同盟政府の意図ではないでしょうか」
「そうか……そうだよな、比べたら僕らが救ってきた兵士はたかだか数千人だ。いずれもあの帝国の金髪さんが勝利した、レグニッツアにティアマト、アスターテ。連戦はしたが、ヤンに比べたら桁が三つ違う」
「桁三つ、千倍。器が違う人間とは、確かにいるものですね」
「だからこそ、きな臭いんだ。ヤンが政界に転向すれば、間違いなく大多数の支持を集める。悪いことに同盟の国防委員長は、ヨブ・トリューニヒトだ。僕はこの男を好かない」
「トリューニヒトですか。映画俳優みたいで、見た目はいかしたおじさまですよ」
「彼は自称愛国者のくせに、ユニバーシティ時代から進学を続け、兵役を避けてきた。志望も後方勤務、一族に前線に出たものはいないような家柄だ。自身の保身のために、ヤンに法外な危険な任務を圧しつけるかもしれない」
「まさか……ヤンは連戦し、生き延びて将官となりましたが」
「だからここは眼が離せないのさ。同盟は大学へ進む学費の無いような少年を徴兵しては前線送りにしている。金持ち連中は進学し学歴を鼻にかけ、特に余裕ある家庭は大学院まで進んで完全に兵役に就かず、卒業するやいきなり大企業の管理職になるって筋書きだ。は、なにが自由の国だ」
「ヤンは違うと聞きます。貿易商人の父に宇宙で育てられ、父が事故死すると愛国心から士官学校へ入った」
「商人仲間の話ではね、ヤンはハイネセン大学歴史学科志望だったのはけっこう知られているんだよ。単に親に死別し、一銭もなくなり、只で勉強するために士官学校へ入った。愛国心はどうか知らないが、本来は軍人になるような男じゃない。歴史家になって、将来一冊歴史書を出版できるのが夢、だったとやら」
「あくまでうわさでしょう?」
「ヤンは戦史科だった。しかし途中で戦史科が廃部されることになり、抗議活動の筆頭すらしていたのは事実だ。特に機密事項ではないから、これはファイルを閲覧すれば確認できるよ」
「それが自由の国の自由か……少年、きみならどう思う?」
サブローは端末ナビで、最適航路の計算を繰り返しながら、コルセアとシアーの会話を流し聞いていた。『少年』と呼ばれるような乗員は、自分しかいない。「は、俺?」
笑みを見せるシアー。「今回はちゃんと会話聞いていたのね、サブロー。多方面に集中力を割ける能力は素晴らしいわ」
「自由、か。俺は孤児だ。社会の屑として施設暮らしからのジュニアハイは耐えられなかった。だから三等航法士と二等商書士の資格を取りたらい回しにされたあげく、この船に乗った」
「特等砲撃士の資格を口に出さないところがサブローらしいわ」
「それは大パニックだったというね」普段穏やかなコルセアがくつくつ笑う。「シミュレーターマシンが故障したか、ハッキング行為があったのかとの嫌疑を掛けられて。とても人間技とは考えられないスコアだったとか」
サブローは憮然と答えていた。「俺は馬鹿で非力だが、反射神経に動体視力だけはあったらしいね。もっともフライングボールを練習させてもらえるような生まれじゃないから運動は不得手だ。だがあのゲームみたいなシューティングは幾何学だな。暗算と偏差照準、スイッチ。それだけだ」
「少年、きみは見込みあるよ」コルセアは柔和に語る。「同盟なんかではなく、貿易国家フェザーンこそが真の自由な国だ……の、はずなのに。政府の飼い犬みたいな仕事させて、みんなには悪いと思っている」
サブローは恐縮していた。「なにを卑下するのです。船長は立派です。それは確かですよ」
シアーはぽつり、と言った。「先代、スリーの不幸を思い返してしまいますね」
「不幸とはなんです? スリーならフォー船長の父でしょう?」
「三度目の正直ならぬ、三度目の失敗さ」コルセアはやるせなく話していた。「過去の両国のよくある一大会戦のとき、僕の父は突出し過ぎた。僕のやる兵士救出ではなく、戦利品の鹵獲作業中、収容作戦任務の同盟艦と衝突した。和解できず、砲火を交えてしまった……同盟駆逐艦を撃沈してね。次の日、船長室で父は拳銃自殺していたのが発見された……以後、僕はこの船を引き継いだ。もう二年以上前のことなのに、昨日のことのように忘れられない」
シアーは寂しげだった。「先代は優秀な操舵士でした。補充要員として新任した私なんかよりずっと」
「シアー、きみも成長したよ」
「私が補給艦との接触に失敗し、燃料ノズルを根こそぎ引きちぎってしまったのは有名でしょう?」
「だが、きみの対処は早かった。即座に推進ドライブを停止していなければ、中性子爆発だったからね」
穏やかに話すコルセアだが、サブローはぞっとしていた。「そんな危険なことがあったのか? 両艦全員即死もの……」
「ああ、サブロー。きみは商人志望だったよな。あのヤン少将も父は商人だ。彼は軍人になったのは不本意なのではないかな」
シアーは意見した。「ですが、エル・ファシルは民間人を見捨て逃亡を謀った同盟艦隊を逆にオトリとして成功したもの。任務遂行の苦労では私達の方が上かもしれません」
「悪評家は、ヤンは楽に地位を稼いだ、としている」
「自称批評家なんて、悪口しかいいません。どうせ実戦体験の無いエリート学者もどきの戯言です。あら?」シアーは情報端末のリレー音に振り返った。戸惑うようにおずおずという。「妙な情報が入っています……あのヤン少将率いる第十三艦隊ですが、ハイネセンを出港したのは演習ではなく……イゼルローン要塞の攻略にあると。半個艦隊のみで? 正気の沙汰ではありません」
「銀河の航路図を握るフェザーンの情報網は、帝国同盟なんかよりはるかに確かだ」コルセアは断言した。「では出向うか、イゼルローンへ。無論、七度目の敗北必至な同盟側から回るぞ」
「戦果より民間人を救出した英雄。つまらないことで失うには、惜しい男ですからね……え!? この司令はシトレ元帥が下しているわ。しかも副官に、グリーンヒル大将の娘がなっている」
「それは意外だ。二人とも温厚な良識派として知られるのに」
サブローは意見した。「どれだけの会戦になるかな……同盟は三個艦隊くらい出撃しておかしくない。トールハンマーで吹き飛ぶであろう同盟艦艇を救助するのは、危険が大きいですね」
「情報を整理したのですが」シアーは疑問気だ。「イゼルローン攻略に向かうのは、やはり第十三艦隊だけのようです」
「きな臭いな、だが」コルセアはぼやいた。「たとえどうあれ、僕らは果たせることを努めるだけさ」
サブローは愚劣な戦いの中、名誉に生きることを誓っていた。
衰退する銀河帝国、ゴールデンバウム王朝。宇宙暦最盛期には、三千億人もの人口がいたというのに、いまや二百五十億人だけだ。同盟、フェザーンを含めても四百億人がやっと。
だからこそサブローは新たなフロンティアを目指すのだ。商人として。少年だからこそ求められる夢かもしれない。
4 復讐……
シアーはきょとんとしている。「なにが疑問です? 敗軍の将が昇進したことですか? 奇策を用いて戦力に勝る帝国艦隊と互角に渡り合ったのですよ、常人の業ではありません」
コルセアは説明した。「艦隊司令は、通常中将以上の将官が務める。敗残兵を、しかも未熟な新兵を加えてまでして再編成して無理やり構成された少数の艦隊。なにか妙だ」
「ヤンとやらは、弱冠二十一歳の新米中尉時に民間人三百万人の救出に成功した、まさに英雄です。敗残兵、新兵。並びに市民の士気を高める同盟政府の意図ではないでしょうか」
「そうか……そうだよな、比べたら僕らが救ってきた兵士はたかだか数千人だ。いずれもあの帝国の金髪さんが勝利した、レグニッツアにティアマト、アスターテ。連戦はしたが、ヤンに比べたら桁が三つ違う」
「桁三つ、千倍。器が違う人間とは、確かにいるものですね」
「だからこそ、きな臭いんだ。ヤンが政界に転向すれば、間違いなく大多数の支持を集める。悪いことに同盟の国防委員長は、ヨブ・トリューニヒトだ。僕はこの男を好かない」
「トリューニヒトですか。映画俳優みたいで、見た目はいかしたおじさまですよ」
「彼は自称愛国者のくせに、ユニバーシティ時代から進学を続け、兵役を避けてきた。志望も後方勤務、一族に前線に出たものはいないような家柄だ。自身の保身のために、ヤンに法外な危険な任務を圧しつけるかもしれない」
「まさか……ヤンは連戦し、生き延びて将官となりましたが」
「だからここは眼が離せないのさ。同盟は大学へ進む学費の無いような少年を徴兵しては前線送りにしている。金持ち連中は進学し学歴を鼻にかけ、特に余裕ある家庭は大学院まで進んで完全に兵役に就かず、卒業するやいきなり大企業の管理職になるって筋書きだ。は、なにが自由の国だ」
「ヤンは違うと聞きます。貿易商人の父に宇宙で育てられ、父が事故死すると愛国心から士官学校へ入った」
「商人仲間の話ではね、ヤンはハイネセン大学歴史学科志望だったのはけっこう知られているんだよ。単に親に死別し、一銭もなくなり、只で勉強するために士官学校へ入った。愛国心はどうか知らないが、本来は軍人になるような男じゃない。歴史家になって、将来一冊歴史書を出版できるのが夢、だったとやら」
「あくまでうわさでしょう?」
「ヤンは戦史科だった。しかし途中で戦史科が廃部されることになり、抗議活動の筆頭すらしていたのは事実だ。特に機密事項ではないから、これはファイルを閲覧すれば確認できるよ」
「それが自由の国の自由か……少年、きみならどう思う?」
サブローは端末ナビで、最適航路の計算を繰り返しながら、コルセアとシアーの会話を流し聞いていた。『少年』と呼ばれるような乗員は、自分しかいない。「は、俺?」
笑みを見せるシアー。「今回はちゃんと会話聞いていたのね、サブロー。多方面に集中力を割ける能力は素晴らしいわ」
「自由、か。俺は孤児だ。社会の屑として施設暮らしからのジュニアハイは耐えられなかった。だから三等航法士と二等商書士の資格を取りたらい回しにされたあげく、この船に乗った」
「特等砲撃士の資格を口に出さないところがサブローらしいわ」
「それは大パニックだったというね」普段穏やかなコルセアがくつくつ笑う。「シミュレーターマシンが故障したか、ハッキング行為があったのかとの嫌疑を掛けられて。とても人間技とは考えられないスコアだったとか」
サブローは憮然と答えていた。「俺は馬鹿で非力だが、反射神経に動体視力だけはあったらしいね。もっともフライングボールを練習させてもらえるような生まれじゃないから運動は不得手だ。だがあのゲームみたいなシューティングは幾何学だな。暗算と偏差照準、スイッチ。それだけだ」
「少年、きみは見込みあるよ」コルセアは柔和に語る。「同盟なんかではなく、貿易国家フェザーンこそが真の自由な国だ……の、はずなのに。政府の飼い犬みたいな仕事させて、みんなには悪いと思っている」
サブローは恐縮していた。「なにを卑下するのです。船長は立派です。それは確かですよ」
シアーはぽつり、と言った。「先代、スリーの不幸を思い返してしまいますね」
「不幸とはなんです? スリーならフォー船長の父でしょう?」
「三度目の正直ならぬ、三度目の失敗さ」コルセアはやるせなく話していた。「過去の両国のよくある一大会戦のとき、僕の父は突出し過ぎた。僕のやる兵士救出ではなく、戦利品の鹵獲作業中、収容作戦任務の同盟艦と衝突した。和解できず、砲火を交えてしまった……同盟駆逐艦を撃沈してね。次の日、船長室で父は拳銃自殺していたのが発見された……以後、僕はこの船を引き継いだ。もう二年以上前のことなのに、昨日のことのように忘れられない」
シアーは寂しげだった。「先代は優秀な操舵士でした。補充要員として新任した私なんかよりずっと」
「シアー、きみも成長したよ」
「私が補給艦との接触に失敗し、燃料ノズルを根こそぎ引きちぎってしまったのは有名でしょう?」
「だが、きみの対処は早かった。即座に推進ドライブを停止していなければ、中性子爆発だったからね」
穏やかに話すコルセアだが、サブローはぞっとしていた。「そんな危険なことがあったのか? 両艦全員即死もの……」
「ああ、サブロー。きみは商人志望だったよな。あのヤン少将も父は商人だ。彼は軍人になったのは不本意なのではないかな」
シアーは意見した。「ですが、エル・ファシルは民間人を見捨て逃亡を謀った同盟艦隊を逆にオトリとして成功したもの。任務遂行の苦労では私達の方が上かもしれません」
「悪評家は、ヤンは楽に地位を稼いだ、としている」
「自称批評家なんて、悪口しかいいません。どうせ実戦体験の無いエリート学者もどきの戯言です。あら?」シアーは情報端末のリレー音に振り返った。戸惑うようにおずおずという。「妙な情報が入っています……あのヤン少将率いる第十三艦隊ですが、ハイネセンを出港したのは演習ではなく……イゼルローン要塞の攻略にあると。半個艦隊のみで? 正気の沙汰ではありません」
「銀河の航路図を握るフェザーンの情報網は、帝国同盟なんかよりはるかに確かだ」コルセアは断言した。「では出向うか、イゼルローンへ。無論、七度目の敗北必至な同盟側から回るぞ」
「戦果より民間人を救出した英雄。つまらないことで失うには、惜しい男ですからね……え!? この司令はシトレ元帥が下しているわ。しかも副官に、グリーンヒル大将の娘がなっている」
「それは意外だ。二人とも温厚な良識派として知られるのに」
サブローは意見した。「どれだけの会戦になるかな……同盟は三個艦隊くらい出撃しておかしくない。トールハンマーで吹き飛ぶであろう同盟艦艇を救助するのは、危険が大きいですね」
「情報を整理したのですが」シアーは疑問気だ。「イゼルローン攻略に向かうのは、やはり第十三艦隊だけのようです」
「きな臭いな、だが」コルセアはぼやいた。「たとえどうあれ、僕らは果たせることを努めるだけさ」
サブローは愚劣な戦いの中、名誉に生きることを誓っていた。
衰退する銀河帝国、ゴールデンバウム王朝。宇宙暦最盛期には、三千億人もの人口がいたというのに、いまや二百五十億人だけだ。同盟、フェザーンを含めても四百億人がやっと。
だからこそサブローは新たなフロンティアを目指すのだ。商人として。少年だからこそ求められる夢かもしれない。
4 復讐……