シントの中枢。そこには数十階建てという、細長い巨大な建物がいくつも並ぶ。壁は灰色が多いが、窓ガラスは大きく明るい。魔法文明の時代は、新都心オフィスビル街と呼ばれていたその町並み。一角のホテルとして使われていた建物に、今日もリティンはいた。王子の勤めを果たす、王宮。

 かれの執務室は今日は一人ではなかった。もう日が暮れてしまったのに。リティンはテーブル越しに客人と向かっていた。結局、せっかく出向いてくれたのに話し合いは物別れに終わった。敵の基地では彼女を心配しているはずだ。優しく言うリティンだった。

「帰らなくて、いいのかい」

 人間の少女はソファーに浅く座り、身を乗り出していたがその顔をうつむけた。

「わたし、身寄りがないんです。ずっと父と二人暮らしでした。そのお父さんももう、いない」

「そうか。医療の進んだシントなら、長生きできたかもしれないな」

 返事がなかった。無神経だったな、なぐさめるしかない。

「ごめん、悪かったな」

「すみません。わたし、王国に帰りたくない」声は震えていた。「父は処刑されました、解放戦争を起こした扇動の罪で」

 はっとした。扇動? とすると。

「もしやきみの父は、カルトロップ殿か」

「え?」

チャクラムも驚いた様だ。とまどうようにうなずく。

「そうだったのか。きみとは十年以上前、会ったことがある。カルト殿と一緒にね」

 覚えてないか。当然だな、きみは小さかったから。私だって王子ではなく、一介の民間人。学生の少年だった。

 脳裏に一人の親子が過ぎる。禁忌を侵してまでシントを訪れた人間。穏やかな顔に深い悲哀と慈悲の念を隠し持つ、若い理想家カルトロップ。かれに連れられていた、幼い少女。腐敗した人間の王国を解放しようとした革命家とその娘。説明する。

「カルト殿はね、私たちの国に来て過去の文明を学んだのだよ。いずれ人間の国を、民衆主権の共和国にするためにね」

 私はチャクラムを改めて見直した。親と同じ危険を犯してやってくるとは、血筋なのかな。少女の驚きの顔は、やがて悲しみに変わった。

「なんでわたしたち、争わねばいけないのかしら」

「人間たちが、攻めてきたからさ」

「やはりそうなのね、戦争って」チャクラムは悲しげに目を伏せた。「わたしたちではね。悪鬼が、いえごめんなさい。亜人が先に侵略をしてきたといっているわ。戦争に踏み切ったのは、レイピアの判断です。かれは魔法文明を再興したかったんです」

「だろうね」

わかっている。それは両方とも正しい。

 私たちシントには侵入者が頻繁におり、その山賊まがいの人間の暴行・略奪事件が相次いだ。シントの財宝、古代文明の遺産を求めていたのだ。定かではないが、私たちの亜人も似たような行為をしていたものがいるだろう。現に金目当てに、われらの竜を人間の野心家に売りつけていたものも存在する。それは竜騎兵による空賊団を結成し、人間の王国を荒らし回ったとか。そうでなくても亜人は人間の奴隷とされていたことを恨んでいるし、人間は魔法文明と亜人を忌み嫌う。

「でもリティン様、わたしたちは和解できるはずです」

 またその話か。無駄なことだ。今日は何度も同じ事を堂々巡り、さんざん話したのに。しかし彼女はまた熱心に話す。だが今度は別の事を言った。

「秘密を打ち明けます。ダグアは竜を封印しようとしていたんです、魔剣を使って」

「! そうだったのか」驚愕だった。冷水を浴びたような衝撃が、体に走った。魔剣……あれのことだ。そうすればたしかに、余計な戦乱は防げたろう。ダグアらしいな。しかし、かえって切なくなった。決定的に戦力に劣る、私たちには受け入れられない。「それはできないよ。竜がわれらシントの唯一の守りなのだから」

 少女は悲痛な目線を私に送る。

「だが大切なことを教えてくれたから、お礼を返すよ。あそこの窓を見てくれ」

 私は二人から見て側面にある、壁一面をおおう窓ガラスを指差した。他のビルの明かり、夜景がうかがえるその窓。しかしそれはぱっと消えた。映し出されるのは、壁紙のような模様。それに、文字や絵の書いてあるいくつもの小窓。チャクラムは驚いているようだ。なにも言葉が無い。教えてやる。

「魔法の鏡って、ところかな」

 私はパネルを操作し、画面にある情報を映し出した。画面いっぱいに、二つの長剣が表示される。宙に浮いたそれはゆっくりと回り、全体を見せる。ひとつは白銀に輝き、滑らかに反る刃はくねくねと波打っている。もうひとつはガラスのように透き通っていて、真っすぐな刀身をしている。

「きみのいう魔剣って、これのことかい?」

「フレイムタン! それにダグアの持つアイシクル……」

「ただの挿絵だけどね。「炎舌」と「氷柱」この二つの剣は「端末」なんだ。武器としての機能は単に防衛装置に過ぎない」

「たんまつって?」

「例えるなら、カギだ。この世界を守るための封じられた秘宝を開くためのカギ」

 そのカギが二つあるのは、保険だ。決定的な戦力が一人の人間の手に集中しないように。その片方がいま、ダグアの手にあるとすれば。もう片方は私が確保せねばならないな。しかし、それはいまどこに?

「その秘宝が、竜というわけね」

「違うよ」誤解されて当然だな。途方も無い話だから。「竜は、自らの意志でその秘宝を守ろうとしているのだ。だからそのカギの持ち主にしたがう」

 竜は自身と同じ境遇の、亜人と同盟意識を持つ。それが圧倒的に人口と国力で劣るシントに、竜という強力な味方が多数ついている理由。人間の騎竜となった竜は少数だ。その少数の竜は、別の盟約に従って動いている。その盟約とはカギを、ひいては秘宝を守ることなのだ。

「じゃあその秘宝って?」

「大変なシロモノさ」彼女に教えてはいけないと、承知していた。だが話すことにした。「天界の国の話しは、聞いたことがあるかい?」

「え? まあ御伽話なら」

 そうだろうな。人間たちは忘れ去っていて自然だ。

「過去の人間はね。空を越えてさらに飛翔することが、できたんだ。そして別の星に移り住むことができた。太陽を巡る別の惑星に。そこに別の国があるのさ、いまでもおそらくね。そしてそこに、「秘宝」がある。地上のあらゆる生命を守ってくれる、偉大な宝が」

 私はゆっくりと、語り始めた。遠い、昔話を。

「実はね、魔法文明のころの人間が、竜を生み出す前に。そのはるか昔にも、竜は存在していたんだ。とんでもない昔さ。魔法文明があったのは、せいぜい数百年前。なのに昔の竜がいたのは、数千万年前。人間なんて生まれる何百倍もむかしさ。

 でもその存在なんて、知らなかったろう? 昔の竜はすべて死に絶えたからね。おそるべき災害、地上に星が降ってくるという事件によって。その星による大爆発は、昔の生き物の大半を滅ぼしてしまったのさ。だけどね。いまは、大丈夫なんだ。もしまた星が降ってきても、それは「秘宝」が防いでくれるから……それはね、星を打ち砕ける巨大な大砲なのだよ。空の上に浮かんでいる、魔法の巨砲」

 それを使うためのカギ、魔剣。もともとその道具は、シントが人間に譲渡したものだから。そしてこの剣を持つものに、竜は忠誠を誓うようにと盟約を結んで。貧困と戦乱の暗黒時代から人間たちを救うためだった。幾人かの勇者がそれを用い、ようやくまとまった国をつくった。それが人間たちのフランベルジュ。

 武力で民衆を押さえつける、専制主義の王国。当時の荒廃した人間たちの水準では、それが限界だったのだろう。やがて時代は動いた。カルトロップによる解放戦争。再びこの武器が使用され、王国にも民衆主権の動きが現れた。しかし、人間たちは王国を統一すると、シントへ攻めてきた。

 その指揮官がファルシオンだ。ファルシオン。苦々しい思いでその名をかみしめる。なにが英雄騎士だ。確かに考えはわかる。人間たちを導く理想のためなら、困難も障害も犠牲も厭わない人なのだろう。歴史で言う大抵の「英雄」と呼ばれる人物に共通しているな。私は、決定的なことを打ち明ける。

「しかしその秘宝は、使い方をかえれば。同様に地上を焼き払うこともできる。融合炉の爆発並みの威力でね。一撃で千の兵士が、一つの町が吹き飛ぶのだよ」

 少女は、驚愕の顔を私に向けていた。しばし無言だったが、やがておずおずと言う。

「わたしに、そんな秘密教えていいの?」

「そうだな。もう、きみを帰すわけにはいかない」

! ワナにかかったことを少女は悟った。

 返事はなかった。硬直した体は、たじろぎすらしない。彼女には、行く場所がないのだ。誰からも必要とされていないのだろう。そんな弱みにつけこむなんて、卑怯な手だとは承知していた。だが彼女を手放したくないのだ。私の地位、孤独な玉座は冷たすぎた。わがままとは承知する。傲慢な暴力だ。チャクラム、軽蔑してくれ。

 私とチャクラムは互いの目を見つめ会っていた。彼女の茶色の目が潤んでいる。沈黙の数瞬が、経過した。このままその時が続いていたなら、あるいはいつか、分かり会えたかもしれない。しかし運命は無情に動いていた。

 ドン! ドン!。

 荒っぽいノックがしたと思うや、執務室の扉は私の返答を待たずに開いた。軍服をまとった鬼の士官が入ってくる。それだけでもただごとではない。私はすぐさま立ち上がって応対した。

 士官は姿勢を正すや、大声で報告した。

「前線で動きがありました! 竜騎兵百騎を越える大攻勢です」

「ダグアか!」