人間たちの王国、フランベルジュと辺境をはさんだかなたに、亜人たちのシント共和国がある。

亜人。それがかれらの種としての名前だ。大きく分けると、鬼、妖精、小人にわかれるがいまは混血が進んでいる。鬼はツノを有し力に優れ軍人となる。妖精は容姿と知性に優れ文官となる。小人は秀でた特徴が無いが、家庭的な仕事につき概して温和で社会を円滑にする。

もっともそれは一般論でありシントの民は、職業はなにを選ぼうと自由だ。

 シントは古代の遺跡から出来ていた。昔この国は「太陽の麓」と呼ばれていた、世界の東の最果てにあるちっぽけな島国だったとか。シントもフランベルジュもその一部に過ぎない。

木造ではない、だが自然の岩石とも違う素材の建造物。その雑多な灰色の町並み。一角にあるホテルとして使われていた建物が、いわばシントの城だった。その高層階。

 王子リティンは一人、執務室の机を前にゆったりした椅子に腰かけていた。まとっている衣装はクラシックな灰色のスーツにスラックス。下には白いシャツ、首にはタイ。魔法文明の頃の普通の衣服だ。部屋はもともとリビングであり、絨毯の上にはテーブルとソファー。天井の照明は付けていたがいらないほど、壁一面の窓からさわやかな朝日が差し込む。昨夜の嵐がうそのようだ。

 書類の山を前に業務をこなしながら、リティンは額の右すみにある小さなツノを弄んだ。かれは長命な妖精の血と強い鬼の血、それに愛らしい小人の血が混ざっているのだ。

結果として人間並みの長身ですらりとした体格と、三二という実際の年より幼く見える美貌とまでいえる風貌となっている。人間の歳でいうと二三、四か。やや褐色のかかった端正な顔に、憔悴の色が浮かぶ。

 シントの戦力は劣勢。人間たちはいつ決戦を挑んでくるだろう。こんな非常時なのにわれらの兵士たちの士気は下がる一方、軍からの脱退者も多く出た。無理もない。民衆主権の志願兵制だからな。いままで協力してくれただけで、他よりは貢献したというものだ。

 この永きに渡る豊かで平和な世。戦争になっても、生活に不自由しない多くは現実から目をそらしている。戦争を否定する、平和論者ならまだいい。しかし権力者は正義の戦争を支持しても決して自分では戦わない。彼らは兵士たちの死に、敬意を払うのだろうか。

 前線に赴くのは、経済的・社会的弱者ばかり。過去の私のような、と皮肉に思う。現在のシント共和国君主リティン、傀儡の飾り物には。これが現実では、兵士たちの士気も下がるというものだ。

 シントの文明は発展しているのに、民衆の社会風紀は退廃し、政府は民衆から選ばれた議員というのに腐敗し切っている。立憲君主制の王子の私には、事態を変えられるだけの権限はない。王子の地位なんてその程度のものだ。

 ふと、思う。肥え太るのは権力者ばかり、兵と民衆には何も得るものはない、虚しい戦争。それは王国の人間たちも変わり無いはずだ。かれらはこの戦争をどう感じているのだろうか。

 かれらは私の事を、撃墜王鬼士エリムと呼んでいるらしいな。

 ここのところ、私は自ら出撃しても戦果をあげられなかった。私が近寄ると、敵竜騎兵は逃げていってしまうのだ。指令が徹底している。敵の指揮官は大した人物だ。

ダグアと言ったな。『撃墜王ソードケイン卿ダグア連隊長』。やつとは二度、空で遭遇した。

 一回目の時は大乱戦となった。互いが引き連れていた十騎ほどの部下は、ほとんど生き残らなかった。私とダグアは長時間格闘戦(ドッグファイト)をしたが、ついに決着はつかなかった。

退いたのはダグアの方だ。部下を助けに向かったのだろう。恐ろしい敵だった。私は緊張の余り、全身に汗していた。

 二回目の遭遇で、ヤツの名がわかった。私が敵を追いつめている時に現れたのだ。ダグアは部下を逃がすための時間稼ぎで私に挑んだ。そのときに話しかけてきたのだ、通信機で。まったく、やつらは私たちの使う道具を分捕って使っているのだからな。

ダグアは和平を求めてきた。これ以上の殺し合いは避けようというのだ。私たち亜人の敗北は目に見えているから。

だが、奴隷としての身分、敗者としての自由など受け入れられない。苦しいが、なんとか乗りきって……。

 インターホンが鳴り、声がした。

「リティン陛下、よろしいでしょうか」

「入れ」

不機嫌に手を振ってやる。陛下と呼ぶのはよせと言っているのに。私は殿下でもない。ここは共和国だぞ、民主主義の。私は君主とはいえ飾り物だ。たしかにそれでいて一番の戦士であることは、部下たちの対応もわかるが。

共和国シントでは象徴である王子の座は世襲ではない。実力でかちえたのだから。平和な時代なら、私のような武人はなれなかったろう。事実、現国王(立場的には私と同位)は福祉を充実し内政に功績のある穏やかな小人だ。無論、私と血縁はない。

 部屋に入ってきた大柄な鬼の武官は報告する。

「人間を捕らえました。それが陛下への御目通りを願っているのです」

 珍しいな。シントでは捕虜は捕らえていない。降伏した人間は、王国に送り返している。甘い対応とは承知している。いつまでこの状況が続くものか。

だがたとえ最悪の結末を迎えるときでも、誇り高く戦い抜くのみ。

「使者か」

「いいえ」

 士官は恐縮した。私に脅えているのだ、王子としての権力に、か。部下をまとめるほかはなんの価値もないのに。

平民からなんら後ろ盾なく王族へ駆けのぼる道は、無論平坦ではなかった。甘い事など許されなかった。ライバルを追い落とすために奮闘し、結果私に心服する部下は多くできたが気を許せる友は一人もいない。

厳しいとは承知している。だが、この時代を乗り切るため必要だったのだ。誰かが立たなければ。

 士官は平服して声をしぼった。

「お時間が無い事は承知しています。ですがどうも、陛下を承知している者らしいのです。会ったことがあるとか、名をチャクラムという若い女です」

「通してくれ。丁重にな、かせなどつけるなよ」