セックスで

妻を愛することができるように

妻を狂わすことができるように

僕はまず最初にAVを観まくった。

 

 

AV?

 

 

全然セックスというものが

わかってないじゃない。

そんな風に言われるかもしれない。

 

 

でも僕はそうは思わない。

 

 

AVのようなセックスは

本当に感じるセックスではない。

AVを観て学んでも意味がない。

 

 

それは、

”自慰行為”を前提としてだ。

男の欲望を満たすために

観るならば、そうだと思う。

 

 

僕はその観点から観ていない。

自慰行為をしていない。

勃ってもいない。

勃つのも忘れて集中した。

 

 

「女性を感じさせる」

 

 

この一点に集中してAVを観ると

意外と勉強になる。

 

 

仕事が終わった後、

時間をみつけては

ネカフェで

AVを見続けた。

 

 

逝かせることに重点を置いた

作品を集中的に見続けた。

早送りで重要な場面だけを。

 

 

100本を観終わったころ、

 

 

あることに気がついた。

 

 

 

 

 

妻の身体は

”開発”されていた。

 

 

前の旦那さんが開発したのか?

いや違う。

嫉妬ではない。

男の感。

 

 

その後の男性陣だ。

 

 

離婚した後、

傷ついた妻は、

かなり性生活が乱れた。

 

 

今振り返れば

離婚の傷は相当のものだったと思う。

僕は安易だった。

 

 

5年の結婚生活で

1年目以降はセックスレス。

 

 

女性としてのプライドというか

何というか

傷の深さはどれほどだったのか

セックスレスとは

どれほどの傷を負うのか。

妻に教えてもらった気がする。

 

 

離婚後の数年で

妻の身体を通り過ぎていった

男性達の数は

想像するのも怖い。

 

 

でもその中の何人かが

妻の身体を開発したんだ。

 

 

すぐ逝ける身体に。

 

 

僕は、付き合った当時

とっさにそのことに反応した。

 

 

俺ってテクニシャン?

と勘違いしなかったことだけは

自分で自分を誉めたい。

 

 

でも、

妻をもっと逝かせる

という自信がなくて

マニュアルなセックスに終始し

 

 

愛を別のものへとすり替えた。

 

 

臆病だ。

 

 

でも、考えを変えた日

妻とのセックスに向き合った日

 

 

僕は、妻を開発した

顔も知らぬ男性陣に

 

 

嫉妬はしつつも

尊敬の念を抱いて

そして

感謝した。

 

 

開発された妻でなければ

僕はセックスとは何か

というものに近づけなった。

 

 

妻を一番に感じさせることが

できる男になる。

絶対になる。

逃げのセックスじゃだめだ。

 

 

そう決めたのは

妻と結婚して数年後のある日。

 

 

そして、

僕の修行の日々が始まった。

 

 

馬鹿だと思われるかも

知れないけれど、

 

 

僕はその日から

狂ったように

AVを片っ端から観るという

行動に出た。

 

 

※AVのようなセックスをしていたら

セックスなんて分かる訳がないとの

ご意見がきそうですが、そうはなら

ないことを先に申し添えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻を愛そうと決めた日

セックスが一番重要だと感じた。

 

 

もっと感じ合って

激しく求め合うような

彼女自身に触れるような

セックスがしたいと思った。

 

 

何故だろう?

 

 

妻は

僕との最初のセックスから

逝ってくれた。

 

 

勘違いじゃない。

逝ったふりでもない。

 

 

僕のテクニックでもない・・・

 

 

僕のテクニックではないんだ。

 

 

妻と身体を重ねるにつれて

身体で分かるというか。

理解した。

 

 

妻は

 

自ら気分を昂めて

 

逝ってしまえる身体だった。

 

 

そう

 

 

妻は

逝きやすい身体に

 

 

調教されていたんだ。

 

 

・・・

調教は

ちょっと違うか。

 

 

”開発”されていたんだ。

 

 

逝くことを

コントロールできるくらい

敏感な身体に・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、妻とのセックスから

逃げていた。

 

 

逃げていたといっても

セックスレスだったわけじゃない。

 

 

殆ど毎日していた。

 

 

でも、それは逃げのセックス。

 

 

キスをして、

胸を愛撫して、

アソコを愛撫して、

合体して、

好きだ、といい合う。

 

 

マニュアルに沿った行為。

合体の体位が変わるだけ。

 

 

いいじゃないか。

どこが逃げているんだ?

殆ど毎日つながってるのに?

 

 

妻を愛そうと決めた日

逃げていると自覚した日

深層心理に、

潜在意識に触れた日

認めることができた。

 

 

妻を感じさせる自信がない男が

とった愚かな選択。

 

 

テクニックのなさを、すり替える

セックスは、綺麗なものと。

 

 

大切な女性だから、嫌われたくない

その心が生んだもの。

 

 

あのセックスのままだったら、

きっと

愛してるなんて言えなかったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、僕が「妻を愛してる」

と言えるようになるまでの話。

 

 

 

 

 

僕は妻を愛そうと決めた日があった。

いや、

もっと愛せると思った日があった。

 

あまり、愛してるを言葉で表現すると

愛が置き去りになって、薄っぺらくなる。

 

はじまりの今日だけ、使うことにしよう。

 

愛してるから結婚するのか。

結婚してから愛するのか。

愛そうと決めた日は、

愛せると思った日は、

僕が妻と結婚してから数年後のある日だ。

 

 

 

 

 

僕たち夫婦は、世間的に見れば

愛し合っている夫婦に見えただろう。

でも、もっと深く、繋がらなければ。

愛とは言えない。深く繋がる愛。

 

妻はそうしたかったんだ。

僕ができなかったんだ。

見て見ぬふりをして逃げていたんだ。

そのことで、妻は傷ついた。

 

結構激しい喧嘩が続いて、

どうしたらいいか分からくなって、

泣き疲れて、向こうを向いて眠る妻の傍らで

夢をみた。

 

ふと目が覚めて、

妻に触れて、ぞくっとした。

 

もっと深く繋がらなければ、

もっと深く妻のことを知らなければ、

愛してるなんて言えない。

初めて逃げずにそう思った。

 

妻に申し訳ないという気持ちと

好きになってくれてありがとうという

気持ちと混ざり合って。

 

妻を愛そう。

 

愛するために、深く交わるために、

まず頭に浮かんだのは、

セックスだった。

 

僕は妻とのセックスから

逃げていたんだ。