昨日はビジネス界ど真ん中の「ニューエリート」とミーティング。
なんども言うが、時代が変わっていく。
いや、すでに変わってる。
若さは才能だ。
彼らの感覚は「温故知新」のレベルをはるかに超えている。
このままでは時代に取り残されるどころか、全く違うアプローチをあたかも正しいかのようにしてしまうことになる。
特にスポーツ界は未だ昭和初期から抜けることができていない。
例えば、ポスター問題。
やたらとポスターを貼りたがるが、この効果は「知ってる人」限定になることを理解していない。
集客のためのポスターではなく、リピーターへのアプローチだ。
ディズニーランドはそれがめちゃめちゃ上手いらしい。
考えて見てもらいたい。
街のいたるところにあるポスター。
あなたはいくつその存在を覚えているだろうか。
そしてその覚えているポスターは、初見ではなく体験したものがほとんどであろう。(TVで見たとか)
スポーツ界が取り残されている。
社会から孤立して、気がつけば既得権益に侵され、より閉鎖的になる。
そして、アスリートにとっては死活問題となることがある。
それは「人の憧れの対象が変わってきた」ということ。
もう“贅沢”が憧れではない。
持っているものや住んでいるところで自分の価値を示そうとする「目立つための消費」から、時代は
ミニマリズム(無駄を省きシンプルでスマートなかっこよさ)に変わっている。
考え方は「ルールを守る」から「新しい原則を作る」に変わっている。
アスリートができることはなんだ?
アイドルとアスリートの違いからも少しみてみよう。
アイドルとアスリートはファンの定義にも違いがある。
アイドルはファンが上で「育てるイメージ」
アスリートはファンが下で「支える」イメージ。
(差し入れ文化はその最たるものだと思う)
こういったことをクラブもアスリートも理解をして新たな取り組みをしていかなければ、明治維新の侍のように、自分の中の正義だけで世界を作ろうとしてしまう。
だから、チャレンジしなきゃいけないんだ!
でもチャレンジの本質も間違えないでもらいたい。
チャレンジとは周りの人や環境に左右されているうちは何をやってもチャレンジとは呼べない。
「ハマる」ということは、気にならないということだ。
チャレンジのバロメーターはそこにある。
没頭、熱中、熱狂。
それがチャレンジの正体だ!!