先ほどの文章は、私の感情のSTEPとして必要なものなので思うままに書き殴ったが、それだけでは先に進むことはできない。

 

単なる主要科目の学業成績の優秀さとかいうレベルでなく、中学・高校時代に私がその特異なキャラクターによって誰からも一目置かれ、また「いじめ」や「いじり」や「からかい」の対象ともなっていたことは事実で(まぁ、広い世界の視線で見れば全然大したことないが)、その有名度は、学年の壁すらも超えていた。

当然ながら、いくつかの科目のある分野では教師よりも出来がよかったものだが、こういったことも中学や高校では日常茶飯事である(さすがに大学では、なかなか起きない)。だから、そこをこれ以上押す気はない。

 

だが、私にとって一つ不幸だったのは、生徒間での「いじめ」や「いじり」や「からかい」から逃れたい一心から、教師の権力を私自身利用しようと画策してしまったため、本当の意味での「反抗」をすることができなかったことである。

私のような生徒はそこまで多くはないとは思うが、それでもどんなレベルのどんな学校であっても、大抵学年に数人はいるタイプではあるので、今後、そういった人たちにアドバイスしておきたいのは、

 

何としても教師には「反抗」しなさい(少なくとも手を組むな!)

 

ということである。

 

かつての私のように、「学力」と「教師の権力」を利用して「いじめ」から逃れようなどと考えれば、当然相手側はさらに過酷な「いじめ」を仕掛けてくるのが人情というものだ。ただし中高一貫の進学校であれば、高校2年時以降はさすがに自分に学力があればそれを利用したいと考える輩は「学力という名の権力」によってある程度封じ込められるので、そのことは本当の問題ではない。

 

本当に問題なのは、自分自身が教師に適切な反抗をしなかったことにより、本当は「優等生」など私にはまったく似合わないキャラなのに(頭は確かにずば抜けてよい<理解者がいないほどに>と思うが)、進路指導などの場で「優等生扱い」を受けてしまい、それがその先の人生でさらなる悲劇を生むことになることだ。

 

ロッカーはロッカーとしてしか、アウトサイダーはアウトサイダーとしてしか生きていけない。

「3」には、人真似の人生など退屈過ぎて送れない(まぁ、当時数秘を知っていたわけではないので、これは仕方ないが)。

悲しいかな、いくら頭がよくてもその力を「学校の教科」などに使ってしまうと、最後(大学以降)までその狭苦しい方面で生きざるを得なくなる。ところが、大学生になると急速に目の前の世界が広がるように、日本のシステムではなっている。だから、前に私は「大学に行くことで頭が悪くなるケースがある」と書いたが、それ以前に自分自身が果たして本当に大学に行くべき「キャラ」なのか?ということは、どんな場合でも、よく考える必要があるのだとも思う。

いくら何も本当にはわからない16、17歳程度の青二才であっても、必死に考えることさえすれば「答え」は出ただろう。

だが、私は教師と「つるんでしまった」がゆえに、彼らのために「大学に行く」という選択肢しか残されていなかった。このことが今思うと、私の人生の「最大の不覚」なのである(これは「私自身のミス」だと、今でも思っている。マジで。)。

 

とにかく、百害あって一利ぐらいしかない日本の中学や高校で気をつけるべきことは、そこで「普通」あるいは「理想」とされているシステムに自分が乗っかっても大丈夫なのか?ということを、生徒自身が自らに問うことだ。

そして、その答えを導く主導権を自分の手の中に置きたいのであれば、たとえ何があっても「教師には反抗し続けなくてはならない」。

変な言い方だが、教師もそのことはよく心得ていて、教師と仲良くしたがる生徒など「気持ち悪い」ぐらいにしか思ってはくれない。

それが現実だ。