だから私は現状では結婚もする気は無いし、子どもなんてもっといらない。
私のブログ以上の過疎ブログを適当に選んでくるアメーバ運営が悪いといえば悪いのだが、
さっき、「アンチスピ」を宣言している不登校児の親のブログを読んで、少しだが胸糞が悪くなった。
念のために言っておくが、「アンチスピ」なのが気に食わないのではない。
私自身、認められるスピと認められないスピが両方この世には存在しているのであり、殊に「お金に拘泥しすぎる」スピは好きではない。
さて、そのブログの最大の問題点は、
親自身がどういう人で、どういう生き方をしてきたのか、その顔がまったく見えない
それに加えて、
「不登校児の親は大変です!」アピールがうざかった
ことだ。
私自身は(障害・病気の場合は別として)、体罰・いじめなどの人間関係による場合以外の不登校児なんてクソだと思うし、そんな弱い奴、どこに行っても使えないと思う。
でも逆に、大切な子どもがそういう目にあっているならば、大切な子どもの命を守るために、親は不登校にさせるべきだと思う。
そういう境遇の子に限って、勇気をもって自ら不登校を実行できないものだから。
だいたいが、自分のキャラクターをまともにブログで説明できない時点で、この親は「自分育て」をろくにしてこなかったこと99%確定
なのであり(不登校は子どもの失敗ではない。念のため)、そんなやつが親になった時点で、失敗親になることはかなり明白だ。
それが彼女の場合は、「子どもの不登校」という形で出ているだけなのだろう。
アメブロには妊活・婚活・子育て系のブログがやたら多いが、私に言わせれば大半はAKB48などのアイドル専門系のそれよりも「中身が薄っぺらい」。「自分を育てられている人」だけが子育てをすべきなのに、現実はそうなっていない。
いっそのこと、子育ては「免許制」にしたらどうだろう、っていつも思ってる。
だいたいが自分の子どもなど産み育てなくても、実のところ「子どもを育てること」はできる。
里親・保育士・幼稚園/学校/塾/習い事の先生、大学の教授/准教/助手/TAに、地域社会/NPOのおばさん、
部活やサークルの先輩(時に後輩)、友人に恋人、
さらには何かのすぐれた業績や能力を持ち、社会的に影響力のある人々。
特に「歌屋」や「詩人」にはその資格がある。
実際のところ、私の母親は自分自身を育てることにちゃんと成功した、愛のある優れた女性ではあるが、
ドリカムの吉田美和は、ある意味で私の内面を母親以上に形成してくれたともいえる。
子育てが神の業なんて、そんなものは幻想にすぎない。
現に誰にでも子どもは「製造できる」に等しいし、そのうえ健康ならば、とりあえずは養うのも難しくない。
そして、放っておいても子供は育つ。
過保護に育てようが丁寧に育てようが、ほとんど放任してようが、子育ての「結果」は「運次第程度」の差しかない。
…なるほど、確かに子育てにはスピの入る余地なしですな(笑)。
会社での奴隷労働がライフワークだと思っている愚かな男性(女性も)と、妊娠~出産と子育てがライフワークだと思っている愚かな女性を、この世から1人でも減らしたい。
はっきり言う。本来、あなたはそんなにつまらない存在ではないはずだ。
これだけはこのブログの、というよりも私が生まれ持ってきた「星」なのだろう。
子育てまでと子どもの「自立」後だけが、女性の「自分の人生の時間」とならないように。私たちは、そろそろ意識を変えるべき時かもしれない。
ただ、そう思っただけ。
不登校児の親は大変だろうが、立派に学校を務めあげたアスペルガー児の息子と、同じく立派な大学を出たが悲観的で自意識過剰の娘の親だって、相当に大変だと思うよ。あ、それはうちの母か(笑)。
P.S.:ちなみに女優の岩崎ひろみ(IQ154)のアメブロのタイトルは「育自日記」である(トップ画は愛娘を抱く彼女)。なるほど、「育児」とは「育自」か。さすがわかってらっしゃいますね、香子先生は。
追記:もっとひどいレベルになると、「子育ては、親自身が一人前に育つための学びからの逃避」というケースすらある。物理的に「親」になることで、所詮成長過程の存在であることに言い訳をするのである。
スピリチュアルの「子が親を選んでくる」論は、そう思えれば強力な手助け(「選んできた」子どもの側に、人生は自分自身で選択するモノという覚悟を決めさせるという意味で)を与えてくれるが、ここまでひどい場合もあるにはあるので、果たしてどうなんだろうか。