心理学に「OK牧場」という概念がある。いうまでもないことだが、西部劇ともガッツ石松とも関係はない。

心理学における「OK牧場」とは、人間の自己肯定・否定と他者(世界)への肯定・否定とを組にしたもので、次のような標語で示されるものだ。(各タイプ名は私が命名した。)
 
1:I'm OK,you're OK.(もっとも健康なタイプ)
2:I'm OK,you're not OK.(権謀術数サバイバータイプ)
3:I'm not OK,you're OK.(謙遜や努力とは何たるか?を誤解してるタイプ)
4:I'm not OK,you're not OK.(厭世または理想高過ぎタイプ)
 
自己肯定とこの世界への信頼は、人の幸福にとってどちらも欠かせないパーツである。そうでなくても、1番がいちばん良いのは間違いない。
 
次は2番だ。いささか自己中心的な態度ではあるものの、自己を肯定できているのは大きく(うぬぼれではダメだが)、打たれ強く騙されづらく、そこそこの人生にはなる。
 
難しいのは3番と4番の優劣であるが、私は3番の状態に陥るくらいであれば、4番のほうがまだマシだと思っている。
人間は誰しも不完全であるため、4番はある意味では素直な態度なのに対して、3番の態度はひねくれている。
ところが、前世紀までの日本の道徳の教科書では間違いなく「3番」を(「1番」の次善策としてであっても)評価していたように思う。
そして「3番」のような態度こそ「謙遜」である、と美化されてすらいたはずだ。
 
しかし、現実には3番のような態度をとる人は、ほとんどの場合においてその内心で他人に嫉妬しているか、他人を恐れているか、本当は他人のことをバカ扱いしているか、のいずれかである。
「慇懃無礼」という言葉があるが、3番タイプはまさに高確率でそれに当たるのであり、現代的にはもっとも問題の多い性格のひとつだといえよう。
自分に自信がないので、他人への迎合が多いのもこのタイプの問題点であるといえる。
 
とにかく、本当に自分に自信がある人は不必要に謙遜などしないし、多くの場合は他人(世界)に対しても肯定的である(信頼している)。
私は長年、2番と4番の間を往復していた。これでは生きづらいので、現在は1番に意識を近づけようとしているが、そう簡単には変われない。
自然に1番を信じている人はみな、「良い愛の経験」をしているか、人を疑うことすら知らぬ「純粋な人」である。
 
1番を信じられることは、人としての「強さ」の現れでもあるのだ。このことはそれだけで、絶大なアドバンテージでもある。
素直で、どんな時も人を信じようとする主人公が騙しあいの中で成長し、大活躍するという「Liar Game」シリーズのテーマもまた、実はここにあるといえるだろう。
 
いずれにしても、不要な謙遜は本当に不要である。悪い意味で女性度の高い社会では、「全員横並び」を是とするため自分を表に出しきれない(と感じさせられる)こともあるが、そういう場合でも自分をわざわざ「低見せ」する必要などはない。
ともあれ「謙遜を捨てる」とは、実は自分の人生に責任を取りきる気迫があってこそ成り立つ。今より高いステージに行きたければ、謙遜を捨てる勇気を持とう。