とらっきちさんのシリアスな記事から。(私もコメントさせていただきました。)

 

この際だからはっきり言ってしまうと、「まともに3次元の女子と目を合わせて会話もできない」情けないオタクどもを相手にしたAKB商法そのものは、本当はどうでもいい。どのみち彼らは、大した人生など送れやしない。

 

本当に問題なのは「AKB」そして「48(46)Gプロジェクト」を「まっとうなアイドル育成プロジェクト」と信じて、青春を捧げてしまった女の子たちのその後のほうである。彼女らが世間知らずで無知であると非難するのは誰にでもできる。でも、それはあまりにも残酷である。

(当人の意に反して)セクシー女優などになった例は、(酷な言い方かもしれないが)まだいいといえるかもしれない。はぁちゅう氏のブログなどを読めば、すべてのセクシー女優・男優が酷い扱いを受けているわけではないとわかるし、セクシー女優は重労働である代わりに、出演料はかなりのものがある。

しかし、48(46)Gで安いサラリーで扱き使われたうえに、握手会で身の危険にさらされた子もいる。そして今回の山口さんのように、自宅まで押しかけられて、身の危険と恐怖を感じるような経験をさせられた子もいる。

まっとうなアイドルプロジェクトであれば、本来はこういった行為から所属タレントを守るのは運営者の義務だといえるのに、AKS(AKBをはじめとする48(46)Gの運営会社)は、それを怠ってきたというほかない。

どこかで聞いた話と似てないか?

 

そう、私は唐突に気づいてしまったのだが、要するに

 

 

AKSは所属「アイドル」を、派遣企業にとっての社員程度にしか大事にしておらず、ピンハネを受け取るためのコマとしか見ていない

 

ということだ。つまり、見境のない自由競争を「是」とする新自由主義社会化が暴走し、労働者の人権が蔑ろにされているのと同じ事態が、このAKS-48(46)G所属アイドル達にも起きている、ということなのだ。

 

とはいえ、当ブログはそれに対して大きな声を上げていくスタンスのブログではない。だいいち、その手の話は私のかつての盟友のQQQ君と散々してきたことなので、私にとってもはや何の新みもない。

「自称・スピリチュアリスト」として40になった私にとって肝心なことは、こんな時代において「持たざる者たち」が、「よりよい生き残り」をするために、何が一番大切であるかを明らかにすることである。

私がこの2か月に派遣巡りをして、その結果登録した企業から与えられそうになっている仕事を、全部蹴って断っているのも。

一見するとわがまま三昧で、AKBの整形魔女と呼ばれている板野友美を、それでも私が全肯定するのも。

こう書くとエラソーに聞こえるかもしれないが、根は同じなのだ。

 

私が肯定する人、見習いたいと思う人というのは、

自分の人生をすべて、(真の意味の)自己責任で自律的に決めている。

だからこそ、ある意味で「好き勝手」にできる。

そもそも論として言うならば、すべからく仕事なんてものは労働者である我々の側が自律的に「選ぶ」べきだし、「選べる」はずのものなのだ。

現に、私が注目しているスピや自己啓発系のインフルエンサーは、まさにそのことを日夜発信し続けているではないか。

ましてや私は高学歴ニートではなく、高学歴躁うつ病患者だ。

だから、「何も間違えた覚えはない。」

それは、女傑であるあ♡さんも認めている。だから、焦ることはない。

私は「自分にできること」で勝負していく。

そのために日々、人一倍の鍛錬(これには、有用な情報の入手も含む)を怠らなければ、きっと道は開ける。

 

彼女たちが「勝つ」か「負ける」かも、実は自分を律することができるかどうかにかかっている。実はそのことだけは、あの秋元康氏も「ちらっと

」は言っているのだ。だから、山口さんはたぶん大丈夫だ。

もう一つの観点としては、(AKB48が発足した)2005年の時点では、おそらく秋元康氏自身でさえもAKB48と派生プロジェクトのここまでの「モンスター化」を予測できていなかったに違いない。誰もがご存知の通り、48(46)Gの隆盛と、日本社会の一向に改善されない閉塞感の強さとは、密接に関連している。言い換えれば、そのことこそが「AKB48が存在すること自体の罪」なのかもしれない。

 

結局、最終的にはこの話は安倍自民一強政治の是非にまでたどり着く。安倍がいいとか悪いとかではなく、あの程度の男がここまで強大な権力を保ち続けることができてしまったこと自体が、日本の悲劇である。

悪いが、安倍ほどの良家のお坊ちゃまが成蹊大学しか出られない時点で、世の中を舐めてるといえる。

学歴は人間の能力のすべてではないが、この「大学受験」というゲームに、それも非常に有利な条件下で参加したうえでこのような中途半端な結果しか残せないのであれば、それは「甘さ」あるいは「驕り」には違いない。

 

…あ、ついに言っちまった。

安倍晋三の政治家としての能力はともかくとして、私が彼をどうしても認められないのはここに起因する。本質的に官僚型社会の日本において、大学受験とは「科挙」そのものだ。せめてもう少し恥ずかしがってくれ、って思っても仕方がないだろう。

 

P.S.:阪神がんばれ!私はヤクルトファンであるが、どこのファンであれ良心的なファンというのは、ライバルチームの不幸など決して喜ばないものなのだ。