※:この文章は2018年12月に投稿したものを再構成しています。
数秘「9」は「絶対的な慈悲の数秘」と言われる一方で、「時に残酷極まりない」と称されることもあります。
だけど、これって考えてみれば当たり前なのかもしれません。
「9」の動機はあくまでも「慈悲」であり、できるだけ暴力などは使わずにすべての人が平等にして公平な「理想社会」の実現を夢見ています。
しかし、だとすればその道のりは当然「いばらの道」となることが予想されます。
この世界において、すべての人が平等にして公平になってしまうと、「食い口」のなくなる職業なんて山ほどあります。
この世界におけるほとんどの職業って、実は「必要悪」みたいなものです。
例えば弁護士。
誰もが平等で公平な理想社会では、当然係争も少なくなりますから、彼らの多くは不要となります。
彼らは、この世の人々が頻繁に争ってくれる前提があるからこそ役に立ち、尊敬もされるのです。
あるいは精神科医。
彼らの患者のマジョリティーは、先天的な遺伝子上の傷によって引き起こされる精神疾患の患者ではありません。ほとんどの患者は、私も含めてこの現代に渦巻く、様々な欲望と情報の取扱い方を間違えてしまった人たちです。
誰もが平等で公平な理想社会では、ストレス自体が軽減されるとともに、自然と人材は適材適所に就きますから、精神科医なんて存在はあまり多くは必要とされません。
あるいは、アイドルなども含めた広義の性風俗関係者なんてどうでしょうか。
誰もが平等で公平な理想社会では、当然今よりも多くの人にとってより理想的なパートナーシップが実現されます。
そうすると、より多くの人がわざわざ性的な「はけ口」を必要としなくなります。
(「必要悪」と「悪」とは全くの別物です。)
そういった現実があるので、「9」の「理想主義」を推し進めていくと「既得権益者」との衝突が必ず起こります。
実はこれは「6」の「母性愛」に関しても同じです。もっといえば、「3」の「無邪気な笑い」にさえ、同様の構図は起こり得ます。そして、これら「3の倍数」の共通点は「理想主義」ということです。
そういった場面で、「9」の人は「誰よりも強くあって立ち向かう」必要から、時として「誰よりも残酷」に見えるのだと思います。
ところで、こういった世界観はある種SF的でもあり、現に日本のSF小説の大家である星新一の作品では、「自動弁護機」のような機械を発明してしまった発明家が逮捕され、投獄されます。
しかも、この現代は「AIが人の職を奪う」なんてことがまことしやかに囁かれている時代です。
ここ数年、遂に「天才の集まり」であるはずの将棋のプロ棋士がAIに負け始めましたよね。
それでも、AIだって万能ではありません。
特に、「人の手や肌の温もり」と「高度な身体性」を使ったサービス業のようなジャンルでは、まだまだ人間が圧倒的に強いでしょう。
私は、そういう意味では「一流のアロマトリートメントを行うセラピスト」がAIを搭載した「ロボット『セラピスト』」に負けることだけは想像ができないです。
あるいは、スポーツやグラビアモデルの世界です。
こういった「生身の人間の肉体性」が何よりも絶対なモノをAIを搭載したロボットがやったところで、到底面白くなるとは思えません。
また、将棋のような芸能に近い勝負の世界では単なる勝ち負け以上にその「作品(棋譜)」の「芸術性」が問われますから、こういった世界でも「人間」の必要性はなくならないと思います。
逆に、これまで人間の労働者による「過労」によるミスなどが頻発していたような業種においては、AIを搭載したロボットが大いに活躍すると予想されます。
たとえば、医療や介護の世界などはまさにそうだと思います。
しかし、こういった世界はまさに同時に「人のぬくもり」を最も必要とする世界でもあります。