-なぜこのお方は、こうも強いのだろう…-

 

羽生善治さんに多くの将棋ファンが抱く疑問だろう。私もその疑問を持ち、彼を将棋の神と崇めてから25年近くがすでに経つが、

記念すべき「通算1400勝」となった今日の名人戦第1局を見て、少しだけその答えに少し近づけた気がした。

 

-羽生善治は、どんな大一番でも「安全を選ばない」-

 

羽生は序盤から実験的手法、あるいは「この手が成立すれば最強なんですがね…」と言われる手をしばし平然と指す。ある程度将棋を知っているファンであれば(アマチュアの有段者以上)危険極まりない、あるいは損だと思われる手法を、それもタイトル戦などの大一番で平気で採用してくるのだ。
私は特に彼が若かりし頃の最大のライバルであった、谷川浩司との対戦でそれを見てきた。後手番2手目△6二銀戦法、4手目△3三角戦法などはその最たるものだろう。特に前者では、それが原因で一方的に攻め潰されてしまった、本来の羽生の実力を考えれば不本意極まりない将棋があったと記憶している。それでも、彼は実験的で冒険的な序盤戦術を定期的に大一番で採用することをやめようとしない。
ご本人は、おそらくまだ見ぬ将棋の可能性を追求しているだけなのだろうが、これをやられて負けでもしようものならば、相手はたまったものではない。

羽生善治というと「羽生マジック」に代表される、中終盤の妙手でしばしば逆転勝ちを収める姿が一般的な彼のイメージなのだろうが、彼のいちばんの将棋界における功績は、その独創的で先入観にとらわれず、危険を顧みない序盤戦術にあると私は思っている。

今日の佐藤天彦名人に対して見せた「2六飛」も、まさにそういう一手であると思う。あの手の危険性は、アマチュア初段もあれば一目でわかる。そして、多くの人はその危険を感じた時点で決して「2六飛」と指そうとはしない。

それを、彼は名人戦の大舞台で平気でやる。羽生は将棋界最強の棋士にして勝負師でありながら、時として1局の将棋の勝敗に対してはまるで無頓着であるかのような序盤戦術を見せるのだ。ここに、彼が25年以上の長きにわたって第一人者である理由があると私は考える。多くのほかの強豪棋士が「自分の土俵」でしか戦えないのに対して、羽生だけは相手の最も得意とする型を堂々と受けて立ち、そしてそれに勝利し続けてきた。さらにその上に、明らかに損だとされる手や常識的に他のプロが(いや、アマチュア有段者でさえも)排除するような手を平気で指してくる(勿論、その陰には実験精神だけではなく、凄まじいまでの研究量、そして将棋に対する情熱があるにせよ)。これだけでも、他の棋士とは将棋に対する姿勢が違う。それが才能の違いなのか、天が彼に与えたポジションのせいなのかはわからないが、私は彼の数秘が「8」であることからしても、羽生善治の本質とは「『勝つこと』だけに拘泥しない、一段ビジョンの高い将棋観を、生き馬の目を抜くような将棋界に落とし込む」ことであると感じている。

 

そして、今日の名人戦第1局のように明らかに相手がペースを掴んだ将棋における一見「クソ粘り」にも見える指し回しもまた、「勝負の鬼」羽生の一大特徴であるといえる。ご存知の通り、当初中住まいの「5八」に位置していた羽生の玉は、最終的には「逆米長玉」の「1八」に収まり、2筋の竜の守りによって鉄壁の堅陣を築いた。とはいえ佐藤に「5七桂成」と切り込まれた局面では羽生の玉は下段に落とされているうえに裸玉であり、下手をすれば数手で寄せ切られてしまう状況だった。そこで2四角と打ち、成桂を持ち角と差し違えて4八銀と守った姿は、まさに「羽生四段」のクソ粘りが今なお健在である証であったし、あの局面が実際には結構難しかったにせよ、羽生側をもって指したいと判断していた棋士が皆無であったことから考えても、やはり名人戦第1局の将棋はまさに「羽生にしか指せない、名曲中の名局」であったといえるだろう。

 

そして、止めはその恐ろしいまでの終盤の力量と、藤井聡太六段にもみられる「妙手体質」である。しかし、レベルにおいてもスケールの大きさにおいても、羽生のそれは、藤井のそれをはるかに上回っている。

誰が一体、あの龍取りを放置しての絶妙手、「5一金」の存在をはるか以前から予言できていただろうか?そして、一見は最強の粘りであるかに見えた佐藤の「6二角」から、僅か5手後に佐藤の投了が待っていると思っていただろうか?確かに局面だけを見れば、「5一金」はともかくも、6二角に対する「5二歩、同玉、8一龍」の手順は、アマチュアでも発見できるものではある。しかし、そういう妙手順が至る所にちりばめられている将棋自体の「妙手体質」こそが、羽生善治という人の持つ根源的な「スター性」であるように、私には思えてならない。だからこそ、AbemaTVで解説していた屋敷伸之も「羽生さんの日ごろの行いの良さ」と言ったのだろう。

 

羽生には、将棋自体に華がある。それはたとえば渡辺明にも、佐藤天彦にも、久保利明にもないものである。唯一、その意味で羽生を追える存在といえるのは、まさに藤井聡太だけなのだろうが、彼は羽生よりも32も年下である。この一事をもってしても、いったいどれだけ羽生の「光」が将棋界のおいてすさまじいものであるか、わかっていただけることだろう。

 

そしてまた、羽生によって葬り去られる棋士が一人増えた。私は佐藤天彦ではないからわからないが、普通の感覚を持つ者にとって、今日の敗戦は「ショックな負かされ方」であり、特に6二角からの収束部分は見ていて久しぶりに「涙が出る」程、ショックな幕切れであった。私は佐藤の重厚な受け将棋、そして独特の中盤感覚が結構好きなのだが、よほどのことがない限り今名人戦に限らず、今後の羽生との対戦においても佐藤が互角以上に渡り合うことは難しいだろう、と感じざるを得なかった。相似の現象は、連勝中の藤井聡太においても多く見受けられており、彼ら「歴史を作る天下人」の勝ち方には、その当人の意思の有無にかかわらず「十年斬り」の要素があるものである。

 

羽生善治…あなたは現役棋士として将棋を指す限り、永久に天下人だ。そう確信せざるを得ない「痛烈」な内容の勝利が、確かにそこにはあった。だからこそ、AmebaTVの視聴数が100万単位にまで上ったのだと思う(見間違えではないはずだ。これって凄いことだよね?)。まずは1400勝、本当におめでとうございます。