Keikoさんのブログより。

うーん、確かにこれはあるよねぇ。

 

「仕事と遊び」という対立軸で考えても、(私のような人間にそれを言う資格があるかどうかはわかりませんが)率直に申し上げれば

(食えるだけの仕事の難易度)<<(よく生きるための遊びの難易度)

ですものね。もちろん、比較対象が(よく生きるための仕事の難易度)となると、上のような単純な図式ではないわけですが。

ぶっちゃげ、そうじゃなきゃ芸能人とか、スポーツ選手とか、将棋の棋士とかは、

マジで「いらない存在」なわけですよ。

彼らは仕事が「遊び」じゃないですか。一般サラリーマン感覚でいうならば。

 

でも、その一般サラリーマン感覚っていうのが実は曲者でして、

これまた率直に言えば、一般サラリーマンになるだけだったら、

[難関校に入るため、そして入ってからの勉強]なんていらないよ!ってことなんです。

少なくとも、学習内容が一般サラリーマンの仕事に直結するような[大学]など、この世には一つもないです

そして身分の呼称がどうあれ(正社員、派遣社員、アルバイト・パート…、)、ある程度以上「健康」ならば誰でも一般サラリーマンにはなれます。

そして残念なお知らせですが、「普通であることが唯一の取り柄」などとのたまう輩には、本当の取り柄など一つもありゃしません。この理由に関しては、後段で述べたいと思います。

 

にもかかわらず、多くの[企業]が一般サラリーマンの採用に[学歴]を重視する理由はただ一つ、

それはもう、「知的ポテンシャル」の一つの証として「大卒」(さらに、できれば有名難関大)を求めてくるからなんですね。

但し、日本の場合は残念ながらここにさらに[異常な新卒志向]という罠というか、壁が存在します。

大卒、大学院卒であっても、わずか1年でも(たとえその原因が病気でも)キャリアに穴が空けば、扱いは高卒と同じかそれ以下なので、困ったもんです。

 

ただ、かくいう私は順調に大学や大学院を卒業して「社会」に出たところで、とてもうまくいったとは思えない「変わり者」です。

今振り返ってみても、ここ15年の「回り道」、特に2009年のあ♡さんとの出逢いによる「決定的なパラダイムシフト」は

やっぱり私には、「必要だったから起きたこと」なんですよね。

 

ところで、庶民感覚でものを考えることのできない、馬鹿な政治家や経済界の長たちに怒る人の気持ちはわかります。

でも、私なんか今やそもそも[この社会]になど1ミリも期待していないので、[社会への怒り]自体が起こりません。

それは実は、あ♡さんだって同じなんです。現職を捨ててしまったら、

この先彼女に、それ以上の高収入な職場がある保証などどこにもありません。

つまり何が言いたいかというと、スタート時は対照的な経歴であるかに思えた私(難関大卒だが精神が故障している)と

あ♡さん(高卒で家族のために一般的には良いと思われない職種で働き始めた)は、実は同じ穴の狢であり、

現状の収入の保証(私は親の仕送りと年金、彼女は本職と副業の収入)が消えたら、それこそ「裸一貫の覚悟」で生きていくほかに道はないわけです。

まぁ、それでも私より彼女のほうが現状ではアドバンテージ(健康と副業の職歴)はありますけどね。

 

ちなみに上の段落で書いたようなことは、賢くて美しい二人は分かりきっているので実際に逢っている時間内においては、まったく話題にもしません。てへぺろ多少、私が「将来不安」をこぼす程度です。

彼女とてそういう私に、過剰な期待はしていません。それでも私は、思えば8年以上も彼女に「待って」もらいました。

私のポテンシャルの高さと、私が現状の限界いっぱいまで頑張っているのを、よく彼女は知っているからです。

(私たちの場合に限らず、他者への過剰な期待は真の愛(愛情)ではなく、相手を追い込む「鞭」でしかありません。)

 

その生き方が「世間体に拘る堅い生き方」に反しようがなんだろうが、わずか2か月に5時間のことだろうが、

「誰にも作れない濃密な愛の時間」(それは、「遊び」を通じて実現されるものであることに注意してください)を作ることのほうが、

今の二人にとっては大事ですし、「生きる」ことの神髄に近いと思います。

「日々の営み」は偉大ですが、それだけが人が愛に生きる道ではありません。「愛の形」はそれぞれです。

その一方で、彼女はそれ以外の時間の私の生活のことも大切にしてくれます。

私が節約を頑張っているというと、「えらいねウインク」と言います。だから彼女の側から私に

本当に無理な要求は、決してしません。私が頑張って、彼女の期待にできるだけ応えようとしているだけです。

 

そして、これは「真面目」よりも「遊び・喜び」の波動の高いことの証明(の一例)です。

私たちの「生き様」は、実際に多くの人にすでに感銘を与えています。それは何故かといえば、すべてが愛を動機として、それを起点に動いているラブラブからです。

私が新たなる「もやし料理」を作ろうとするのも、気が付いたら50曲以上立ち姿勢で歌えるようになったのも、

レディースファッションに関して並々ならぬ知識を持つようになった(w)のも、セルライトバスターというマシーンの最強レベルに挑戦できるのも、あ♡さんがこんな私を理解しようと頑張るのも、ありったけの力で私をハグするのも、水着ツイスターにおいて私のどんな「無茶振り」にも耐えようとするのも、すべてそれが原因なのです。

ただ、そのためには並々ならぬ自尊心の高さと自意識の高さが必要になります。なぜならば、

人に愛を与えるられる人にとって、自尊心と自意識の高さは絶対条件だからです。

 

「波動の高さ」というスピリチュアル業界用語は、結局は「人に与える愛の強度」そして「人に与える愛の純度」という意味なのです。

単なる「真面目」の中には「自分への愛」はあっても、「人に与える愛」はありません。

まずはそこをわかっていただきたいと思います。

同じ理由から、単なる「普通」の中には、「取り柄」など一つもありゃしません。

あるとすれば、自分のことを「普通」と思える「自分中心な価値尺度を持てる大胆さ(厚かましさ)」だけです。ちなみに、こういう自称をする人は自分のことを謙虚だと思っている可能性が高いですが、私に言わせればこういう人ほど「傲慢な人はいない」です。

…ただ、それは少しだけうらやましいかもしれないw

 

もう気が付きましょう。

私たちは誰もがみな、「普通じゃない凡人」なのです。よほどの人を除いてね。

だから人生や幸せの「標準形」までも規定するような、俗悪な「一般サラリーマン感覚」や「世間体」に縛られてはいけません。

 

「離れていても、そばにいるよ」(JUJU:やさしさで溢れるように)と感じられれば、いつも一緒にいる必要すらないのかもしれない♪ギラギラギラギラ☆