田宮さんのブログって時として「同じネタの使いまわし」に見えてしまう瞬間も間々あります(基本的には素晴らしいブログです。念のため。)
けど、今日のこのメッセージに関しては
うわー、これはドンピシャかつ新しい!
涙が出ましたよ。思わず。
最近「いじめ」を脳科学的見地から「なくならない、だから対応を上手に」っていうテーマの本を書いた女の人(当人には悪いが、顔からして意地悪そうです)がいましたが、私自身がかなりシビアないじめられっ子。許せない気持ちでふつふつとなりました。
ああいうことは、分かっていても書くべきじゃない、と。
誰しも、人間って常に「報復したい」現実感と、
「自分の頬を打たれても、自分は相手の頬を打ち返さない」理想主義との間で、揺れ動いているモノです。
これは、失礼ながら
右派と左派、保守派と進歩派の関係に近いとも思います。
勿論、政治とかは現実のバランスの中で考えなきゃいけないし
どこぞの国に「核ミサイル」を本当に打たれたら、その時点で「GAME OVER」ですから、右派のいうことを全否定する気には私もなれません。
ゆえに、ここ何年も
私自身が「9条」改憲派です。
それは、日本国が現状のシステムでは有事の際、あるいは普段の状態においてもきわめて限定的にしか、国としての自主的な意思決定をできないからです。
戦後70年以上もたっているのに、この状態は「異常」です。
ただ。
どんなに日本国が素晴らしい「軍隊」や「軍備」を持っても
あくまでも「専守防衛」であるべきだし、
徴兵制にも反対です。
何故かって?それは、軍事とは徹底的に「プロ」の営みであるべきだからです。
歴史的には、「工学」(科学技術)という日本の得意分野の(だった)学問は、「戦争」「軍事」の要請から生まれているのです。インターネットだってそうです。その「工学」を研究している人、科学技術に従事している人は、みなその狭い分野に関しては「プロ」ですよね?
私自身、そういった世界に進める環境にいながら、結果としてはその道には進みませんでしたが、彼らに対する尊敬、畏敬の念は持っています。
現代の戦争は、第二次世界大戦を見るまでもなく、本質的な意味では「科学者」の戦いです。だから、「兵士」が尊敬される前に「科学者」は尊敬されてしかるべきですし、最近の「理系軽視」の風潮は非常に危険なことだといえます。
実はここに、私がいわゆる「ネトウヨ」を否定する理由があるのです。
彼らのほとんどは、実に科学的には無知です。
もちろん、科学的な知を持ったうえで「右翼」な人もいるにはいますが。
熱力学の用語を借りるならば、
本来、人間とは「本能的(=エントロピー的)」な存在であると同時に、その「本能」を超えた「理想」にも突き進める(=反エントロピー的)存在です。
そして、すべての現実と良い未来は、そのバランスの上にのみ存在すると、私は信じているのです。
スピリチュアリストとしてこれだけは強調しておきます。
「ネトウヨ」は「十把一絡げの決めつけ」が大好きなので、すぐに人を「ラベル」「レッテル」で判断しますが、
この世には無駄な存在はないので、こういった態度ほど「無知蒙昧」なモノはありません。
たとえば、最近ロシアでとんでもない連続殺人犯が明るみに出て話題になりましたが、
彼のように、建前の理想だけを追い求め、この世から「性風俗従事者」を一掃してしまえば、間違いなくこの世界に凶悪な性犯罪はもっと増加するでしょう。
「傭兵」という戦争のプロがいるのだって、一般人の無駄な犠牲を小さくするためなのです。
さて、世界には様々な歴史認識を持った人々が存在します。
そもそも「日本人」だって、本来・本質的に多種多様な集まりなのです。
そのことで多少の衝突が起ころうとも、
ギリギリまで「対話による平和的な解決」を目指さないようでは、私たちに「良い未来」など、ありはしません。
そのうえで、まさかの場合に備えるために必要な「軍備」や「軍隊」は持っていても構わないとは思いますが、感情的なヘイト・スピーチの連鎖は、何も生みだしません。
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まぁ、本稿で本当に私が言いたいことは
「どんな世界にも[プロ]は必要であり、同時に個々人は
何か一つでもいいから、自分がその一人であるための鍛錬と心の準備・覚悟をしているべき」
ということです。「徴兵制」や「性風俗の全否定」は、上の原則と相容れません。
どんな世界であってもプロ意識をもって、意識も力量も高く活躍をしている「トッププロ」は、等しく尊敬されるべきです。
こういう職業は尊くて、こういう職業は賤しい、という区別に意味はありません。
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思わぬ方向で話が長くなりました。すみません。
さて、最初の話に対する私の結論ですが、「いじめは人間の本能から生まれているのだから、なくならない。だからいじめはあるモノと思って、対応しよう」ではなく、
「いじめは人間の本能から生まれているが、それと同じぐらいに『いじめ』をなくそうという気持ちもまた、人間の本能に近いレベルで存在する。」
ことも認めるべきだと、私は思うのです。
よく「現実はこうなので、対話なんかしたって意味がない。力には力で対抗すべきだ。」という(自称右派の)人がいますが、この人はおそらく
<ありとあらゆる場面で、「現実」に負けている>
人です。正確には、彼にも「理想」に燃えていた時期はあったはずなのですが(それが本来、「自然人」の持っている逞しい「生命力」の現れであるから)、自身が「現実」の中であまりに無力な自分に嫌気がさし、「理想」を放棄してしまったのです。
勿論、私だってあまりにも無力な存在です。しかし、私はこの10数年の闘病生活の中で(それに、この期間だって私は別に闘病だけしているわけではありません。←小林麻央さんか!笑)、
「理想主義が機能する場面って、意外とあるモノだな」
ということに、たびたび気づかされました。
より正確に言えば、
「理想主義者じゃないと手に入れられないモノの多さ」
に気づかされました。たとえば、
「愛」とかね。
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話を戻しましょう。田宮さんのいうような「負の連鎖」を断ち切れるのは、「理想主義者」だけです。
でもね。「理想主義者」になるための方法って、実は至って簡単なんですよ。要は、
普通の人より少しだけ、楽観的で性善説的であればよい
だけですから。
そうやって考えていくと、(一般に)物事を何かと悪い方向に捉えがちな人は、要は「小心者」なだけなんですね。
「ネトウヨ」の方々だって、もとはそうだと思うんですよね。
ですが、口先だけならともかく、本当にヘイトデモにでも参加して行動しちゃったら、これは立派に「悪」ですし、そもそもあなた自身のためにも、見苦しく排他的で攻撃的な言葉の羅列など、すべきではありません。
しかも恐ろしいことに、そういうことをしているうちに、
あなたから幸運は、どんどん離れていくのです。
幸運・強運は、良いイメージを持っている人のもとにしか引き寄せられません。
結局のところ、「ネトウヨ」の方々に限らず、汚い言葉を使い、悲観的な未来を語ることの多い多くの人は、権力側の人間(多くはマスゴミ経由。文春砲などはまさにその良い例。)が発信する「彼らに都合の良い情報」に、振り回されて我を見失っています。
そういった存在から遠ざかり、もっと自分を知り、自分を高め、
自分本位に生きれば、実のある人生になり、愛のある人間になり、
結果的に、対立する存在にも優しくなれます。
これはある意味で…「3」の教えなのです!
私はある時期に気づいてしまいましたが、
(私も含め)スピリチュアリストなんて、大したもんじゃありません。
この種の方々の多くは、少しだけ博学で熱心な勉強家ですが、
本当の武器は、「根が少し楽天的で鈍いこと」なんです。
もっといえば、「自分(のことを知ること)が好き」でしょうがない人たちなのです。でも、それが「開運への第一歩」です。
そうじゃない本当に立派な、神の言葉を伝えられる方もいらっしゃるでしょうが、こと私に関しては「本当に『それだけ』」なんです。