史上初のCSでの降雨コールドゲーム。
今年の10月、歴史的な天候不順によってプロ野球が凄いことになっている「らしい」。しかし、私はあくまでも東京ヤクルトのファンであり、同チームのどん底からの立て直しに興味があっても、独走優勝した広島と何故か3位にはなれるようになったDeNAの対戦などに何の興味もない。だから、「らしい」止まりである。
もし私が、「プロ野球ファン」を名乗っているのであればこれは問題であるが、基本的にそんな大層な肩書は名乗った記憶がない。
そもそもCSなどという意味不明な敗者復活戦がある時点で、ペナントレース優勝の意義が半減してしまうのは明らかである。これは選手たちの真摯なプレーにも、多少ならず影響を及ぼすだろう。消化試合が減ったという利点よりも、事実上夏場以降まったく「優勝を目指さないチーム」が存在してしまうということに、大きなデメリットを感じる。ここ数年のDeNAと、今年の讀賣などはまさにそうである。口先ではどうあれ、優勝などハナから考えていない。(…まぁ今年のDeNAは、広島との直接対決に勝ち越している点では評価できるけどね。そこに行くと、4位に終わり史上初めてCSを逃した讀賣は、まさにカス中のカスである。ヤクルト?毎年おなじみの「ヤ戦病院」に山田の不調も加わり、もはや「ほかのチームの2軍が1軍の試合に出ている状態」で、いまさら何を語れというのだ?カス以下。)
ただ、CSはもしかすると選手の側からの申し入れによって実現したのかもしれない。あの古田の涙、「たかが選手」などのナベツネの暴言に代表されるプロ野球再編問題以降、日本のプロ野球の現場が目指したものは「純然たる競技としてのレベルアップ」だったように思える。だから試合数も(現在は143試合だが、一時期は144試合あった。これ、長年130だったんですよ?)増えたし、CSという試みも「短期決戦型の真剣勝負」の場を増やす狙いがあったように思われる。(まぁいずれにせよ、もうCSはいらないんですけどね。これだけははっきりしていますけどね。)
しかし、その裏側に欠けていた視線がある。ストイックなレベルアップ路線の一方で、プロ野球は本当に「つまらなくなってしまった」のである。少なくともかつてのような「個性」豊かで型破りな選手は絶滅寸前である。「アスリート」としての能力を高めようとウエイトトレーニングに努めるようになったので「すごいデブ」(勿論、いい意味で)も少なくなった。そして本当に能力が高まると「メジャー」に行って「ハイ、終わり」である。いうまでもないが、間違いなくこの流れを作ったのは野茂英雄とイチローである。特にイチローの功罪(一応、罪だけではないので…)は大きい。
まぁ、確かに以前の巨人が中心の「勧善懲悪」(ただし、昔は巨人が「絶対善」、今は「絶対悪」なのは違うところだが)モノのようなプロ野球には、プロレスのようなギミックはあっても、スポーツとしての魅力が欠けていたのも事実だっただろう。だが、エンタメとしてみた場合、やはり「中心となり得る強いチーム」が存在するというのは面白いし、それが全体のレベルアップを生むファクターにもなり得るのだ。大相撲における白鳳の存在が、それを証明している。
言っちゃぁ悪いが、この長いペナントレースで勝率4割5分もいかないような「脱落チーム」が5チーム(セ2チーム、パ3チーム)も出た時点で、全体のレベルを疑うべきである。「なに、今だってソフトバンクが絶対的に強いじゃないか!」という意見もあろうが、残念ながら「打倒!ソフトバンク」を掲げるチームがセ・リーグからも出てこないようでは(80~90年代、西武ライオンズの黄金期には多少はそういう雰囲気はあったのだ)、何のために日本シリーズや交流戦をやっているのかすらわからない。
いうなら、「少し強ければ優勝できてしまう」(特にセ・リーグ)。この構造が、日本のプロ野球のレベルを下げていることは、間違いない。今年の広島だって、正直に言ってしまえば93年のヤクルト・西武の両チームのレベルには及ばないだろう。だから「つまらない」のである。
さて、いったんここでプロ野球から話は離れ、他のスポーツに話を移そうと思う。今年は藤井聡太四段の快進撃があり将棋界に注目が集まった。たとえば、この世界は「恵まれている」と言えるだろうか?
私の考えでは「否!」である。私自身生まれてもいない頃だが、升田幸三・大山康晴の両巨頭が活躍した時代、もっと世間に将棋は近かった。要するに「縁台将棋」レベルのファンが絶滅してしまった時点で、将棋は天才とオタクだけのものになってしまったのだ。かくいう私は、学生時代の一番強いときはアマ六段近い棋力だったと思われるが、今でもアマ三段(年齢制限とか関係なく、奨励会には届かないレベル)はあるだろう。
この「アマ三段」ですら簡単に言えば、そこらでフットサルに勤しむ女子が少し努力した程度では届かないぐらいのレベルなのである。サッカーと将棋の競技性の違いはあるにせよ、これは動かぬ事実だ。将棋の場合、少なくとも小学校時代までにルールをマスターして、頭の柔らかい時期にそれなりに数練習して親しまない限りは、アマ三段にだって届かないはずだ。
こうして考えると、結局Jリーグの発足は時期尚早だったのだ。勿論、プロスポーツとは基本的に日本では「企業スポーツ」と同義であるので、そこには企業の論理があるのは間違いない。しかし、本当の意味で才能のある選手もいなければ、玄人な世間もサポーターもいない日本において「プロスポーツ」としてサッカーを組織して、結局生まれたのは「ぬるま湯」の環境だけだった。だから当然、今になっても斜陽のプロ野球以上に儲からない。だって、Jリーグは発足後25年ほどなのに、そのプロ野球以上に斜陽なのだから!
本当に魅力も実力もある選手は初めから海外で修業をして、その国の選手として(代表戦では「日本」の代表であるかもしれないが、基本的には)活躍している。今や国際大会がある時だけ偏狭なナショナリズムとごちゃまぜで盛り上がる日本のサッカーは、本当に「可哀想過ぎる」存在である。しかも、サポーターの多くは、本当の意味ではサッカーに興味などなく、ただバカ騒ぎをしたいだけである。その意味では、日本のサッカーほどサポーターに恵まれていない競技もない。これは断言してもいい。
今の日本において、次にその意味で「やばそう」なのはフィギュアスケートである。企業の論理と、ファッショで軽薄で馬鹿なサポーター(ファン)が競技を破壊するのだ。中にいる人には、本当にお気の毒としか言いようがない。
では、その意味では大丈夫そうな(プロ)野球はどうだろうか。こちらはまさに、「将棋」になってしまう危険性を孕んでいる、と私は思っている。まぁ田舎モノが地域対抗意識を前面に押し上げる「高校野球人気」がある限りは、ある程度野球自体は「素人」の支持も得られ続けそうだが、
「くたばれ讀賣!」
一つ神宮球場で叫んではいけない、という訳の分からない「上品」だが自主規制だらけの応援スタイルの強制によって、「野球観戦によるカタルシス効果」さえも奪われつつある昨今(それを求めるなら「ヒトカラ」に行ったほうが、よほどよいだろう)、クソ高い入場料を払ってまで寒空の下高いビールを飲む客もいないだろう。だから断言する。
もうまもなく、「プロ野球」は「将棋」になる。
それは、「イチロー」以降「より高い技術」しか求めなくなった「プロ野球の一流選手」への、一番痛烈なしっぺ返しとなるだろう。
今のプロ野球選手は、まさしく「オナニスト」の集まりである。本物のファンサービスなど、あったもんじゃない。
そして、ある意味でサッカーやフィギュアは努力次第では「昔のプロ野球」となれる可能性を秘めている。とはいえ、こちらはまだまだ草の根のレベルも高いとは言えない。それでもゆっくり時間をかけて、選手を見る目が諸外国並み(もっといえば、プロ野球ファンの選手に対する目並み)に厳しくなれば、可能性はある。
ただし、こうなったすべての原因は「冗談の分からない頭の固い先生方がお決めになった法律」にある。プロスポーツは観客が主役だ。観客のヤジや、時には暴動すらも、彼らを成長させるのだ。
だからヤクルト監督時代の野村克也は「甲子園には魔物が棲んでいる」と言ったのではないか!あの時の阪神フーリガンの行動は確かにやりすぎだけど、基本的に本当のプロスポーツとはそういうものだと、私は考えている。
#:だから明日の衆院選では、この国の文化を委縮させた奴らを当選させてはならない。まぁ、もう手遅れだろうけどね。