1日休みができたら何をしたい?

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社会的に休みが定義されているわけではない、私のような特殊な身分(というか境遇)にいると
「休み」の意味も皆さまとは多少違って来るかとは思いますが、考えてみますと似た状態は「主婦」の方々はみな経験しているんですよね。
 
私の「ライフスタイル中心主義」というか、それをベースに「生きる」ことのすべてを組み立てていく(昨日母に指摘されましたが、このこと自体がすでに「女子力の高さ」に繋がっているとも言えます)考えも「(障がいにより)モラトリアム期間が長くなり過ぎた」という、一見マイナスにしか見えない状況によって生まれているとも言えますが、似た状況は主婦の方にだってあると思うのです。
 
つまり、何が言いたいのかというと
 
実は、主婦こそ「休日」がなく大変な労働であることに多くの女性が気付いた
(単に「主婦業」という仕事に休みがなく大変であることに加え、その大変さと労働の尊さがなかなか社会的に理解され見合う対価も支払われているとはいえないので、「生きがいを見出す」ことが困難である)
 
といえると思います。
勿論世の中は広いですから、中にはゲーム三昧で料理もせずに食事はレトルトでチン、なんてレベルの「主婦」もいるかもしれませんが、まぁそういう人は置いといて。
 
基本的にこの世の中は
 
「働いて金銭対価を得られたほうが絶対有利」(だからこそかつての価値観では男性が絶対上位だった)
 
なのであり、その癖に仕事のできない人に限って「不当な不満」を日夜(ネット・リアルを問わず)ぶちまけている醜い姿を目にし、内心「主婦もそうだが、障がいにだって休みはねぇんだよ!」と思ってキレているのは私だけではないでしょう。
 
とりあえず「仕事」ができること。
あなたの「仕事」に対して社会的に対価が支払われ、仕事と認められている状況を、「社会人」と呼ばれている人々はもっと感謝すべきなのです。だから
「今年、土曜日が祝日ってパターンが多すぎ…鬱だ」
とかいう愚痴は、一笑に付されるのがオチだと思っておいたほうが良いでしょうね。
現状では、私自身現実に「仕事」ができない身なので批判する資格はさほどないとは思うのですが、もっと「仕事ができる喜び」を持てるように意識改革をしていったほうが良い人があまりにも多い現状には、疑問を感じざるを得ませんね。
 
ところで日本では、かつては主婦はもっと軽んじられていました。
社会人たる夫が妻を指して「家内」という言葉は、「家内奴隷」という言葉の省略形だったそうです。まぁ、現代ではあまり使われなくなりましたが。
また、現在は新たな構図として「専業主婦」と「兼業主婦」と「キャリアウーマン」とがそれぞれの「エゴ」を主張して女性同士で争っていることも多く見かけますが、これは醜い以外の何物でもありません。
主婦は、仕事中心の生活を送っている人間には習得できない「知」や「賢さ」を持っている場合も多いことも、ちゃんと認めるべきです。
 
なお、私は田嶋陽子的フェミニズムには断固反対の立場をとります。何故ならば、
 
あまり外見で人を断じたくはないが、彼女は女性としての基本がなっていない
←:女性の権利を主張する前に、女性は<女性らしさを保ちながら>「男性のもの」とされた領域へも進出していくのが筋ではないのか(だから私は「おやじギャル」を肯定しません)と思うから。これは、
「草食系男子」を私が肯定しないことの女性版でもあります。
 
からです。
 
また、「男性には男性のつらさがある」ことももっと理解すべきではないかとも思うのです。
近年、確かに一部には「行き過ぎた女性優先主義」が「男性への弾圧」となっている事例があります。例えば、男性だって心身ともに疲れることはいくらでもあるのに、男性が受けられるアロマトリートメントの店はまだまだ少ないままです。<男性は「裸」と「性」が区別できない>などといった、偏見に基づく不平等は解消されたほうが良いですね。