すべてのことは、あなたのせいでもなければ、誰かのせいではない。
すべてのことは、あなたのお陰でもなければ、誰かのお陰でもない。
すべてのことは
「大いなる存在」が決定し、
人間、動物、植物、非生物などの区別なく
「大いなる存在」の意思を感じ取った者たちが
この世の「現象」として実現する。
だから、それが何であれ
物事の表面的なごく一部しか理解できない我々が
何かの「ブーム」に乗って騒ぎ立てる(毀誉褒貶のいずれでも)のは、
あまり意味のないことだと思っている。
だから私は、
中高年向き総合週刊誌が好きじゃない。
でも、好きな人はいていいし
そういう人は読んだらいいと思う。
以前、アメーバ大喜利にて
都知事選中の鳥越俊太郎氏のお題で
「週刊誌に書かれていることは
すべて〇〇〇〇〇であります」
というのがあったが、ここに私は
「売らんかな」
と答えて、座布団80枚ほどを獲得している。
これは私のアメーバ大喜利における、SMBアカウントでの会心作の一つであるのだが、
「あー、皆さま同じこと考えてんだな」
って思ったものだ。
そして、「売らんかな」には批判もあるが、
誰だって生活のために必死である事実を考えれば、
批判するには当たらない。
大事なのは、
「情報でしかない、自分自身で確かめようのないことに毒され過ぎない」
ということかと思う。
だから、私は何事も自分が経験することを通じて
学び、成長しようと願っている。
ピグの世界にも花火が上がった。
あー、もう7月か。
いや、やっと7月でもあり、まだまだ7月でもある。
7月。
それは梅雨と盛夏の境界であり、私とあ♡の誕生月である。
しかし奇数月なので、遊興費などは事実上すべて年金から支出している私には、1年で一番やりくりが苦しい月でもある。
でも、先の「大いなる存在」という意味を考えれば
「苦しむ」こともまた生きるうえで必要不可欠であり、
「それでも獲得したい『何か』」
を選定し、得ていくことこそが
人生なのだと私は思う。
私はある意味、いや紛うことなく恵まれた存在であり、
同時に、紛うことなく不幸な存在である。
私はとても幼く若いと同時に、
老成している一面を持ち、実年齢より年寄りっぽくもある。
そういう相反する二面性は、
別にどちらが良いとか悪いとかではなく、
「大いなる存在」が定めた私の「役割」であり、
存在意義(レゾンデートル)なのだと思う。
私の経験上大切なことは
「それでも獲得したい『何か』」を、
損得のバランスシートにより、打算的に選択しないことだ。