待望の区画(写真左側)を手に入れたことで、ついに本格的に小田原線の最終区間の延伸が開始された。
 
こうなるとこの先、私にとって必要なのは、
 
・小田原エリアには地方都市(できれば城下町、宿場町、海産物の街)としての風格を持たせる。
 
・そのほかの西南部のエリアは工場や農地、緑地などを主体にし人口密集地帯とはしない。つまり、あえて「田舎」を作る。
早い話が、現実の神奈川県における伊勢原市や秦野市、愛甲郡、足柄上郡などに当たる部分を作る。
 
このあえて「田舎」を作るという発想、実は現実では実に大事なことでありながら、シムシティー系のゲームでは見逃されてきたのではなかろうか?
現実の人間の「幸せ」には、食糧生産地帯も工場の多い地域も(×:メガロポリスの中心部に近いの臨海工業地帯)も、里山のような場所も、自然が手つかずで残っている地域も、観光地やリゾート地も全部必要なのに、「人口」で一元的に評価されてしまうと、結果的に本来ならば「田舎」のままであった方がいいような地域すら、ゲットーのような住宅密集地域になってしまうような街づくりを「推奨」されている気がしてしまう。
これには非常におかしいことではないだろうか?ことにピグワールドのように、いくつかの特色のあるエリアを持った、広がりのある大きな街を作れるゲームではなおさらだ。
 
私は、自分の作った街を「地図」のように見ている。「地図」だから1:1ではなく、縮尺がある。そして、「人口」も現実の東京圏などのメガロポリスに置き換えるならば、その数十倍から数百倍を想定している。たとえゲーム上の人口は4840人だったとしても、自分が作った地域には50万人ぐらいが住んでいる、そして端から端までは最低でも50km以上はある、そういうイメージである。何故ならば、そうでないとそもそも「特急列車」を走らせる意味がない。また、数千人程度の街であれば警察署ではなく、交番や派出所で済んでいるはずだ。少なくとも、複数の警察署を配置する必要はどこにもなく、ゲームの作製者が手抜きをしたいのでなければ「交番や派出所」も設置できるようにすべきである。
 
時として繁華街でもなく観光地でもない場所(これはメガロポリスの外縁部に多い)を人は「何もない」と言いがちだが、それこそが偏見であり、諸悪の根源なのだ。