土曜日。

天気晴れ 遊びに行きたかったけど 息子は部活。娘二人は習い事でつきあってくれない


しょうがないので、LSD走る人 2時間かけて山やら街中を走り回った。


日曜日。

末娘の合唱発表会が隣町であったので観に行った。


しかし、娘は会場へ行くまでに車に酔ってしまったようで


歌っている間ずーっと無表情だった。


舞台で吐いたらどうしようかとハラハラしたガーン



さて、週末の一冊は・・・

$SWIM BIKE RUN ・・・ 時々仕事


精神科医による不良少年の分析ではない。テーマは「美学としてのヤンキー」であり、「ヤンキー的なイメージ」の構造を解明することである。
 著者は、「なぜ天皇を愛する人々はかくもヤンキーが好きなのか」という問いから出発する。本書に出てくるヤンキー的なものとは、たとえば木村拓哉やジャニーズであり、相田みつをであり、金八先生であり、白洲次郎である。固有名詞を列挙しただけでは意味がわからないという人もいるだろうし、「私の好きな○○をヤンキー扱いするなんて」と悲しんだり怒ったりする人もいるかもしれない。しかし、何かをヤンキー的だと指摘して嘲笑することが著者の目的ではない。
 著者が指摘するヤンキー美学の特徴は、現代の日本社会を考えるうえで示唆に富んでいる。たとえば「気合」。ヤンキーは冷静な分析や論理的な考察よりも、姿勢や意気込みを重視する。結果は問わない。
 「気合」を誰にもわかるように示すためにはどうすればいいか。目立つしかない。美的洗練のような時間のかかることは避け、とりあえず原色や光るもの、突飛(とっぴ)なネーミングなどに走る。かくしてヤンキー独特のバッドセンス(悪趣味)が完成する。
 「気合」や「キャラクター」重視のヤンキー美学が、政治家選び(政策より人柄)に通じていると考えると、いまや日本を支配しているのはヤンキーなのかという気分になってくる。なにしろ「国民の生活が第一」なんていう名称の政党が登場するのだから。
 だがヤンキー的なるものはぼく自身のなかにもある。この反知性主義との距離の取り方はとても難しい。


とっても面白いヤンキー考察だった。ここまで深くヤンキーについて学問している書物をみたことがない。最高です。
☆☆☆です