先ず、東日本大震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
本日は私にとっての第二の誕生日?ともいえる記念日3月11日です。
ちなみにこれは去年の3月11日のブログ
311 今日は私の記念日です ~ イケメ イケガオ
4年前の2011年3月11日までは、スポーツの日本代表選手やオリンピック選手、ゴルフの賞金王なども施術する普通の整骨院を営んでいたわけですが、その日を境に私の魂が目覚め、変な整骨院になって行きます。
今日も看取りを重視した介護施設でその時の話をしながら施術していました。
(最近、前回のブログにも書いた通り、
そのカタカムナと急激につながって行くのがまた面白いところなのですが・・・まだこちらとは直接つながっていませんが、株式会社カタカムナ3/14にフリーエネルギー交流会なんかも)
結局その後、私の頭はおかしくなって(笑) 既存の患者さん達はどんどん離れ
整骨院の売上げは半分以下になり、これぐらいの売上げなら福島へ行って復興支援作業しながら、整体のボランティアや放射能内部被ばくを防ぐ食事の話などしていこうと、整骨院を閉院して福島へ行ってしまいます。
もちろん、そこまでの背景には、経済的な面以外にも白龍神社での事、合気道の事、当時勉強していた某神社の事、色んな事が重なっています。
で、地球、日本を救うつもりでいったにも関わらず、撃沈
このくだりは、昨年の3月に神戸の医師井手禎昭先生や阪神放射能測定所の影山竜さんと加古川総合庁舎で「愛と調和 福島の現状と放射能による健康リスク」という講演イベントを開催し、小さいながらも新聞などで取り上げられました。
そんな思い入れのある3月11日という特別な日なのですが、ちょうど2011年の震災の前に父が亡くなったように、今回は私の人生の半分以上の間お世話になっていた白龍神社の池田艶子先生が亡くなりました・・・・
今回その事をいち早く知らせてくれたのは2年前千ヶ峰の麓に越してきて、このブログの今年の正月や10,001円のお賽銭、鬼もうち~の節分祭~天之御中主神社~北斗七星の記事にも出てきた悟空さんでした。
池田艶子先生が高齢で身体も衰えてきた中、白龍神社に参拝しても以前のように気軽にお話ししにくくなった今では、白龍神社からすぐの悟空庵に寄って面白い話を聞く事が私の楽しみにもなっていました。
その3月3日は桃の節句 雛祭りの日だという事は皆さん知っての通りですが
今年は天赦日(てんしゃにち・・・天赦日は日本の暦の上で最上の吉日とされており、新しい何かをスタートさせたり躊躇していたことに挑戦するにはもってこいの日)でもあり、
さらに私の開運招福数霊5の日で午前中勤務の介護施設から帰ってくると、早速サムハラ神社からお守りの指輪が届いて、喜んでいたところでした
その日の晩に整骨院での最後の施術が終わり、何かいつもより疲れを感じ、電話が鳴っていたけど、何となく氣になりながらも、もういいか・・・と放っておき、その後みたフェイスブックで悟空さんが池田先生が亡くなった事を投稿してくれていました。
それをみて、多分と思い確認すると、悟空さんからの着信でした。
翌日がお通夜だろうと、勝手に解釈し、午前の仕事が終わった後、直接千ヶ峰まで行けるように喪服などの準備をします。
それと、翌日は昨年夏に保江先生の著書を読んだ事がきっかけで白龍神社に参拝したいという事で滋賀県の大津から来院した男性に教えてもらい、氣になりながらも行くまで至らなかった三木市にある聖なる部屋に初めて行く事になっていたのですが、本来ならその2週間前の水曜日に行きたかったのですが、その日は予約が詰まっており、その3月4日(水)に行く約束をしていたのです。
最初は池田先生の事もあって断りの電話を入れようかとも考えましたが、この日に初めて行く事になったことも何か意味があるのだろうと、池田先生の自宅のある加美区に行くにも途中寄れる場所だし、お通夜にも間に合うだろうからそのまま予定通り13時に行く事にします。
翌朝、兄から現白龍神社の斎主でもある池田先生の長男さんからお通夜が3/5、告別式3/6に行われると連絡があった事を告げられますが、葬儀会場が自宅ではなく、西脇市の葬儀会場とも聞き、どうせなら自宅に行って最期のお別れをしたいとも思い、予定通り介護施設から三木の聖なる部屋、そして千ヶ峰の池田先生宅と行く事にします。
聖なる部屋の詳細はほとんど分かっておらず、行ってみると、聞いていた通り田舎の田んぼの中にある古民家で、こんな所でほんとに何かやってるのだろうか?場所間違えてないかな?
恐る恐る駐車スペースらしき所に車を停めて家へ向かいます。
先に来ていた車のナンバープレートを見ると、高知ナンバーで、なんとなくここであっているだろうと確信して、中に入っていきます。
玄関を開けて呼んでも、誰も出てきません
携帯電話を持ってない私は一緒に行ったNさんに頼んで電話をかけてもらいます。
すると、携帯電話を片手に玄関先に小舟さんが出てきてくれました。
奥に入ると、外から見た古民家の外観とは違い、ヨガやヒーリングなどするような洒落たスペースにもなっていました。
自己紹介として、ここに来るきっかけや、この後、昨日亡くなった白龍神社の池田先生の事、現在断食中である事などお話しして、このタイミングにここに来る事になったのも何か意味があるのでしょう、と伝えました。
それと、何となく、ヨガとの関係を感じていたので、この断食中に色々な能力も高めたいと思い最近読んでいた 成瀬さんの本から
ヒマラヤ聖者の生活探求の話などすると、
小舟さんは、その本は私のバイブルですとまで言い出すではありませんか
『聖なる部屋』は、三つの神聖な部屋で構成され、そこであなたのディバインが癒しと変容をもたらすのを、あなたが受け入れ、あなたが直接神聖な意識につながる場所です。
『聖なる部屋』は、特定の宗教に関わることではありません。そこでは、宇宙の知性・意識が直接働きかけ、または、あなたの崇拝する神からガイドを受けて、あなたが現在抱える人生の問題(人間関係、健康、病気の治癒、トラウマの解消、仕事など)が、今までにない程パワフルに癒されたり、解決しています。
最初の部屋
2つ目と3つ目の部屋に入る前に、皆さんは手順の案内や、それらの部屋で体験をするための準備のために、いくつかの熟考のプロセスを取って頂きます。最初の部屋は、通常は数人のグループで行なわれます。2つ目と3つ目の部屋では、その時間は一人きりで、ひとり旅に出ます。
2つ目の部屋
3つ目の部屋で何かがおきるために、あなたの肉体的な身体を整えていきます。ここでは肉体的な癒しも含まれ、またケースによっては感情や精神的な癒しも起こります。
3つ目の部屋
ここでは、自らの神と出会い対面する機会になります。そして質問をしたり、何かを願ったり、または賛美や感謝を伝えたりします。この出会いは、とても直接的で、はっきりとし、まったく素晴らしいものです。
ワンネスへの目覚め 聖なる部屋
とこんな感じの説明を受けるのですが、その会話の中で、最近何を間違って来られたのか、ヤクザのような方が来て、バガヴァンと対話しはじめ、さらにその回りの不良少年達もなぜか勝手に更生されていっているとか・・・
なんとなく保江先生のコムニタ活人術(キリストの活人術)みたい
で実際に聖なる部屋に入って瞑想していると、バガヴァンの声が聴こえたりしたわけではないのですが、断食していると氣の感覚が鋭敏になるので、確かに何か入ってくる感じがするわけで、ここ数年は頼まれて誰かをお連れするだけになる事が多かったのですが今まで大きな問題が起ると相談できる池田先生という頼れる存在がいる事で安心感があったのが、居なくなってしまったわけで、そういう心配が出てきても良い筈なのですが、逆に肉体から離れ、意識体になった池田先生を身近に感じれるような、そんな気持ちになってきたわけです。
小舟さんにもらったアンマとバガヴァンのお写真はこんな感じで・・・
そんな体験をした後に、池田先生宅へ
本来なら眠っている池田先生のお顔を見て、寂しさで涙が出てきても良いはずなんですが、看取りを重視した介護施設で働く事で毎週のように亡くなっていく方達を見ているせいか、先ほどの聖なる部屋のせいか、そのような涙は出てくる事はなく、ただ、中止になった1月2日の正月祭の時、またついこないだ臨死体験の木内鶴彦さんに見せるためにヒモロギまで写真を撮りに来た際、無理やりにでも顔を合わせておけばよかったな、また正月祭が中止になった事で年始の挨拶も兼ねて参拝するはずだった1月14日
もし、その時連れていく予定だったNさんが御託宣を受けてたらどんな言葉が出てたんだろう?
それが残念でした。
そう思い出すと、最後に池田先生とお会いしたのは保江先生と神旅の広沢さんをお連れした時だったようです。
池田先生にお別れをして、近くの悟空庵へ
今まで悟空さんの話を聞く側に回る事が多かったのが、池田先生とのご縁で鎌倉から千ヶ峰に越してきて、こちらに来て、ほんと幸せそうで、ほとんど悩むことがなかった悟空さんの心にぽっかりと穴が開いてしまったようで、今回に限っては神道の話、UFOの話、宇宙人の話など私が話す側に・・・
結論的には情報や知識ではなく、自身が体験する事、だからその為に超人目指して断食してるのが楽しいんですよと・・・・
翌日保江先生に池田先生が亡くなった事を連絡すると、
「ちょうど池田先生が亡くなった3月3日に、いろは呼吸書法の山本光輝先生と岡山県の倉敷にある熊野神社で書の奉納をしていて、ただでさえ、晴れの国 岡山というぐらい雨の日が少ないのに、その日に限って雨が降っていたんだけど、たいがい神事をする時は雨が止むから大丈夫だろう!と思っていたら、とんでもないどしゃぶりになってみんなびしょびしょになって私もそれで体調を崩して昨日まで寝込んでたんですよ・・・でも、その時の書は過去最高ともいえるような素晴らしい書が奉納できて、これはどういう意味なんだろうと思っていたら、池田先生が亡くなった事を聞いて、納得しました・・・」
http://www.yamamotokouki.com/
実はこの奉納書の話は岡山の別の友人から少し先にメールで聞いていました。
(読みたいと思いつつ、本屋さんでは見当たらずまだ読んでなかった「零式活人術」) を本日午前の介護施設での仕事が終わった後、車中で読み終え、いつも通り、長砂八幡宮で祝詞をあげて帰ってくると、妙に池田先生の写真などないかな?と今まで見る事のなかった父のアルバムを探すとまだ整地される前の千ヶ峰での神事や父が池田先生と中国やイギリス、メキシコなどで撮った写真がたくさん出てきました。
正に神様が降りてきているようでした。
結婚式が終わる時も同じような現象が起き、今度は神様がお戻りしているような・・・
でも、私の勘違いで竹中工務店のお祭は翌日で誰も来ておらず、せっかく来た事だしと、考えたら小さな祠前で大祓を個人的にあげた事はなかったので、池田先生の追悼と思い、手水舎の奥の天竜大神さんから大祓祝詞をあげていきました。
それまで曇っていた天気も太陽がさしてきて、とても清々しい気持ちにもなり、その後滝場のお不動さんの前では般若心経と不動明王の真言を・・・
高御位神宮は高御位山から流れてくる小さな川の間に建てられていて、風水的には最高の場所に建てられているらしいのですが、花崗岩の岩盤でできた山なので、雨が降ると、ざっと流れ、しばらく雨が降らないでいると、すぐ川が枯れてしまい普段はその二つの川に水がほとんど流れていないのですが、その日は気持ちよく水が流れていたので、ほんと龍神さんが喜んでくれているかのようでした。
↓の写真はその彼女が来院した日、一ヶ月前から予定していたうちの整骨院を使っての先ずは身内だけでやってみようと、第一回気功体験教室、写真の笠原八重美先生は中国にも何度も行っているベテランの気功教室の先生。
付き合いは10年以上前からファイテンのお客さんとして、ここ1年ほど前に腕を骨折した事がきっかけで整骨院で患者さんとして3度ほど施術して、それがきっかけで一度白龍神社にもお連れして池田先生の御託宣で伝えられた言葉は
「死ぬまで気功教室を続けなさい・・・」
私が受けた池田先生の最後の御託宣は高御位神宮のこと
「お掃除をしっかりしなさい・・・」
ずっと池田先生に見られているような・・・