私には、19歳の娘と18歳の息子がいる。

 

娘が中学2年生のとき、ふたりは学校に行かなくなった。

 

 

娘の友達が、グループLINEで娘を無視するようにメッセージを流し、それを境に、娘がグループの友達から無視されるようになった。その後、娘は不登校になった。

 

息子は、姉が不登校になって間もなく不登校になった。

 

息子の不登校について、心療内科の医師は「年子は双子のようなものなので、影響を受けやすいからだ」と話した。

 

 

事実起こったことを書き出せばこのようなことになる。

 

ちなみに当時の私は慌てたし、嘆いたし、怒ったし、悲しんだし、怖かった。

 

さまざまなもの、人に対して、さまざまな感情を持っていた。

 

そして繰り返し、こう思った。

 

 

どうして?

 

 

何度も考えたが理由はわからなかった。

 

自分の子どものことだから、子どもを助けるため、なんらかの手掛かりがほしいしと思う。

 

そりゃ、理由も追求する。

 

が、理由を探ってもほとんど意味はない。

 

言い換えれば、理由がなんであれ、子どもは自分の力で立ち上がる時期が来る。

 

当然ながら、学校の先生からひどい体罰を受けたというようなことであれば、大人と大人の話なので、大人が出ていくべきだろう。

 

治すべき病などがあれば治したほうがいいかもしれない。

 

ただし、そのほか、親ができることには限界がある。

 

なぜなら違う人間だからだ。

 

 

ひとついえるのは、子どもたちが不登校になったことにより、私も夫も苦しみながらさまざまなことを学んだ。

 

なにより、職場の人はもちろん、多くの方にサポートしていただき、人のありがたみを感じた。

 

メンツなどどうでもよい。

 

子どもたちが学校以外の場所で過ごせないかと、情報をかき集めたり、動いたり。

 

それに対してかかる費用を稼ぐのに朝から晩まで必死で働いた。

 

人はなぜ病気になるのかといったことも、それなりに勉強したし、体感した。

 

病名は医者のためにあるということを医者から教えられた。

 

そして、自分の弱さを知り、強さを知った。

 

我々が招いていた事態を、我々が笑って穏やかに受け入れらたとき、子どもたちは自ら動き出し、立ちあがった。

 

 

今、娘は専門学校に行っており、夜遅くまでイベントに向けて励んでいる。学校が忙しくないときは、バイト先の店で「よく売る子」として走り回りながら働いているようだ。

 

息子は芸大に行き、朝から晩までさまざまな個性を持つ子たちの間で文学について勉強をしている。

 

 

私の周りでは、子どもが不登校になったという方が増えている。

 

私は同じような体験をした者として何か言えることはあるかと繰り返し考えた。

 

が、正直、点での質問には点で返せるが、人によって状況は異なるだろうし、意味があって迎えていることなのかもしれないとも思うので、あまり多くを話せなかった。

 

 

ここに書いたことが、誰かのもとに届くことがあれば、参考にしていただければ幸い。