今日たまたま出向いた先に


以前、態度がサービス業としてどうなのかと思い


クレームを出したその人にあった


あって思ったこと


思い出したことは


あの時は、俺のただのやつあたりだったのかもしれない


おそらく自分に余裕がなかったのだろう


人のことを思いやれてなかった


その人だって人間だ


調子いいときもあるし悪いときもある


あのときの感情を出してその時はすっきりしたが


今となっては罪悪感のそれ以外にない


Dカーネギーの『人を動かす』にこんな文がある


人を非難するかわりに、相手を理解するように努めようではないか。


どういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、よく考えてみようではないか。


そのほうがよほど得策でもあり、またおもしろくもある。


そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれ出てくる。

今日、知人の不幸話を聞いたときに


俺は笑ってしまった・・・


もちろん他意はない


どう対応していいかわからなかったのだと思う


自分のクセとして、笑ってごまかすところがあるようだ


しかし、このクセは自分にとってマイナス


自分自身を責めてしまう


相手にもいい印象を与えない


まだ、今日はいい学びがあったとはいえないが


このことに気づけてよかったと思う


俺は感情を出したり表現するのが


どうも苦手のようだ



ユダヤ人は与える事が最も豊かである事を知っている


国の思想が既にそうらしい

ある日ユダヤ人のAさんとBさんがレストランに行った


そして同じ料理を注文した

運ばれて来た料理の片方は、明らかに量が多く、もう片方は明らかに少なかった

当然、与える事の豊かさを知っているから、AさんとBさんはお互いに譲り合う。

Aさんお先に取って下さい。

いやいやBさんがお先にどうぞ。

こんなやりとりを、何度か繰り替えしてるうちにAさんが動いた

ではお先に。

そう言ってAさんが手にしたのは、量が多い皿

結果Bさんは量が少ない方を食べた

食べながらBさんは、もし自分なら、先に選ぶなら、絶対量が少ない皿だと思った


なぜなら、与える豊かさを知ってるから。

その後

Aさんが量の多い皿を選んだ事が腑に落ちないBさんは、この事をAさんに伝えた。

なぜ量の多い皿を選んだのか?私なら量が少ない皿を選んだ。と

そうするとAさんはこう言ったそう

私は量の多い皿を選ぶ事によって、あなたが望むものをあなたに与えた

ここまでがお話し。

一見何も与えていないように感じられるAさんの行動


なにをBさんに与えたのか

AさんもBさんも、自分は少ない方でいいからと


相手が量の多い皿を選ぶ事を望んでいた

AさんはBさんの想いを受けとり、量の多い皿を食べた。

これはAさんが自分の想いというか


願望(Bさんに量が多い皿を与える)ということよりも

Bさんの想い(Aさんに量が多い皿を与える)を選んだ。

Bさんの与えたいという次元よりも、はるかに高い次元でAさんは与えていた

そして、AさんはBさんを心から想っていた

Aさんが本当に望んだ事は、Bさんの幸せ。Bさんが豊かになる事。

だとしたら、Bさんの望む事はAさんに豊かさを与えたい


(この場合Bさんは量の多い料理を与える事がAさんにとって

自分ができる最良な事と思っている)


を受け入れる事は、Bさんが最も豊かになれるAさんの選択だったと思う

受け入れた結果、Aさんも本当にしたかった事


Bさんに自分が与えられる最良のものを与えた