仰々しいタイトルで始まりましたが…


七つの大罪に「飽食(暴食)」というものがあります。しかし、食べるものこそ私たちにとって一番身近な問題ではないでしょうか。


最近で言えば捕鯨問題。私は生き物に感謝しつつ、また食べるということの罪を意識して肉も魚も食べます。しかし捕鯨反対論者(あくまで、原理主義者のことです)は、牛も豚も食べておきながら鯨だけは駄目だと言う。その意識は問題だと思います。たしかに、政治的な意図だったり、環境団体としての寄付金めあてだったり、この問題を構成する要素は単純ではありません。ただ今回は人間と食べ物について焦点を当てます。

「人間は他の生き物を食べなければ生きていけない罪深い生き物である」

このことをきちんと認識し意識してこそ、日々の食事に感謝の気持ちで臨めるのです。たとえば、ベジタリアンと自称する方々(ここでも原理主義者のことですが)の主張は、動物を食べていないから良いと言う。では、植物は生き物ではないというのでしょうか?彼らは生物というものをどう捉えているのでしょう。たとえばただ水を飲んでもそこに微生物がいるとする。それはいいのでしょうか?そう考えるときりがないのです。命とはそうしたもの、生き物とはそうしたもので、ただのひとつも何かの命を犠牲にしないで生きていくことなど人間には不可能なのです。


熱くなってしまって申し訳ありません(笑)本題に戻りましょうか…


「世界でいちばん因果な食べ物」です。
これから世界を探求していくうえでまた出てくるかもしれませんが、私が今思いつくもので言えば「フォアグラ」でしょう。フォアグラは、必要以上にエサをたくさん与える強制給餌によってガチョウまたは鴨のレバーを「脂肪肝」の状態にし、人工的に作り出したものです。ご存知の通り、世界三大珍味の1つです。


一部では動物虐待に当たるとして生産や販売を禁止する動きが広がっていることも事実です。皆さんはどう思いますか?


私が「因果な食べ物」と言ったのは、まずそういった製法の問題、そしてフォアグラ自体がプリン体や脂肪分をたくさん含むために食べれば食べるほど人間の健康にも悪いということです。もっときつい言い方をしてしまえば、食べれば食べるほど死に近づく。


そして最も、「因果なものだなあ」と思うのは、フォアグラが美味しいということなのです。製法や成り立ちを考えるとちょっと尻込みするかもしれませんが、確かに美味しいのです。私も明確な答えはわかりませんが、フォアグラに思想的に反対している人は、この「美味しさ」という絶対的な事実を知らないのです。そしてそう言っている方でも、何かの命を犠牲にして生きているのです。そこに道徳的な違いは、真の意味では無いはずです。