今、瞑想のやり方と神の意識を体感するっつー講座を受けていて。。。
講座は4月から始まっていて、神アレルギーの私は、その時、そういう言葉を使わないで、「それ」を表現している主催者に魅力を感じ、受講したのですが。。。
半年くらいたったら、翻って「神」を使い始めました。
そういう作用であると解釈すれば、神でもいいんだけど、「嵌められた」感はありますね。
とても、頭の切れる主催者さんで、賢いの前に「ズル」を付けたい気持ち。
でも、人間なんて、都合よく、自分の信じたいことを信じたいんだなと、痛いほどわかりました。
半年以上経って、その神の意識を秘伝として、直接受けられる会というのがあるので参加して見ました。
でも、なんかおかしい。
率直に講座の感想を、述べたら、主催者(指導者)さんが、キレてしまいました。。。。
その会では、他の参加者さんも、自分の言いたい放題で、別の参加者さんをなじったり、どうしちゃったの?というくらいハチャメチャでした。
で、家に帰ったのですが、指導者への怒りとは別に、不思議と、気づきが起こるんですよ。
教えを広める指導者の人格と、気づきを起こさせる能力(奇跡的なもの?)は一致しないものなのかもしれないなと感じた次第です。
サイババも、崇拝を集める一方で、いろいろ暴露されていたようですし、その可能性はあると思いました。
でもせっかく、そのような素晴らしい能力があったとしても、自分の弟子にキレてかかるような態度では、こちらは近寄れません。
スピリチュアルの実践には、バランスが大変重要だと思いました。


