今、瞑想のやり方と神の意識を体感するっつー講座を受けていて。。。

 

講座は4月から始まっていて、神アレルギーの私は、その時、そういう言葉を使わないで、「それ」を表現している主催者に魅力を感じ、受講したのですが。。。

 

半年くらいたったら、翻って「神」を使い始めました。

 

そういう作用であると解釈すれば、神でもいいんだけど、「嵌められた」感はありますね。

 

とても、頭の切れる主催者さんで、賢いの前に「ズル」を付けたい気持ち。

 

でも、人間なんて、都合よく、自分の信じたいことを信じたいんだなと、痛いほどわかりました。

 

半年以上経って、その神の意識を秘伝として、直接受けられる会というのがあるので参加して見ました。

 

でも、なんかおかしい。

 

率直に講座の感想を、述べたら、主催者(指導者)さんが、キレてしまいました。。。。

 

その会では、他の参加者さんも、自分の言いたい放題で、別の参加者さんをなじったり、どうしちゃったの?というくらいハチャメチャでした。

 

で、家に帰ったのですが、指導者への怒りとは別に、不思議と、気づきが起こるんですよ。

 

教えを広める指導者の人格と、気づきを起こさせる能力(奇跡的なもの?)は一致しないものなのかもしれないなと感じた次第です。

 

サイババも、崇拝を集める一方で、いろいろ暴露されていたようですし、その可能性はあると思いました。

 

でもせっかく、そのような素晴らしい能力があったとしても、自分の弟子にキレてかかるような態度では、こちらは近寄れません。

 

スピリチュアルの実践には、バランスが大変重要だと思いました。

 

 

 

ひさびさに概念の崩壊っぽいことがありましたので、ご報告。。。

婦人関係のお話なので、苦手な方はスルーでお願いします。

ていうのは、生理の時に使う「月経カップ」という道具を使い始めたのですが、これで概念ガラガラです。

 

その道具自体は10年ほど前から知っていたのですが、当時見たときはとても使おうと思いませんでした。

局部にコップ状のものを入れる!?

無理かも。。。

外人サイズってとてつもない。。。と思っていたのですが、アマゾンを見ると、良いレビュー多数で、すんなり注文できました。

 

それで、入れてみたのですが、最初は大変でした。

でも、理論的には、赤ちゃんがそこを通るわけですから、無理じゃないし、実際通過したこともあります。

うまくポジション取りができれば、ナプキンが汚れないし、入浴も快適。

 

私の場合、自分のサイズが小さいようで、いまいちフィット感がないので、指で確認することにしました。

このとき、そこはかとない恐怖感が。。。。

他のものが入ったり(汗)中から出てきたことがある場所なのに、触るのが怖い!触ると痛そう、、、。

そこをたどっていくと、ヴァギナは、不浄であり神聖なものという両極の考え。

フラッシュバックするのは、サバトの儀式や魔女狩り。

女性の集合意識またはペインボディ。

普段意識していなかったけれど、そんなことを感じていたんだ~と再認識しました。

 

それからはいろいろと発見があって、それもまた概念の崩壊で、、、。

 

よく骨盤まわりの内蔵のイラストってありますが、指で確認すると自分のは全然あんなんではないです。もっと・・・・で・・・・で・・・・だし。たぶん、個人でものすごく違いがあるのだと思います。膣の中ってただの空洞じゃなかったんですよ。そんでもって子宮口があんな飛び出てると思いませんでした。このへんは、おのおの違うということで。。。

 

月経カップのことは、書いている方がたくさんいるのですが、苦しいとか嫌だということから解放されたという喜びが大きいんだなと思いました。

前から興味のあったカレルエフェクトに行きました。

駅から遠い場所のようで、十分時間に余裕を持って出発。
台風後のすっきりした青空。
会場に来るまでもが、チューニングと言われていたので、そんなもんかな。。。と思いつつ。
普段使わない駅の乗り換えでドギマギ。ヤバイ、平常心が、、、。
稲田堤という駅で乗り換えるのですが、駅と駅が完全に分離しており、商店街を数分歩きます。しかも、案内などが見当たらず、適当にスーツケースをゴロゴロした人のあとを付いていきました。ちゃんと着きました。よかったです。

目指すは調布です。車窓から、多摩丘陵の山並みが美しいです。満喫。
しかし、次からは、またドギマギ。
HPに案内のあった北口は見つからず、中央口しかない、、。駅が工事中で、ドコドコやってる。けどパルコはあるからとりあえず行ってみる。バスの時刻表を見ると1時間に3本しかなかった、、、。でも時間はたっぷりあるので大丈夫。
そのあとも、バス停の名前がちょっと違う感じがあったりして、すこしドキドキしましたが、なんとか到着。
時間が余っていたので、コンビニに寄って、立ち読みしたら、ananで、スピリチュアルなムック本が出ていてびっくりしました。引き寄せの法則で一網打尽な雰囲気。溝口あゆかさんも寄稿していて、時代はスピ。(ということにしておきたい)

のどかな住宅街、ほとんどうちと変わらないような街並みで、こんなところにカレルエフェクトがあるのかなと不安になりながらも到着。

受付に行くと、もう前の方が、セッションを終えられたらしく、りえさんの通訳でカレルさんとお話しをしていました。受付のスタッフの方も優しく、人形みたいな美人で、人間じゃないかも?カレルさんもりえさんもそんな感じでしたね。3人のコスチュームが、スタートレックのエンタープライズ号を意識している風なのですが、歯医者さんにしか見えない。。。(ごめんなさい)
でも後から考えると、これはすごく重要なことだと思いました。


スタッフの方から説明を受け、トイレを済ませて、宇宙船に乗り込みます。

暗くなった部屋の中で、座り心地のよい椅子に掛けるとりえさんがアイマスクを、カレルさんがヘッドホンをつけてくれます。この風景は、やっぱり歯医者だ、、。(ごめんなさい)

さて、音楽が聞こえてきますが、予習して買ったCDとはちょっと違う感じ。メロディー的な要素は少なく、音響的な感じがする。途中まで、何も起こらなくて、このまま終わりだったらどうしよう、、、。ぼったくりだ、、、。とか、雑念が沸いてきました。だんだん、音になじんでくると、何かが見えてきました。暗い紫色の中に、無数のビル群(のようなもの)(この先の描写はすべて「ようなもの」が付きます。あしからず。)それを、自分が展望台のようなところから、眺めている自分。すると場面が変わって、黒くてぐにょぐにょした生命体がうごめいて、体はダイオードのようなものが線状に明滅しているものが見えました。

次第に体が重くなり、組んでいる手が、離れなくなりました。すると、別の体の自分の手が何かをつかむような感覚がありました。

そして音が、シュワシュワしたものから滝のようなものに変わっていくあたりで、体がぐーんと持ち上げられるようになり、頭がキーンとしてきました。そのあと、徐々に下降していき、音が大気圏内に突入するような豪音ということもあって、すごいエネルギーが背中を通っていきます。
「やめてー。このまま行ったら、ち、地球にうまれちゃうー」
という気持ちでした。生まれるのを再体験していたのかなと思います。これは、前も夢で見たことがあったので、初めての感じではなかったですが、気持ちの良いものではありませんでした。その時間が、あまりに長く感じたので、
「そうか、地球に生まれて、生活するってのは、こんなエネルギー的な負荷がかかっているものなんだ。だから、受け入れよう。こんなもんなんだって」
と自分を納得させるナレーションが流れました。
音楽も、おだやかなメロディーに変化し、やさしく包まれて、あの深大寺の芝生の上にソフトランディングしました。

そっか、私、サポートされてるんだ。
(そうだよ。今ので、地球生活が楽しめるようにしてあげたからね。。。と聞こえたつもり)

なんか、ふらふらになりながら、感想を書きに行きました。


今あったことを文章にしようとするのですが、字が思い出せない。しばらく呆然としていたと思います。もう、テキトーにしちゃおうかと思いましたが、字を間違い、ぐりぐり訂正しながらも、イラスト付きで記入しました。

そのあと少し、感想をりえさん、カレルさんに伝えて、おしゃべりしました。

言われたことは、
その体験は、その人だけのもの。
違う体が動いているような感じは、スピリットとは、本来はそのようになっている。
アフターエフェクトといって、この後、また違う変化がある。でもそのことについて考えたり意識してはいけない。

次の人が来たので、そろそろ終わりということで、立ち上がると、そこにいたのは、富田佳音さんでした。

みんなに握手してもらい、一緒に受けた方と一緒にバス停に向かいました。

帰りのバスの中では、ちょっと頭が痛かったりして、なにか状況を把握できない、バツの悪さみたいなものがありました。

家に帰って、夕食の支度をしたのですが、何かが違う。。。

いつもは、憂鬱な気分が襲ってきて、「メンドクサイ」というモヤモヤした気持ちがあり、それをまた自分でとらえて浄化するみたいなことをしていたのですが、そのモヤモヤがないのです。何か、行動する時に、必ずなにか葛藤する感情がついてきたということにも気づきました。その、当たり前の葛藤が、すごく少なくなっていました。

まだまだ、効果は表れると思いますので楽しみです。

(考察につづく)
あの2062未来人ですが、音声有料販売に移行したことによって、ウソでしたっていう顛末でしたね。無料の音声の内容があまり共感できなかったので、購入はしなかったのですが、サイトの感じ自体が変だったので、見分ける練習にはなったと思っています。

そして、私の中に満たされないものも、実は存在していたんだなあと改めて気づかされました。

自分やみんなが知らない事を知っているという人物を信じたとき、憧れのような依存のような言葉では表現できない感情が沸いてきました。ザックリ言うと、寂しさの裏返しのような。

また、これを後ろで操っていた人物の巧妙さもある意味、時間や手間暇がかかっていて、大掛かりですごいなと思いました。

最終的には、自分のフィーリングで良かったんだということでも安堵しています。
誰にもわからないようなことは、自分を落ち着けるために、ダウジングするのが、精神安定に良いと思いました。

たぶん、ある程度エネルギーとかわかるスピの人は、大丈夫だったと思いますが。。。

この2062関係者は、信じちゃった前提では、情に訴えるキャラ作りがうまいです。

自分が、50年ほど過去に行ける未来人だとしたら、、、。

そんなに現地の人に未来のことを教えたいと思うだろうか、、、。
仕事で訪れたらなおさら、、、。

ダマヌールのタイムマシンはどういうものなのかはよく知らないんだけど、自分の身一つでタイムトリップするなら、ダウジングとかも同じかもしれない。

実際、未来人がいたとしても、ネット上では、それを証明することができないし、未来が変動するものならば、歴史の記録に対する正しさなどすぐに変わってしまう。

イタチごっこですね。
小説を読んで楽しんだということにしておこう。
時をかける少女のドラマ、またリメイクが放映されてますね。
私は、原田知世さんの映画が初めての時かけでした。。。
でも実は、これが最初ではなくて、NHKで「タイムトラベラー」という名前で制作されていたようなんです。(原作同じ、筒井康隆)
その番組も人気があったらしいんですが、時かけは、何か初恋的な気持ちになるというか、胸がキュンとする感じがあります。

そのほかにも、タイプスリップもののドラマはたくさんあり、仁とか信長協奏曲とか、バックトゥ、、、。
とにかく結構好きです。

話は変わりますが、「ツインソウル」って、同じ時代に生まれないこともあるそうなんです。
で、気になった私は、Lロッドで、判定してみましたら、

ツインソウルは、?
いる

同じ時代にいる?
いない

という結果になり、今生では肉体では会えないということらしかったです。

ツインソウルなのに、会えないなんて~(泣)です。
地球に来る前は、きっと時空を自在に移動していて、すぐに交流できる相手だったのかもしれない。
その郷愁が、時かけをはじめとする、タイムトラベルものに惹かれるのかもしれないなあと思った次第です。
だから、会えないのではなく、肉体を超えたレベルでは、交流が可能ではないかと思っています。

最近、巷で「未来人2062」という、未来からやってきた人のHPが話題のようですが、1週間くらい釣られて見ています。なんとなくグレーなんですが、、、。バシャールのほうが、最初のインパクトはあったかなあ。
その未来人さんは、今自分が生まれた時代(2062)はいい時代だから、みなさん不安にならずにそのまま頑張ってくださいという、メッセージなども残しておられるのですが、、、。
なんでも、そこでも自殺は深刻な問題らしく、テクノロジーはタイムマシントラベルできる程なのに、人類の精神は、それほど進化していないように見受けられるのです。
現代は、避けられない大きな災害や戦争が控えているような時代らしいですよ。
今、タイムトラベルできるとして、私だったら、1940年代に応援にいくかな~?
なんか滞在するのさえ嫌な気が。。。
時空テロリストという存在がいるそうなのですが、なにか時間を曲げてしまうようなことをするとしたら、その未来人さんさえ、テロじゃないかと思ってしまうのは、私だけ?HPの印象が、暗くておもちゃくさいのが気になる。
話半分で釣られようかなと思っています。
「自分の命はいつからあるのか?」

大学の哲学のゼミの最初に先生からされた質問です。

短絡的にとらえた私は、もちろん「おぎゃー」と生まれてから、、と思いました。

あれ、保健体育や理科の授業では、そういえば精子と卵子が、、、ってなってるから、辿っていくとはるか昔・・・?

でも、記憶は子供のときからだから、うん?

すぐには、腑に落ちませんでした。

自我の誕生と本来の生命の誕生をごっちゃにしていたんですね。


まさか、宇宙の誕生とともに自分がいたなんて、にわかには信じられなくて、不完全燃焼な感じがありましたね、あの授業は。

先生も、そのあとの話題を悟りとかにはしたくなかったみたいで、私も理解が及ばなかったなあ~と思います。


今やっと、先生の言っていることがそーういう事かってわかりつつある。(のかな?)

でもさ、当時の私に「君は生まれてもいないし、死ぬこともないんだよ」なんて言われても、この先生は、頭おかしいわ。。。としか思わなかったと思う。だから、適当なところで止めといたんだろうね。

嶋田厚先生はお元気かな?
12月6日に行われたショートセミナーに行ってきました。

行く途中で、ちょっとハプニングがありましたが、結果的には良かったと思います。行って。

というのは、、
ちゃんと乗り換えアプリにも登録して、家族との軋轢は生じない様に準備したのはいいんですが、、、。

電車の床に、鳥の羽が落ちていて、「これは、良い前兆だわー」と思った途端、「もしかしてわたしは時間を間違えている」という考えが前触れもなく降りてきました。

どきどきしながら、チェックすると、やだ!1時間間違えている。。。

でも冷静に、起こることは起こる、これは全体の表現、、、とか悠長に考えようと思っていましたが、やはり身体の感覚は、収縮し、筋肉がこわばる感じ。

どうしようという焦りを感じつつも、いい機会だから、第三者の目からこの状態を観察しようと思ったのでした。

もし、このままいけば、30分の講演は聞けないことになるはず。どうする?なんとなく面倒になってきたからやっぱやめちゃう?でもどーしてどーして、確認したのに。せっかく申し込んで振込をしたんだし、遅れてもいくべき。

最後だけでも聞いたほうがいいよ、、、。

いろいろな心の声が聞こえます。

焦っても、この物事は物事だし、わたしができるのは淡々とこのまま会場に向かうのみ、、。しかも、駅に着いたら、トイレに行きたくなってしまい、ちゃんと用もしっかり足していきました。焦って、あとからいきたくなってもアレですからね。

で、普通に遅れて入場しました(笑)。
お話の途中でしたが、内容的には、癒しと非二元のお話で、ちょうど非二元の部分が始まるところでした。いままでも、Youtubeとか見てるので、そんなに目新しさはないのですが、やはり生のエネルギーというのは違いますね、、。説明できないけど、、。

あゆかさんは、親しみがもてる気さくな雰囲気の人でした。ぶっちゃけなトークなんだけど、ちょっと理屈っぽいところが、いままでのティーチャーの中では新鮮な雰囲気だと思います。結婚や恋愛関係のセラピー本も出しているけど、いわゆる女神的な感じではなく、人間的な感じです。なんか、阿川佐和子さんみたいな雰囲気。非二元の人で、人間じゃないっぽい人もいますが、非二元だけど人間なところが、親しみやすい感じなのかもしれない。説明に丁寧に答えてくれるところがさすがセラピストだと思います。

休憩のときに、隣の人が話しかけてくれて、あゆかさんのセラピーなども経験されていらっしゃる方だったので少しおしゃべりしました。
マトリクスリインプリンティングって、暗示をかけてポジティブイメージを植え付けるものかなと思っていたのですが、そうではなく、タッピングしながら、感情を解放したあと、想像の中で、相手を呼び出し、自分と和解するストーリーを創造するそうです。それは、一人ではなかなか難しい手法かもしれないなあと思いました。
その方は、一瞥体験もされているそうで、20年ほど前そのような体験があったけれども、そのままそれはそれで今の探求とは無関係と思っていたそうです。
「虚空に目の玉だけが浮いていて、自分の思いでなんでも作れる」とおっしゃっていました。なんかどっかできいたようなフレーズです、、。
瞑想や座禅、自我を落として、離れて観るということもやったほうがいいけど、時期は選べないって言ってました。
あゆかさんのお話も聞けてよかったですが、隣の女性のお話も、聞くことができて、むしろそっちのほうがエキサイティングでした。そういう意味では、遅刻しなければ、座らなかった席であり、遅刻を理由に、以前の内容の質問を聞くことをきっかけにお話を聞けたということになります。

やっぱり、あの羽はそういうことだったんだ、、。と思いました。

あゆかさんのお話は、期待していましたが、やっぱり言葉を越えた世界を表現しているので、一瞥体験をしていない私には、分かりませんでした。そして、個が苦しいならセラピーは受けるべきだそうです。
そんなこんなで被験者の方のセラピーは、すごく地に足のついた感じでした。問いかけセラピーと言うらしいですが、これは、やる人本来の個性が左右するものですね、、。セラピストの考え方は否応なく出てしまう。ユーモアを含めて、ズバズバ切込む感じで、そーいうのが好きな人向き。あの場で、個人的なことを言ってくれた被験者の方も勇者ですね。

あと、質問者さんの中には、一瞥体験したのに、苦しいという方がいて、あゆかさんは大変共感していました。一瞥体験って、聖人だけじゃなく、もう一般的なレベルの話なんですね。

生きてる間にそれを体験できるのを、楽しみにしています。



<COSMOS>

初めて聞いたのは、来賓として招かれた小学校の卒業式。

自分の子供が卒業するんじゃないのに大号泣してしまいました(汗)

自分たちの卒業式と比べると、世の中の意識も、だいぶ進化してるんではないでしょうか?

中学校の合唱曲としても、ポピュラーみたいです。
痛みや悩みがあるのは、「それが自分のものだと思うから」

のようなフレーズをきいたことがありませんか?
なんだかピンとこないのですが、そんなに難しいものではないかもと思っています。

状況から自我を外すということ・・・

私は、無意識でそういう状態になった記憶があるのですが、たいそうなモノではありません。

3歳時、幼稚園の砂場で、おもらしをしてしまいました。
3歳とはいえ、おもらしがいいことかわるいこと位は、わかります。

他の園児が、おもらしをしてしまい、自責の念か、羞恥心か、ギャーギャー泣いているのも見ていました。
当時の私には、あってはならないことでした。

子供なので自我のサイズも小さく、ちょっとしたことで、忍耐の許容値もMAXに。。。。

先生には、おもらししたことを黙っていましたが、ついにバレてしまいます。

そして、幼稚園所有のきついズボンにとりかえられてしまいました。
みたことのない、へんな色のズボン、おもらししてしまった罪悪感、帰ったら親になんと言われるか。
我慢の限界です。
だけど、泣くことだけは、嫌でした。

そこで、起こったことは、意識が遠のいて、自分自身を俯瞰する感覚に、切り替わったのです。
「もしも、これが私ではなく、私みたいな他のだれかがおもらししてしまったとして、それを見つめているのが私だったらどんな感じかな」ということを感じようとしたと思います。

そうしたら、自責の念や、バツの悪さ、罪悪感は、遠のいていきました。
さっきの問いかけには、たぶん「どうとも思わないだろうな・・・」と瞬間的に答えが出ました。

そして冷静に、ここで泣いたら、私がおもらししたことがバレてしまう、だから何事もなかったようにしよう。
そして必死に、近くにいた子の後を追って、遊びのマネをしていました。おもらししたことは、頭から消しました。

こうすることによって、その場で、自分のミスで、自分が傷つくことを回避したという思い出がありました。

ずっと忘れていたけれど、子どもの時のほうが、無我の体験がたくさんあると思います。
悟り、非二元、ダイレクトパスなどいろいろ言い方はありますが、このところ立て続けに読み散らかしてみました。
言葉で表現できないものを敢えて文字にしているので、はっきり言ってまどろっこ

しいです。
こんなにグダグダ言えるものなのかと、著者先生方の文才に脱帽です(笑)

「なにもないけど無限がある」というものを表現するということは、人それぞれの表現が、違っていて、でも内容は、同じものを言っている・・・といえるものだと思いました。それぞれの感じ方、とらえ方があります。

だいたい根底に流れている考え方は、
自我(感情、考え、信念など)を見ている私があって、その大きな私は、ひとつであるからして、云々です。
私は、大きな一つってところがまだいまいちピンときていないのですが、物事に反射的に起こる感情を、いちど物や人から引き剥がして、再評価するってところまでは、なんとなく納得できてるかなあ。


悟り書籍は、抽象的になりやすいので、眠くなりますが、たしかに先人たちもこの道を通って、理解に至ったのだと思うと、私もいずれ、、、と希望が持てます。というか、ほんとはもう悟りはあるので、この感想もストーリー?悟り探求は、いつの時代でもあったんですね。

「ラットレース」から抜け出す方法/サンガ

¥1,728
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かなり前に出版された本。(70年代)
著者は、タブーに触れた、現代の枕本(と言ってもエロではないです)とか、挑発的におっしゃっていますが、もう今の時代はどうかな?でも、悟りを、そんなアナーキーにとらえ、かつ当時の最先端科学の話も織り交ぜて発信するところが、カッコイイです。ヒッピームーブメントのコアってこういうことだったんですね。


存在の詩 和尚 OSHO/めるくまーる

¥2,052
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これもヒッピー系の書籍。最近再ブレイクのOSHOの本。図書館で借りました。アランワッツの頭脳明晰の文章とは違った、とりとめのない文体ですが、彼のあたたかさ、カリスマ性が伝わってきます。人気があったのもなんとなくわかるなあ。


プレゼンス―第1巻 安らぎと幸福の技術(覚醒ブックス)/ナチュラルスピリット

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最近知った、溝口あゆかさんのお師匠さんの本。実は陶芸家というところが興味深いです。アートから悟りたい人にはおすすめかもしれない。最初は、自分でも、なじめなかったのですが、ずーっと読んで、最後のところ、「好きな人の、特定の顔、表情にどうしてこんなに愛を感じるのか、それは、、、」というところですごく感動しました。悟り系書籍は、知識を得るためのものではなく、身読するものですね。


何かを得ようとすると、悟り本は読みにくい、けど「考えるな、感じろ」的にチャネって(行間を)読むと、あとから体感します。