朝が退廃を拒絶し
よどんだ魂が覚醒する

ままならぬ過去は自由を手に入れ
未来永劫にひざまずく

嗚呼、我が魂なんと静やかなのだろう


昨日までの罪を許さぬ広きモラルが
この空に吸い込まれゆくよう
怒りの矛先胸に収め入れ
今父を赦そうか

君の歌に心揺さぶられ
寂しく流れる群衆に昨日を捨て去り
またひとりとして歩み出そう

あとどのくらい道は残されているのだろう
時が孤独を抱くとも
僕は進もう この朝とともに
心理学では心の現象の変遷を物理学でのエネルギーの変換性にならって心的エネルギーという量で説明しようとする立場があるらしい。相対論によれば、e=mc^2によりエネルギーは質量と等価であるから、もし心的エネルギーなるものが物理学で定義されるエネルギーと同じ量であると仮定すると、心は質量をもつことになる。そして心的エネルギーの非常に大きいひとは物質としての心の質量が非常に大きいことになる。

ここで相対論的効果の指標としての無次元量、GM/Rc^2なる量(Gは重力定数、Mは物体の質量、Rは物体の特徴的な量である)を考えると、この値が1に近ければ相対論的効果が大きいことになる。例えば銀河系のブラックホールはこの無次元量が1に近い値をとる。一方太陽のそれは10^-6ほどで非常に小さく太陽系の運動では相対論的効果は水星の近日点での起動のずれのような場合を除いて無視できる。

話を心のエネルギーに戻すと、もし人間で心的エネルギーが信じられないほど大きいひとがいれば、ブラックホール並みに心の質量もそれなりに大きくなり(人の心はもしかしたら身体のなかにあるのではなく、身体から離れ彼方の重い星が思い描くビジョンなのかもしれない)相対論的効果が極論無視できなくなる。もしかしたらひとを惹きつける力というのは心というブラックホールのなせる業なのかもしれない。重力ではないにしろ、心が電磁気学における電荷による場のようなもので特徴付けできれば近接作用としてひととひとは力のような場を及ぼし合い、引き合ったり反発しあったりしているのかもしれない。