~前述~


・文化様式


【ハイカルチャー】

大衆社会が出現する以前の社会では、一部の上流層(貴族・教会など)がその担い手であり知識や教養に関しての教育を受ける事が出来る身分や財力を持たない者はその埒外にあった。つまり、ハイカルチャーとは上流である事の裏付けとしての存在であり下層階級との明確な差を示すシンボルであった訳である。


古典文学 美術 クラシック音楽 礼儀作法、マナー 学問 基礎科学 等があげられる。


【サブカルチャー】

ハイカルチャーが知識や教養を受け手に要求するのに対して、サブカルチャーは受け手に対して要求するものがほとんどない。

サブカルチャーはハイカルチャーと違い、受け手が消費する文化であり社会的地位を保証しない。

大衆社会が出現してきた20世紀から今日にいたるまで、メインと相対的な位置を占める事でその存在が社会に知らしめていたが21世紀に入りその意味がだんだんと変容をとげている。


漫画、イラスト、アニメ、ライトノベル、ポップミュージック、ロック、娯楽映画等があげられる。



~本編~

※文化というのはあまりに広範な意味合いを含んでいる。ここでの文化は=サブカルチャーと理解していただきたい。



さて、前述でも述べたとおり文化には大きく分けて二つの様式があるが、今回のテーマと深くかかわりのあるサブカルチャーを中心に話をすすめていく事にする。


日本のサブカルチャーはいつ誕生したのか?


これはいわゆる団塊の世代が、20代の若者だった60年代後半から70年代前半にかけてである。

学生運動や安保闘争といった「反権力」のベクトルから「反権威」に転じ、そこからハイカルチャーとの対峙が始まる。

この当時は、まだまだ文化が内側(自己)ではなく外側(社会)に向けて発信されるものであったが、80年代以降に大きな変化が訪れる。それまで、外側だった文化が急激に内側へ向かうものへと変化すると同時に文化の商業化を招いた。

この変化はかなり重大な事で、それまで文化を担う者が消費と生産を同時並行で行っていたのに対し消費と生産の完全なる分化をもたらしてしまった。結果として、文化は企業やメディアの手中で創造されるようになり受け手と供給側という2重構造で構成されるようになる。文化を企業やメディアが創造するようになると、当然のごとく利潤の上がるものや話題になるものが集中的に受け手へ供給されるようになり「反権威」というベクトルはマイノリティ化していった。




・メインフレーム型文化・


「中央集約的に文化を流通させる型」


それまでの文化は、社会的地位を表すものであったり自己の意思を社会へ表明する手段であった。

しかし80年代に始まった変化で、文化は単なる娯楽と化し文化を創造する企業やメディアはコンテンツを創造する者の価値観を軽視し消費者の価値を偏重するようになる。

期を同じくして、消費者も作家性や創造性を無視するようになり自分達の望むものを与えてくれる従順なる創造者を求めはじめるのである。その結果、企業側は流行する可能性が高いものを中央集約的に流通させ多様性が喪失する事態を迎えた。



・ハブ型文化・


「分散化・ネットワーク化した文化の型」


90年代初頭にインターネットというニューメディアが出現し、文化の型が劇的な変化を遂げる。

従来までの文化は、その地域独自のものでありそれが他の地域に伝わった時には明らかに模倣でしかなかった。

それは何故か?その文化の震源地となる地域に対して他の地域は時間と距離という差異が存在し情報が伝達するまでのタイムラグがあったからである。

しかしインターネットの出現により、時間や距離というタイムラグは消失しネットという仮想空間においてすべての人が同時に存在する事が可能となった現在では、オリジナルと模倣の違いはきわめて曖昧であり、もはやオリジナルは存在しないのかもしれない。つまり従来は参入障壁とでもいうべき壁があったのに対し、現在の文化はほぼ消失した。

そういった意味で、劇的な変化と言える。


では、参入障壁が消失した事で文化にどの様な構造変化が引き起こされたのか?

今現在もっとも顕著なものとして、以下3つをあげる。


・消費者が同時に創造者でもある。


ある特定の文化を好む者が、インターネットという仮想空間を通じて全国(全世界)の仲間と交流しお互いがお互いに影響を受けインスパイアされそれが創造につながる=マッシュアップ。そのアウトプットは、同じく仮想空間を通じて流通・消費されさらなるインスパイアを生み出すという創造の循環が起こっている。


・反権威的な方向性。


現在の文化の担い手は、主に80年代以降に誕生した世代(ジェネレーションY)が主流となっいる。

彼らは、従来型の流行といったものを嫌い自分は自分であるという意識が非常に強い。その為、企業が生み出す製品や旧メディアが発信する情報に対してかなり懐疑的であり嫌悪すらある。

史上最も洗練された価値観を持つを言われるこの世代は、企業の権威=良い物とは捉えていない。

その為に、自分達の文化は自分で創造しようとする傾向があり将来的にその市場規模は拡大する模様。



・中央集約型成熟から分散・ネットワーク的成熟へ。


従来までの文化には必ず中心というものが存在している。そしてその中心から周辺に移るにつれて「模倣」的な色合いがより強くなっていくのが特徴であった。そもそも、中心から周辺へ情報が伝達するのには物理的な距離とそれに付随する時間によってどうしてもタイムラグが発生してしまうのであるからどうしても後追いにならざるをえなかった。しかし、昨今急激にその影響力を強めてきた「インターネット」というニューメディアの存在によって情報伝達におけるタイムラグは縮小もしくは消失してしまっており、現実世界から仮想世界へとフィールドを変えた文化は、同期性を獲得し瞬時になおかつ大量の個に対して広まる様になった。

さらに特筆すべき点は、情報の同期性が高まった事により「オリジナル」と「模倣」の区別が喪失した点である。結果として、その文化が内包する「行動様式・コミュニケーション方法・方向性・意味」がある特定集団や地域によって上書き・更新されるのではなく不特定多数の個によってマュシュアップを繰り返し成熟するパターンへと変容を遂げた。つまり、その文化の内在する個の間で高度に分散しネットワークが構築されその内部において文化が成熟するという事。



新たな脅威としての文化


文化の型が変容するにつれ、その全体像の把握が困難になりつつある。

実際に仮想空間としてのWEBは情報の海と化しており、より深くより暗い場所が出現している。

例えば、現実世界で「アングラ」というジャンルに多く見られる違法性や反社会性といった要素を過分に含んだ文化が、インターネットの出現によりより深く潜るようになり現実世界から把握する事はもはや不可能に近い。

他者からその存在が見えないという事は、絶対的な防御になると同時にそのコミューンの生存率を高め気が付いた時にはもはや手おくれといった事態に往々にして陥る。


・いわゆるアングラサイトと呼ばれる部類が内包するコンテンツ


児童性愛/盗撮/婦女暴行/動物虐待/痴漢/自殺/薬物/違法コピー/著作権侵害/死体性愛/死体


犯罪を起すすべての人間が、こういう類のサイトに影響を受けているとは考えにくいが、自我境界の防壁がもろい人間は

こういった暗くて危険な匂いみ少なからず魅了される事は確かなようだ。

しかしながら、そういう願望を持ちえる人間が直接的に現実世界で行動を起すのではなく仮想世界においての代償行為で、その欲求を昇華させている面をあり諸刃の剣なのである。



・文化が内包するコンテンツの行方・


文化の変容はまだまだ始まったばかりであり、依然として過渡期であると言える。

しかし確実にその変化のスピードは速まっており、やがて決定的な局面を迎えるであろう。


【筆者の予測する未来】

資本がそのコンテンツを流通させ、利潤を生むといった形態は恐らく存続する。

しかしその市場は、かなり複雑でなおかつ細分化しており、投資効率が下がり利益を圧迫する可能性はいなめない。

また新たな勢力(仮にここで※1 OSCと呼ぶ)の台頭が始まる。

その勢力は、まず無料でコンテンツを流通させる事が出来る。

そしてそのコンテンツを用意するのは、消費者でなおかつ個の集合体(コミューン)である。

コンテンツを創作するものは、ドロップシッピングの様な流通システムを利用して収益を得る事が出来る。

つまり流行ではなく自分にとって一番良いものを、無数に存在するコンテンツの内から選び出し、購入するパターンが一般化していくという事。


※1 youtubeの様な無料共有スペースとドロップシッピングが複合化したもの。












60年代から今日にかけて様々な、「サブカルチャー」が発展を遂げてきた。


・日本のサブカルチャー・カウンターカルチャーの変遷


・60年代

この時代は、どちらかというと若者達VS大人達・反主流VS主流というほぼ定まった形式があった。代表的なものとして「ヒッピー・学生運動・安保闘争・べ平連・地下芸術家」などがあげられる。この時代の性格として、政治や世論に対しての抵抗という同一のベクトルがあったのが特徴である。


・80年代

60年代が直接的行動により、自らの望む社会なり環境なりを構築していったのに対し80年代は、他者と自分との差異がメインテーマにとってかわる。代表的なものとして「ロリコンアニメ/漫画・ゲーム・SF・オカルト・クラブ・ディスコ・AV」などがあげられる。この世代の性格として、多種多様なサブカルチャーの少数コミューンに属する事により個としての符号化を行い、アンチ○○でなく私は私といういわゆる個性または自己中心的概念の確立にベクトルが向いていた。


・90年代以降

長引く不況や、今まで想定すらできなかったような犯罪などが頻発する様になり時代の閉塞感が漂っている。そういう劣悪きわまる世相の中で、仮想現実に埋没する若者達が大量に発生した。今までのどの世代とも異なる点は、民族としての同一性が完全に瓦解した事である。80年代以降に始まった個の符号化は90年代に入り、ますます拍車がかかりいわゆる○○系という様なカテゴライズが進んだ。彼らの行動様式として、世間の常識にとらわれるのではなく自らが帰属するコミューンこそがそれを決定づけるのでありその埒外の人間からはまったく理解不能なパターンをとるようになった。

代表的なものとして「援助交際・パソコン通信・古着・ストリートファッション・おたく」などがあげられる。この世代の特徴は、文化のベクトルが世間との直接的対峙により、既存の価値観や常識といったものから逸脱し現実世界において自らのユートピアを創造しようとする方向と、直接的対峙を避け仮想現実のなかにユートピアを見出すという方向の大きく2つに分裂した事である。


以上が日本における「サブカルチャー」の変遷であるが、さてここ何年かで急速にその勢力を強めサブカルチャーの内でもメインストリームを占めつつある「おたく文化」に触れてみる。


※おたくといってもあまりに広範に及ぶ為今回は「ボーイズラブ」に焦点をしぼってご紹介します。


・ボーイズラブとは何であるか?

※Wikipediaより引用

ボーイズラブとは男性同士の同性愛 を題材とした女性向けの小説漫画 のジャンルのことである。10代の少年 、特に美少年 同士の間での恋愛を指す言葉であり、大人同士の作品はメンズラブと呼ばれる場合があったが、最近では広い範囲で「女性向の男性間同性愛」を指す。英語圏では同じ範囲をさしてShonen-aiと呼称する。


愛読者の特徴


まず初めに、どの様な文化や思想であってもそれにのめり込む度合いというものには個人差があります。

そこで、その度合いによっての特徴をまとめてみます。


1.現実世界に力点を置き、あくまでも興味の対象としてのパターン


あくまでも、恋愛小説やちょっとHな漫画の延長線として捕らえている。

では何故BLというジャンルなのか?

理由としては以下の3つにほぼ集約されます。


・「障害/葛藤」が通常のジャンルとは比べ物にならない程大きい。その為に、より大きな快感が得られる。

・女性の潜在意識には「同族嫌悪」があり、普段は発露しないが男性が絡む事により一気に表面化する。そういう女性特有の煩わしさが無い為に、楽しみやすい。

・仮想現実というのは、現実世界の代償行為であり密接に脳内ではリンクしている。その為、例え仮想であっても自分が恋したキャラクターが異性と結ばれるのは許せない。



2.仮想世界に力点を置き、現実世界において仮想世界を体現するパターン


何らかの理由により、男性コンプレックスを抱えており現実世界の男性が性や恋愛の対象になり得ない。

または、同性に対してのコンプレックスから自己の性までも嫌悪し結果として人工的で都合の良い性へ倒錯してしまう。


【現状】

現在のところは、圧倒的に前者が占める割合が多く後者はマイノリティであるが、将来的には後者がメインストリームに浮上する可能性が高い。また、どちらも10代から20代の若者が圧倒的に多く彼女達を取り巻く社会要因が多少なりともBLブームを後押ししているように感じる。ではその社会要因とは何か?


1.近年高まりを見せる「フェミニズム・ジェンダー」といった概念が若い世代へ浸透しつつある。


まだまだ、一部であるが男女平等から男性嫌悪・男性排他へと概念が変化しておりその結果現実世界から仮想世界へとシフトしているパターンも見受けられる。


2.男性の女性化。


女性が望む男性像に対して、答えれるだけの魅力を持った男性が確実に減少傾向にある。

また、精神的にも女性よりも軟弱な男性が増加している。


3.女性が望む誠実・純朴な男性の減少。


近年では、「フェミニズム」の流行と相成って自立的な女性も増加しているが、まだまだ男性に頼る女性が多い。

女性の一般的な性質として、安定を求め自分に対して富を保護をもたらす男性は独占したいという欲求があります。

しかしながら、現代の男性特に若い世代は浮気や遊びを繰り返しがちでその様な男性との恋愛で傷つく事が増えている。



【特殊用語】

サブカルチャーの変遷でも触れましたが、近年の特徴として「彼らの行動様式として、世間の常識にとらわれるのではなく自らが帰属するコミューンこそがそれを決定づけるのでありその埒外の人間からはまったく理解不能なパターンをとるようになった。」があります。その行動様式の一つして特殊用語というものがあげられます。


・BLの特殊用語


※Wikipediaより引用

攻(せめ)
挿入する側。

受(うけ)

挿入される側。注意すべきは行為に受動的であるとも限られない事。受側が積極的であることもありえる(襲い受、鬼畜受など)。


×

カップリング を表わす記号。この記号の前に位置するものが攻、後ろに位置するものが受。攻側×受側。この記号はしばしば省略され、また通常は発音されない。海外では"/"と表記されるため、ボーイズラブの二次創作は"スラッシュ"と呼ばれている。


学園もの

その名の通り、学園を舞台に展開されていく物語を主体としたジャンル。生徒はたいてい美少年であるのが普通。こちらはボーイズラブ的な要素を中心としている。二次創作ではなく、完全に独立した物語として世に出る場合が多い。


リーマンもの

サラリーマンの生活を舞台として展開されていく物語を主体としたジャンル。どちらかと言えばメンズラブ的要素が強い。


やおい穴

ボーイズラブの物語の書き手(女性)が描く性行為 の場面において、攻め側が挿入する受け側の「穴」として使われることがある。生物学 上存在しないファンタジー であるために便宜上こう呼ばれる。"変な穴"、"謎穴"、"男処女穴"、"妄想の穴"、"腐女子穴"とも。また、肛門 に続く位置付けから"第二の穴"、女性器、肛門に続く位置付けから"第三の穴"とも呼ばれている。この穴はボーイズラブの歴史において初めから存在するものではなかったとされている。以前から腐女子はベッドシーンの描写欲はあったものの、肛門への挿入に異議を唱える者も少なくなく、愛撫描写後はベッドから夜が明けた窓の外を映すという抽象的表現で終わらせることが多かった(これを朝チュンと呼ぶ)。そんな中、女性器、肛門に続く第三の穴として提唱されたのがこの"やおい穴"だった。これは肛門肯定派も否定派も取り込む事に成功し、ボーイズラブの性行為におけるスタンダードとして現在も利用されているファンタジーである。しかし、そのファンタジックな存在が、恋愛に〈ファンタジー〉を求める腐女子に受けて普及したものと考えることもできる。映像美の観点から、わざとそのような「穴」の存在を感じさせる体位 で描かれることも多く、感情が高まると分泌液を発したり、場合によっては妊娠 もするなど、どちらかといえば女性器に非常に近くなっている。一方で、ボーイズラブ自体がファンタジーでありながら、その現実とあまりに解離した概念、要素に対して、ボーイズラブを好む男性(腐女子に対して腐男子 と呼ぶ)の評判はよろしくない。また、上記のような意図して"やおい穴"として描かれたもの以外に、描き手側が男性器と肛門の位置関係を理解出来ていないことから、描き手側は肛門のつもりでも読み手側から「これは"やおい穴"だ」と皮肉をこめて言われてしまうケースも少なからず存在する。



【感想】

やはり、男性側としてあまり好きになれるものではないが文化の形としては非常に面白いものである。

また同時に、危機感も感じます。

このまま、BL人口が増え続けるといわゆるダメンズが増えさらに男性嫌悪が進む。

しかしながら、性に対しての社会通念にも同時に疑問を呈す。

処女性や純潔性というのは、本来日本には存在していなかった概念でありいわば輸入された思想なわけですね。

しかしながら、昨今のメディアというのは「女性=おしとやか・純潔・処女」「男性=誠実・純朴」といった論調でしか語らない為に世論もそういうものだと思い込んでおり強迫観念に近い形で、個に対してそれを植えつける。

大和から昭和初期にいたるまで、日本は性にたいして緩やかであり皇室をのぞいてはかなりあっぴろげで自由奔放であった訳です。もっと踏み込んだ言い方をすると性交とは、日々の疲れを癒すものでありコミュニケーションであり一種のエンターティメントな訳で社会規範で締め付けるような「悪」ではないのです。

そろそろ、「性」に対しての捉え方を考えるべきであると筆者は思います。

考えるに家庭内不和や、少子化問題も密接にリンクしているのでは?

日本のセックスレスの割合は先進諸国でもかなりの高水準で、離婚や家庭内不和の一因にもなっているそうです。

性交というのは、すぐに上達するものでもありませんしまして肌の合う合わないは多くの人と交わらなければ解らないもの。

もっと現実にそくした社会通念をもって、若者達を導いて欲しいものです。


結論として、男性から受け入れがたいものという事に変わりはありませんがその感覚は、世間が考えている事とはかなり乖離しており至って普通の乙女的なものである。

しかしながら、その発生要因には注目すべきであり今後の動向次第では大規模な社会変革が必要になるでしょう。



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う~ん。

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ああゆうのを天才って言うんでしょうね!



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・北朝鮮の核開発問題の経過


  • 1998年 8月 テポドン1号 の発射実験。日本上空を通過。
  • 2002年 12月 寧辺 にある核施設の再開を表明。
  • 2003年 1月 核拡散防止条約(NPT)からの脱退を宣言
  • 2003年6月 第1回 6ヶ国協議 (北京)
  • 2005年 2月 核兵器 保有を公式に宣言。
  • 2006年 7月5日、テポドン2号 の発射実験 この後、日米による経済制裁 などを強化
  • 2006年10月3日 朝鮮中央放送 にて核実験の実施を予告。
  • 2006年10月9日 朝鮮中央放送 にて核実験を実施し、成功したとする報道がなされる。アメリカ・日本・韓国・中国・ロシアは事 実関係や分析により、核実験の実施が行われたことを確認する。
  • 2006年10月11日 7:40(JST )頃に2度目の核実験を行ったと日本のテレビ局が報道したが、気象庁は「北朝鮮北部周辺を震源とする地震波は観測されていない」とコメントを出し、安倍首相や麻生外相など、政府関係者もこの報道を否定、結局誤報であることが判明した。
  • 2006年10月17日 2度目の核実験 準備が判明した。
  • 2006年10月18日 日米中韓露の5カ国外相会合が20日に北京で開かれる予定<br>


    【各国の反応】


    ・韓国 「朝鮮半島非核化宣言に反する行為」「対話を通じた問題解決に逆行する」などの強い態度をしめしている。また「太陽政策 」と呼ばれる緩やかな融和を目指した対応をとってきたが、今回の核実験によって方向転換をよぎなくされている。


    ・中国 北朝鮮に対して各種の支援を行い、核実験前までは北朝鮮の保護者であった。しかし、度重なる要請にまったく耳を傾けずさらには今回の核実験を強行した事で完全に面子をつぶされた形になりもはや制裁もやむなしと態度を変えてきている。


    ・ロシア 非難声明を出すものの、米国の圧力が要因であると述べており少なくとも他国の様に対米追従の姿勢にはなっていない。ロシアは近年、莫大なオイルマネーで目覚しい経済発展を遂げておりそれと比例する形で米国への対立姿勢を表してきている。


    ・アメリカ ブッシュ 大統領 は、北朝鮮への物理的攻撃ではなく、外交的に話し合いで解決していくと述べた。同国は、対イラク・対アフガ二スタン戦争が長引いており、資金や兵士の面から恐らくこれ以上の作戦遂行は難しいと思われる。本音は今すぐにでも、金正日を抹殺し北朝鮮を開放し従順な傀儡国家に仕立て上げ、巨大化する中国へのカウンターへしたいはず。


    【外交ゲームを制したのは誰か?】


    これは、腹立たしい事に当事国である北朝鮮である。

    米国は、中東の泥沼から抜け出せず日本はただひたすらブッシュ 大統領 に泣きつきしまいには「ラブミーテンダー」とか言い出すしまつ。韓国は、「太陽政策 」を打ち出している手前そこまでの強硬姿勢は取れない。中国は中国で、現状のままは困る訳である。しかし体制が崩壊し米軍が目と鼻の先に居座るのはまさしく「悪夢」以外のなにものでもないので、駄々っ子のご機嫌取りに熱心である。北朝鮮はその様な各国の思惑を、敏感に感じ取りまさしく瀬戸際の作戦を展開しながらついには核保有国になってしまった。


    【極東地域ミリタリーバランスの変容】


    今後考えうる事態として、日本の核武装(すでに政界では検討の余地ありとの声も出ている)が挙げられる。

    現在のところは、米国が強く牽制するとともにライス国務長官がわざわざ来日し日米安保の履行を約束する等している為に、飛躍する事は無いが今後は可能性の一つとしてありうる様だ。

    日本が核武装するとなると、周辺諸国(中国・韓国・北朝鮮・ロシア)等との関係はより一層悪化していきアジア・極東地域のミリタリーバランスは大きく変容する。まして、「尖閣諸島」「竹島」「台湾海峡」など周辺有事につながる種がばら撒かれている状況であるから軍事衝突が起きると考えてほぼ間違いない。そうならない為にも、各国が協調し朝鮮半島から核を排除するべきである。

    次に、韓国の核武装がある。これも上記と同様で、核の連鎖反応が起きるのは免れないでしょう。しかし、日本以上に韓国の方がより切実ではないでしょうか?核を持っている国と持たざる国ではお話にならないほどの差がある。北朝鮮がこのまま上手い事逃げ続ければ韓国はずっとゆすられ続けるこ事になるでしょうから。


    【世界に与えた意味】


    今回の核実験でもっとも考えなければならない意味とは何か?

    それは、北朝鮮の様な小さい経済規模の国家でも国民の生活を度外視し国際社会にも背を向け、もちうる限りの資金と能力をつぎ込めば核武装が可能だという事を証明してしまったという点である。

    潜在的に核開発を検討していた国が、今回の事態を受けて本格的に核保有国への道を歩みだす可能性がある。さらに開発された核兵器が「テロリスト」や「闇市場」に流れる恐れもありもはや破綻しかけたNPT とは違う新たな枠組みを設ける必要性が出てきた。



    【日本がこれからなすべき事】


    もはや責任を放棄しつつあるアメリカに変わり早急に、対北朝鮮政策のリーダーシップをとり国際社会と共同歩調をとりながらの交渉を続ける事。

    万一北朝鮮が暴発した場合のシュミレーション(予想される人的・物的被害/周辺国の動き/現行法での対応の可否/防衛能力・攻撃能力の試算/国際世論の反応/国内世論の反応)を行いどう対処すべきなのかを決定する事。



    ・私としての考え


    今回の事態は、かなりの衝撃でした。

    だって何の前触れも無く突然かの国が、核保有国になってしまったんですから!

    核保有を表明する前でしたら、正直にいって朝鮮有事なんて起こりえないと思っていましたからね。

    しかし、今となってはその余裕、悪く言えば平和ボケ的な思考につけこまれた気がします。

    だが、まだ冷静さを欠いているわけではありませんよ!

    政府与党で一部の人間は安易にも、日本も核武装を検討すべきと語りましたがあれはいけませんね。

    仮にも一国を背負っている人間があの様な発言をするのは、冷静さを欠いているか何か恣意的なものを感じます。

    では世論はどうなのでしょう?危機を危機として感じているのでしょうか?それともお国がどうにかするとかそんな事ある訳ないとか思っているんですかね?反応の薄さが逆に気になります。

    もちろん、冷静さを欠いた行動はいけませんが10分後には核ミサイルが飛来する土地に住んでいる訳ですので少なくとも、注視すべき事であると私は思います。様はバランスの問題であります。

    ただやみくもに、反戦!憲法9条改正断固反対ではなく核武装を今すぐに実行せよでもない。まずは、冷静な現状の把握と、よくよく考慮した上での行動なり判断なりをすればよろしいのでは?


    ちなみに、お隣の韓国では核ミサイル着弾を想定した避難訓練が行われたそうです。

    安部さん日本、いや主要6都市だけでもやったほうが良いんじゃないんですかね?


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  • ※このテーマは、現時点での10代~30代までの「懐疑的世代」を同世代の位置から俯瞰的に分析を試みるものである。

    ※著者は、専門家でもなければ専門的な知識を有している訳でもありません。あくまでも個人的な主観から様々な「現象」を解釈し情報として発信するものでありこの情報に対しての「価値」は読者の皆様でご判断下さい。



    ニートや引きこもりについての世論というのは圧倒的に以下の様な意見があげられる。


    ・「怠け者」「親不孝」「理解不能」「危険因子」


    やはり、圧倒的にネガティヴな方向性が大多数であり憎悪すら覚える者もいるのが現状。


    【彼らの様な階層が発生してきた時代背景】


    重要なキーワード:バブル崩壊・不況


    経済面:企業が大規模リストラ・新規採用の見合わせ・終身雇用の廃止・能力主義の導入等を行った。

    社会面:国の財政基盤が揺るぎ、企業体質が猛スピードで変化するなか社会不安が増大。

    精神面:あらゆる信頼が揺るぎ、確固としたものが見えない。

    【発生要因】


    1.価値観の崩壊

    戦後からバブル期までの日本は、一億総中流という明確なコンセンサスが存在し誰もが同じ「幸せ」を共有してきた。しかし、国家の成熟にともなって価値観は多様化し幸せ=「○○」という明確なアンサーが無くなった。つまり今まで国家が示していた価値基準が無くなり自らが何を望み何を幸せと呼ぶのかを模索しなければならない過渡期に突入している。


    ※何故国家基準が無くなったのか?それを考える必要があると筆者は思います。


    2.父権の喪失

    バブル崩壊で「終身雇用」「年功序列」の保護手段が消失し他者との競合を余儀なくされ、さらに「リストラ」などの不安定要素が加わる。そのような強いプレッシャーの内で、家庭を支え国家を支え企業を支える事に誇りや幸せを人は見出せるものなのか?恐らく答えはNoです。勿論そうでない方もいらっしゃるとは思いますがね。

    やはり父親とは、家庭内での純然たる規律であり道徳であり模範であるわけです。従って子供や妻からの「尊敬」が得られる様な行動をとらなければなりません。しかし、明日をも知れぬ我が身の父にとってその様な威厳ある行動は取れるはずもなくまして社会にでるというのは素晴らしい事なんだよと教えれるはずもありませんね?

    その様な家庭環境で育てば、当然のごとく社会に対して懐疑的になりますし、同時に何も自分に対して恩恵を与えてくれない社会に出て行く必要性は感じないはずです。



    3.教育システムと社会とのギャップ

    教育の使命とは、社会の要求する人間を育成する事であると私は考えております。

    では現在の教育システムは、果たして社会の要求する人材を育成出来るのか?これはもう明確にNoです!

    求めるモノがあまりに多様化した現在では、忍耐と努力では無く忍耐と創造性が必要ですが現行の教育システムは未だに前者の方を行っているのです。

    その様な教育システムで教育を受け、いざ社会に出てみれば自分が今まで学んで来た事が通用しない。確かに昔からそういう事はありますが、その度合いが昔の比ではないという事です。

    想像して見てください!学校では、一生懸命に勉強もして先生の指導も良く聞き太鼓判ももらっていざ社会に出てみれば、自分が無能だという事に気づかされる。

    そんな現実に直面しても、まだ社会に加わろうと出来る人間はそうそう居ないと思います。



    4.大人への信頼の喪失

    人間は環境が悪化すると自分の精神を守る為に、現実逃避をします。

    バブル崩壊後はこの国の大人達も、やはり現実逃避をはじめるのですがその方法に問題があった。

    代表的なものとしては、女子高生の性を高額で買う=援助ですね。考えて見てください!

    家庭では日々の1万2万でも貴重だという時代に、SEXするだけでその何倍ものお金が手に入る。

    大人達は、必死に働いて日々の1万2万を稼いでいるけどそれってどうなの?何か馬鹿みたいじゃない?

    そう思われてもしょうがありませんよね?だって現実に2時間3時間で何万円も稼げるわけですから!

    つまりそういう現実があれば、大人を信頼するはずもありません。



    5.国家の成熟

    高度に経済が成長し、働かずとも食べて行ける社会が到来した。

    つまり、親が子供をいつまでも扶養して行ける程に経済的に余裕が出来てしまったという事です。



    6.現実逃避手段の商品化

    つまらない、信用できない、苦痛な現実社会から逃れる現実逃避手段が出来た。

    その代表例として、アニメ・ゲーム・ネット等が挙げられます。

    そうゆう現実逃避手段を提供する市場は今や数百億円規模にまで膨れ上がり、その質もユーザにとってよ逃避できるモノへと変容してきている。いくら親が扶養していようと、退屈な現実から逃避する事が出来なければ恐らく社会と折り合いを付ける方法を模索して行くか、自殺するかのどちらかになるかと思います。

    しかしながら、現実逃避出来るツールやコンテンツが日々新しく生まれては、提供されていく。

    その様な現状では、いつまでたっても現実社会に目を向ける気にはなれないでしょう。



    7.社会からの抑圧

    冒頭でも述べた通り、彼らの階層に対して世論はかなり否定的です。

    団塊の世代の様に、共通の思想や体験を持っている訳ではなくこの階層は基本的にインディヴィジュアルでありなおかつマイノリティですから当然プレッシャーに対しての防御手段を持っていません。

    勝てない戦に喜び勇んで、出て行くバカはいませんよね?

    社会から抑圧でなく容認の姿勢が見られなければ、恐らく変化はないでしょう。

    むしろ抑圧があまりに高まると、危険な気がしますね。

    彼らの階層は、下手な専門家よりも専門的な知識をもっていますし

    爆薬とかぐらいなら恐らく普通に製造出来うる。

    もし彼らを結束させるだけのカリスマ性を持った人物が登場すれば、当然のごとくあらゆる手段をもって自分達の望みどおりの社会を実現しようとするでしょう。



    以上ですが、それは違う!私はこう思うなどありましたら、ぜひぜひコメントして下さい。



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