~前述~
・文化様式
【ハイカルチャー】
大衆社会が出現する以前の社会では、一部の上流層(貴族・教会など)がその担い手であり知識や教養に関しての教育を受ける事が出来る身分や財力を持たない者はその埒外にあった。つまり、ハイカルチャーとは上流である事の裏付けとしての存在であり下層階級との明確な差を示すシンボルであった訳である。
古典文学 、詩 美術 クラシック音楽 礼儀作法、マナー 学問 基礎科学 等があげられる。
【サブカルチャー】
ハイカルチャーが知識や教養を受け手に要求するのに対して、サブカルチャーは受け手に対して要求するものがほとんどない。
サブカルチャーはハイカルチャーと違い、受け手が消費する文化であり社会的地位を保証しない。
大衆社会が出現してきた20世紀から今日にいたるまで、メインと相対的な位置を占める事でその存在が社会に知らしめていたが21世紀に入りその意味がだんだんと変容をとげている。
漫画、イラスト、アニメ、ライトノベル、ポップミュージック、ロック、娯楽映画等があげられる。
~本編~
※文化というのはあまりに広範な意味合いを含んでいる。ここでの文化は=サブカルチャーと理解していただきたい。
さて、前述でも述べたとおり文化には大きく分けて二つの様式があるが、今回のテーマと深くかかわりのあるサブカルチャーを中心に話をすすめていく事にする。
日本のサブカルチャーはいつ誕生したのか?
これはいわゆる団塊の世代が、20代の若者だった60年代後半から70年代前半にかけてである。
学生運動や安保闘争といった「反権力」のベクトルから「反権威」に転じ、そこからハイカルチャーとの対峙が始まる。
この当時は、まだまだ文化が内側(自己)ではなく外側(社会)に向けて発信されるものであったが、80年代以降に大きな変化が訪れる。それまで、外側だった文化が急激に内側へ向かうものへと変化すると同時に文化の商業化を招いた。
この変化はかなり重大な事で、それまで文化を担う者が消費と生産を同時並行で行っていたのに対し消費と生産の完全なる分化をもたらしてしまった。結果として、文化は企業やメディアの手中で創造されるようになり受け手と供給側という2重構造で構成されるようになる。文化を企業やメディアが創造するようになると、当然のごとく利潤の上がるものや話題になるものが集中的に受け手へ供給されるようになり「反権威」というベクトルはマイノリティ化していった。
・メインフレーム型文化・
「中央集約的に文化を流通させる型」
それまでの文化は、社会的地位を表すものであったり自己の意思を社会へ表明する手段であった。
しかし80年代に始まった変化で、文化は単なる娯楽と化し文化を創造する企業やメディアはコンテンツを創造する者の価値観を軽視し消費者の価値を偏重するようになる。
期を同じくして、消費者も作家性や創造性を無視するようになり自分達の望むものを与えてくれる従順なる創造者を求めはじめるのである。その結果、企業側は流行する可能性が高いものを中央集約的に流通させ多様性が喪失する事態を迎えた。
・ハブ型文化・
「分散化・ネットワーク化した文化の型」
90年代初頭にインターネットというニューメディアが出現し、文化の型が劇的な変化を遂げる。
従来までの文化は、その地域独自のものでありそれが他の地域に伝わった時には明らかに模倣でしかなかった。
それは何故か?その文化の震源地となる地域に対して他の地域は時間と距離という差異が存在し情報が伝達するまでのタイムラグがあったからである。
しかしインターネットの出現により、時間や距離というタイムラグは消失しネットという仮想空間においてすべての人が同時に存在する事が可能となった現在では、オリジナルと模倣の違いはきわめて曖昧であり、もはやオリジナルは存在しないのかもしれない。つまり従来は参入障壁とでもいうべき壁があったのに対し、現在の文化はほぼ消失した。
そういった意味で、劇的な変化と言える。
では、参入障壁が消失した事で文化にどの様な構造変化が引き起こされたのか?
今現在もっとも顕著なものとして、以下3つをあげる。
・消費者が同時に創造者でもある。
ある特定の文化を好む者が、インターネットという仮想空間を通じて全国(全世界)の仲間と交流しお互いがお互いに影響を受けインスパイアされそれが創造につながる=マッシュアップ。そのアウトプットは、同じく仮想空間を通じて流通・消費されさらなるインスパイアを生み出すという創造の循環が起こっている。
・反権威的な方向性。
現在の文化の担い手は、主に80年代以降に誕生した世代(ジェネレーションY)が主流となっいる。
彼らは、従来型の流行といったものを嫌い自分は自分であるという意識が非常に強い。その為、企業が生み出す製品や旧メディアが発信する情報に対してかなり懐疑的であり嫌悪すらある。
史上最も洗練された価値観を持つを言われるこの世代は、企業の権威=良い物とは捉えていない。
その為に、自分達の文化は自分で創造しようとする傾向があり将来的にその市場規模は拡大する模様。
・中央集約型成熟から分散・ネットワーク的成熟へ。
従来までの文化には必ず中心というものが存在している。そしてその中心から周辺に移るにつれて「模倣」的な色合いがより強くなっていくのが特徴であった。そもそも、中心から周辺へ情報が伝達するのには物理的な距離とそれに付随する時間によってどうしてもタイムラグが発生してしまうのであるからどうしても後追いにならざるをえなかった。しかし、昨今急激にその影響力を強めてきた「インターネット」というニューメディアの存在によって情報伝達におけるタイムラグは縮小もしくは消失してしまっており、現実世界から仮想世界へとフィールドを変えた文化は、同期性を獲得し瞬時になおかつ大量の個に対して広まる様になった。
さらに特筆すべき点は、情報の同期性が高まった事により「オリジナル」と「模倣」の区別が喪失した点である。結果として、その文化が内包する「行動様式・コミュニケーション方法・方向性・意味」がある特定集団や地域によって上書き・更新されるのではなく不特定多数の個によってマュシュアップを繰り返し成熟するパターンへと変容を遂げた。つまり、その文化の内在する個の間で高度に分散しネットワークが構築されその内部において文化が成熟するという事。
新たな脅威としての文化
文化の型が変容するにつれ、その全体像の把握が困難になりつつある。
実際に仮想空間としてのWEBは情報の海と化しており、より深くより暗い場所が出現している。
例えば、現実世界で「アングラ」というジャンルに多く見られる違法性や反社会性といった要素を過分に含んだ文化が、インターネットの出現によりより深く潜るようになり現実世界から把握する事はもはや不可能に近い。
他者からその存在が見えないという事は、絶対的な防御になると同時にそのコミューンの生存率を高め気が付いた時にはもはや手おくれといった事態に往々にして陥る。
・いわゆるアングラサイトと呼ばれる部類が内包するコンテンツ
児童性愛/盗撮/婦女暴行/動物虐待/痴漢/自殺/薬物/違法コピー/著作権侵害/死体性愛/死体
犯罪を起すすべての人間が、こういう類のサイトに影響を受けているとは考えにくいが、自我境界の防壁がもろい人間は
こういった暗くて危険な匂いみ少なからず魅了される事は確かなようだ。
しかしながら、そういう願望を持ちえる人間が直接的に現実世界で行動を起すのではなく仮想世界においての代償行為で、その欲求を昇華させている面をあり諸刃の剣なのである。
・文化が内包するコンテンツの行方・
文化の変容はまだまだ始まったばかりであり、依然として過渡期であると言える。
しかし確実にその変化のスピードは速まっており、やがて決定的な局面を迎えるであろう。
【筆者の予測する未来】
資本がそのコンテンツを流通させ、利潤を生むといった形態は恐らく存続する。
しかしその市場は、かなり複雑でなおかつ細分化しており、投資効率が下がり利益を圧迫する可能性はいなめない。
また新たな勢力(仮にここで※1 OSCと呼ぶ)の台頭が始まる。
その勢力は、まず無料でコンテンツを流通させる事が出来る。
そしてそのコンテンツを用意するのは、消費者でなおかつ個の集合体(コミューン)である。
コンテンツを創作するものは、ドロップシッピングの様な流通システムを利用して収益を得る事が出来る。
つまり流行ではなく自分にとって一番良いものを、無数に存在するコンテンツの内から選び出し、購入するパターンが一般化していくという事。
※1 youtubeの様な無料共有スペースとドロップシッピングが複合化したもの。


























