『100匹目の猿』は 嘘!?
こんにちは~。先日、あるスピリチュアル系の人(その世界では有名な人)の話を聞いていて『100匹目の猿』の話が飛び出してきました。あれ、 嘘だってあまり知られてないのでしょうか?「まだそんな話をしているんだー」って、ちょっとがっかりしてしまってw100匹目の猿現象とは、幸島の猿のコロニーでイモを洗い出したサルがいて、それが100匹に達したら、別の島や本州の群れにもその現象が現れたというものです。この話は、ライアル・ワトソンが最初に書いて、スピリチュアル系の人が、テレパシーなんかとごっちゃにさせて、『一定数の人が集まれば、祈りで何とかできる』的なものへ発展させています。この『100匹目の猿』の話がねつ造されたものだということは、霊長類研究の河合先生がはっきり断言しています。何しろ、この河合先生自身が、幸島で猿の研究をしていて、イモを洗い出したサルに「イモ」と名付けた張本人だからです。もちろん、他の地域のコロニーでもイモを洗い出した事実はあるようです。これは、ワトソンが書いたようにテレパシー的に伝播して伝わった訳ではありません。彼がそのような書き方をしたので、話題になったのですが。(きっと話題性として狙ったと思ってます。その文章表現には高評価ですがw)河合先生によると、まずサルはイモを普通は食べないようです。見たこともないものには警戒するか、関心なくスルーします。しかし、エサとして認識させると好物になるという事実があります。さらに河合先生は、動物の行動にはそうせざる負えない「文化や環境的背景」があると言っています。それによって同時発生することがあるということです。例えば、魚を取る道具で、(こんなの↓)上を広げて、下を閉じて、水だけを逃がすような構造は、世界各地で見られるけど、それが全て人づてに伝わったのではなくて、環境的背景でみんなが同じように思いつくという結果、生み出されたものだと言っています。同じように、電話の発明が、エジソンとライプニッツがほぼ同時期に発明したとか、ある程度の文化的背景が整うと、同じように思考する人が現れるということが起こります。話をサルに戻すと、人がエサとしてイモを与えたことが、サルの中で「水につけてみよう」という行動のキッカケになったと言えます。たぶん、イモは洗ってエサとして出されていたことでしょう。水に随分濡れているイモが差し出されたら、水に漬けた方がいいんじゃないか・・・となんとなく同じように思うサルもいたんでしょう。同じようなシチュエーションに同じような材料が共有されると、まさにテレパシー的に伝わるかのように、同じ思考や行動を取るものが現れるということです。水につける行為も、サルの中での情報空間での共有度が、そうさせているという説明がつきます。この『100匹目の猿』現象も、現実的には全然違う地域に伝わったように見える現象があるわけですが、実際には十数年の年月が掛かっているという現実もあるようです。その間に、幸島の飼育法が人づてに伝わって伝播したのか、環境が整って(各地でイモが大量に採れて、エサに利用した時期があったとか)発生したのかは追いかけることは出来ません。もしかしたら、その場で飼育員が洗って出したのを真似したのかもしれません。でも、スピリチュアル系でちょっと流行っている、「一緒に祈れば変化が起こせます」的な行為自体にテレパシー的なものは存在しないと思いますね。大切なことは、その背後に、祈らなければならないことがあって、それが文化的背景や、情報空間での「共有度」がどれだけ大きいかの方が重要だと思います。そのレベルが上がれば、各地で同じような行動が起るでしょう。僕としても、神秘的なことは嫌いじゃないのでそれをファンタジーとして見せるならいいと思っているのですが、人を導くような「教育」として聞くには、いささか腑に落ちなくなるんですよね。その辺がスピリチュアルに偏りすぎる人に対して、若干「ん??」となってしまう原因なんです。ま、『100匹目の猿』は 嘘なのですが、視点を変えれば、同じようなことがあり得るというお話しでした。本日もお読みいただきましてありがとうございます。