イエス様の話された種まきのたとえは、
とても有名です。
しかし今日そこを読み直して、
今更ながらに気がつくことがありました。
最初の種は道端に落ちました。すると空の鳥が食べてしまいました。
その解説をイエス様ご自身がルカの福音書8:12でされています。
それがなぜかとても恐ろしい内容です。
「道端のものとは、
御言葉を聞くが、
信じて救われることのないように、
後から悪魔が来て、
その心から御言葉を奪い去る人たちである。」
信じて救われない理由として、
悪魔が御言葉を奪い去る??悪魔は神様に断りもなく、そんなこと出来るのか??
悪魔は誘惑したり、騙したり、嘘をつくことが可能なように。
心から御言葉を奪うなんて・・・悪魔も聖書の御言葉を知っているのは確かです。
マタイの福音書も、マルコの福音書でも同様に、
悪魔サタンが蒔かれた御言葉を奪い去ると書いてありました。
イエス様がそれを真実として語っておられるようです。
それはクリスチャンにとっても同じでしょうか?
説教を聞いても聞いても成長がない。恵まれない。
説教者のせいでなく、悪魔に御言葉が奪われ放題なのでしょうか。
説教中、御言葉が右の耳から入ったはずなのに、最後の祝祷の頃には残っていない・・・
御言葉を聞くにあたって、
もう悪魔サタンが狙っていることを意識しないといけません。
ベテランのクリスチャンほど、「あー知ってるよ」と思った途端にもう奪われてますね。。
聖書の通読でも何でも、心を開き、開いたそこにしっかり種を植え付ける。
聞く心の準備をしておくことが、良い土地の条件です。
たくさんの種を無駄にしてしまったことを悔い改めます。。