沖縄に来てから、ほぼ毎日家族との食事をしている。
妻の弥生の手料理を食べているわけです。
ですから、私は、これを、我が家のやよい軒と勝手に呼んでいる。
元々料理好きというのもあって、子育てで大変な中、
おいしい料理を作ってくれることは、とてもありがたいことである。
例えば、先日食べたエビマヨは、ご飯が進んだ。
イカソウメンのような体をした私がご飯を3杯もおかわりした。
とりあえず、あまりうまくないときは別にして、
基本的には、毎食、
「飲食店、行けるぞ。」
「これは並んでも食べたい味ですな。」
「落ちた頬が見当たらない。」
「味覚があることに感謝したくなる。」
こんな感じで、褒めまくっている。
すると、段々と弥生も、
「そんなことないよ~」といった自信のないリアクションから、
「ほんとに~?」と疑い始め、
「もしかしてそうなのかも・・・」と少しずつ確信めいたものへと変わってくる。
4ヶ月経った今、弥生は、こう言っている。
「私の作るおいしさで、世界平和が実現される。」
その横で、子供2人が喧嘩をしているのにも関わらず・・・・。
子供が寝て、静かに、しんみりと泡盛を飲んでいたときのことである。
弥生が「飲食店やってみたいんだよね!」と興奮気味に言うのだ。
それ自体、とてもいいことだと思う。
やってみたいことを口に出すことは、むしろすばらしいことだ。
ただ、風呂の最中にドアを開けて、首だけ出して言うのだ。
「ごめん!シャンプー取って!」とか、
「ねーねー!やかんに麦茶沸かしてあるから火止めておいて!」とか
私の経験上、風呂場からのシャウトは緊急かつ重要なことに限られる。
「飲食店やってみたいんだよね!」
と風呂場から聞こえてきたのには、泡盛を噴出してしまった。
一体、風呂場で何があったんだ?
こう思わずにはいられない。
考えても答えが出ないので、少し、自分のこれまでを回想していた。
そういえば、自分もおいしいものが大好きで、
おいしいものが食べれるだろうというイメージだけで、北海道大学に進学した。
それも、やっぱり魚介類でしょ、というだけで、水産学部に。
飲食ね~。いいかもしれないな。
するとまた風呂場から声がする。
今度は、扉は閉まったままで、首すら出していない。
「あのさ、私は作るから、あとは何がいいか考えてくれ!」
「おっ・・・、お・・・、おう!」
「店の内装とか、使う食器とか、そういうのも私がやるわ!」
「おっ・・・、お・・・、おう!」
「立ち上がったら、あなたはあなたで好きなことをやってくれ!」
「おっ・・・、お・・・、おう!」
この数分で、「やりたい!」から、「やる!」に変わっている。
風呂場の弥生まで声が届くように返事をしては、子供が起きてしまう。
ただただうなずくしかなかった。
弥生は、風呂からでると、パジャマに着替え、
そのまま洗面台で歯を磨いてから出てきた。
それまでの理由を話してくれるのかと思いきや、
「宜しくぅ~!」とだけ言って、寝室に入っていった。
こうして、飲食をやる!ということだけが、
鶴の一声で、その日決まったのだった。