ラッキードッグ1SS
バレンタインSS ベルナルド編
「入っていいかい、マイハニー」
控えめなノックのあと、長身のベルナルドがゆっくりとした歩調で部屋に入ってきた。
服に染み付いた高級煙草のいい匂いが近づいてくる。
俺はちびちび舐めてたグラスから顔をあげた。
「電話番、しなくていいのけ」
「ブランデーの匂いに誘われてね、ついフラフラと」
俺の手から取り上げたグラスの中身を、ベルナルドは一気に干す。
「ふう。ごちそう様」
「どういたしまして。お代はツケでいいワ、ダーリン」
「それはどうも、ハニー」
グラスを俺の手に返しながら、ベルナルドが笑う。
「ジャン、少しお前と話がしたいんだが――今、いいか?」
「面倒な話か? まさかまたGDの奴ら……」
「そうじゃない--実は、だな」
ヘネシーをグラスにたっぷり注ぎ、それを干してから、ベルナルドが切り出す。
「なあジャン、お前、あっちの方の処理は--どうしてる」
「へ?」
あっちって……もしかしてルキーノやイヴァンが朝晩精出してるアレのコトけ?
--おっと。イヴァンの奴は、朝昼晩かな。あいつ若いし馬鹿だし。
「ルキーノの奴がかなり心配しててね。俺は余計な詮索は無用だと言ったんだが--」
ベルナルドが、またブランデーを並々と注いで、干す。
「単刀直入に言おう。ジャン、お前、特定の--その、相手がいるのか?」
「いるヨ。長い付き合いの恋人が、ここに」
俺は右手をベルナルドに向かって振ってみせる。
「ジャン--」
ベルナルドが抗議の声をあげるより早く、
「お前こそどうなんだよ、ベルナルド」
俺は言った。
「カポとして、CR:5の次期ボスとして知っておく必要がある」
言葉を紡ぎかけたまま、ベルナルドの口が固まり--皮肉な形に歪む。
「おいおい、ジャン--」
「吐けよ、ベルナルド。どんな女だ? さぞかし美人なんだろうなあ。髪の色は? 赤毛?ブルネット?それとも金髪け?」
「ジャン、ジャンカルロ。いくらカポでも、プライベートに立ち入るのはどうかと思うね」
「その言葉、そっくりお返しするゼ、ベルナルド」
にやり、笑ってみせる。
「ジャン--」
「そんな顔するなよ、ベルナルド。そんな余計な心配ばっかしてるからハゲるんだぜ」
「ひどいな」
ベルナルドは苦笑し、ため息をつく。
俺は黙って琥珀色の液体でグラスを満たし、ひとくちだけ啜って、テーブルに置いた。
禁酒法のせいで街には怪しげな原料で作った怪しげな密造酒がわんさと出回ってるが、これは正真正銘のヘネシーだ。マフィア万歳。
「ジャン、さっきの話--なんだが」
「ん?」
「もし--お前にいい人ができたら、俺に教えてくれるか?その--友人として」
「ああ。もし、出来たら、な。当分、そんな暇はありそうにないけど。--ったく、マフィアのボスって、椅子にふんぞり返って葉巻吸ってりゃいいのかと思ったら、大間違いなのな。忙しいのなんのって」
「ああ、お前はよくやってるよ。本当に」
「そう思うんならサ、ゴホウビ、くんない? ベルナルド」
「えっ」
「そこに見えてるやつ--それ、カヴァッリ顧問のお嬢がくれたキャンディだろ。バレンタインカードと一緒にさ」
俺はベルナルドの上着のポケットからはみ出している小さな紙箱を指差した。
「あ、ああ--これか。そうそう、お前と食べようと思って--すっかり忘れていた」
ニコニコと笑いながらベルナルドが紙箱をポケットから救い出し、蓋を開けた。
俺は遠慮なく甲虫っぽい小さな粒をつまみ、口に放り込む。
「--ン、アマァ。ベルナルドも食えよ。うまいぞ」
「あ。ああ--俺はいい。そういうものを食べると腹に、な」
「そう言わずに食えよ。甘味は脳の栄養だろ」
箱を差し出すと、ベルナルドは長い指先で「じゃ、ひとつだけ」と言って小さな粒をつまみ、器用にクルリ、包装を剥いて口に入れ、眉間のシワごと溶かす。
全く、甘味は正義だよナア。誰でも、どんな時でも、ガチで幸せにしてくれる。
「そういえばサ、ベルナルド。こないだ、財務局の連中にラブレター書くために全員でホテルにカンヅメになった時サ、あの時こっそり食ったコンデンスミルク、うまかったよナア」
俺はその時の事を思い出して笑った。
あの時は非常事態で--財務局の連中が俺達CR:5を逮捕しようと狙ってやがったから、
本部のあるホテルから全員一歩も出れなくて、いろいろとエライコッチャ、だった。
「ああ、あれ……うん、そうだな。うまかった」
「コンデンスミルクを缶から直接すすったから、手も口もべっとべとで--あの甘さはキたなあ。ヤクより効いた」
「--ああ、そう--だったかな……よく覚えていない」
急に挙動不審に陥ったベルナルドが、手に持ったチョコレート・キャンディの箱をもう少しで落としそうになる。
「そうかア。俺は覚えてるぜ--缶に牛の絵が描いてあって、そいつがサ、こっちを見てやがった」
「……いや。俺は……覚えていないな」
ベルナルドの目が泳ぐ。明らかに動揺している。
これは--
「なあ、ベルナルド。あの時もそうだったけど、なんか変だぜ、あんた。もしかして--」
あのベルナルドが、まさか--
それだけは考えたくないけど……そうとしか思えない。
「そ、それは違う、お前の勘違いだ。俺は決して--」
すごいイキオイでベルナルドが否定する。
アンタさあ、このちょいダメ親父、それはだめだろ。
マフィアなんだから、腹芸のひとつも覚えたらいいよ。少しはイヴァンを見習ってサ。
あ。でも、あくまで少し、な。アイツのあれはあれで問題あるからな……人として。
「聞いてるのかジャン」
笑えるほど必死なベルナルドをまあまあと俺はなだめ--
「いいからいいから。大丈夫、ルキーノやイヴァンには秘密にしとくから、サ」
言いながら、自分に折り合いをつける。
いいんだ、構わない。嗜好は違っても、ベルナルドはベルナルドだ。うん。
「ジャン、誤解だ。俺は--」
「しっかし意外だなあ。ベルナルドがコンデンスミルク苦手だなんて」
「え--コンデンス……ミルク?」
「だから。苦手なんデショ、あの劇甘の白い液体が、サ。でもよ、あの味が嫌いだなんて、イタリア男としては有り得ない。マンマへの冒涜だぜ、ベルナルド」
「あ--あ、ああ、うん、そう。そうなんだ。ハハ。おかしいよな。昔からあれだけはダメで--うん。そうなんだ」
ベルナルドは笑いながら煙草を取り出し、火をつけ--深々と吸い込んで--吸い込みすぎて盛大にむせ返り、涙目になりながら、いつまでも笑っていた。
