今年は自身の中で【激動の一年】だったような気がいたします。
昨年のこの時期は芦屋川でのBAR営業から大阪でのヤドカリ営業の話へと
スムーズに移行できずにイベント仲間でもある宝塚の厨房をシェアしながら経済の
確率を試みる!ということへと移行したところでしたから実質は無職でした。
市民活動を縮小する気がなかったので結果、貨幣経済的にはかなりきつかったですし
家族や仲間や新たに知り合った方々へ大なり小なりのご迷惑をおかけ致しました。
現在は貨幣経済を一部確保しつつ、自身にストレスのない中で経済をもう一度考えることに夢中です(笑)
安部総理を筆頭に行いつつある与党政権の横暴ぶりに学べば学ぶほど
異論が芽生え、しかしながらそれに無関心無反応の方の多いことにも
正直、理解不能になったりと。
日本は平和だとよく言われますしこの国に住む方々もそう思っている方が多いと思いますが
どうやら平和なのではなくて圧倒的な末期的な状態だと思っています。
テレビやニュースが先生であり情報源でそれらが全てであると思っているようです。
そこに流れてこないものや自己都合でいいふうに解釈している事柄をそのまま鵜呑みにするという作戦は見事にハマったようです。(笑)
もしわたくしが海外の西欧諸国の重要なポストにいる人間だったら。。。
あるいは成熟した思想を持つ民族の重要なポストにいるのならば。。。
この国の今のあり方には【おかしい。怪しい】と言わざるを得ないだろうし
鵜呑みに信じることはしないだろう。
年間に自殺する人の人数においても
爆発した原発の問題においても
自然災害の多い国であるにも関わらず傍観する国策においても
グローバル企業にみすみす乗っ取られていくことに加担する政府においても
新しい市場を 武器 を車や家電と同じように捉えることにおいても
素晴らしい自然を破壊し続けることにおいても
終末医療で病院のベッドに薬の消費者を生かしておくという行為においても
未だに大量消費を促しゴミとなった廃棄物を世界中の小国にばら撒き続けることにおいても
上げればキリがないが本当に恐ろしいことはそれらの問題について
自身のこととは無関係だと思って生きている人の多さだと思う。
そしてそのような国と まともなお付き合い はしないという判断になります。
日本の政権やアメリカの次期大統領の確定時期からヨーロッパでも右派の政党やネオナチなどが取り上げられることが多くなった。
が、先だっての選挙ではかろうじてとどまったように思う。
彼らは自我の確立など幼い頃からの教育や人生観が違うから日本だとなかなかアアはならないだろう。現に安保法制、特定秘密保護法、自衛隊の後方支援など今までなら抵抗する政治家や知識人がいてこれらもなんとか踏みとどまってきたことなのにこの政権ではほぼ無条件で法案通過している。にも関わらず、この国に住む方の多くはその意味すら理解していないのだ。おそらくこの国にあって自身で生きているという感覚が薄れているからなのだろう。
国民の義務の話を時折される。
税金を納め、仕事をし国に貢献することだ。と。
その税金が何処に使われようが
その仕事がどのような害を産んでいようが
貢献という。
誰に貢献しているのかなんて考えないのだろう。
まぁこれらのお話はそう簡単に解決なんてできないし割とわかりやすい方法論の中での判別だから基準にしやすいし社会の体制側自身がつくり得るルールだから勝負にもならないことは理解しとくとして(笑)
また違ったベクトルでの出逢いや動きも今年は多かったように思う。
これは自身にしかわからないから書いても仕方ないが原始の意識に気づく一年だった。
何年か前からそういうことに意識が向かい始めて実際に体感して少しずつ自身に落とし込んでいく中でそのタイミングで必要なことに出逢っていくイメージ。
そういう部分もあってかそのひとつの出逢いはそれぞれが大きなうねりになりうると感じている。
お互いをリスペクト出来る関係性が先に生まれ、征服していくという意識が働かない。
これは大きなことでした。
しかしながらまだまだ自身の未熟な部分が残っているのも事実。
まぁ年内に殆どの煩わしいことには決着できていると思う。
あまり他人の私念に引きづられるのはよくない。
そういう人生もあるということ。
未来に向かっての楽しげな話は心から歓迎。
それ以外の話はかなり苦手。
時折、討論になったりしてほとほと疲れる。
割と目一杯生きてますからこれ以上、エネルギーの無駄遣いはしたくないのが本音。
温故知新 という言葉も一つのキーワードとして自身の中では動きにつながった。
今年から地元のイベントに関わりだしたのだがそこから思考の旅は始まる。
竹や炭から始まって今年は麻だった。また一つ、古き良き伝統に触れる。
染や刺し子の意味。知れば知るほど面白い。
身体のことやそういった文化など
それぞれに興味を持ち知識を得て実際に触れることで分かったことがある。
もちろんそれは自身のレベルでの話ですが。。。
触れることで其処に眠っているものは必要であれば目覚めるということ。
なるほど。長く生き、世代をうろつき渡っていくということにはこういう意味があったのだと俯瞰感じる。
新しい一年に何を思うか。。。
200年先のことを真面目に思っています。
自身の残りの人生をカウントしてなおかつ200年先。
どうなっていると考える?どんな世の中を残せたら人生を全うできたと考えることができる?
現時点で自身がフォーカスできるのはここまで。
そこに向かってまた一年。。。