今回は「(回想⑦)とうとう病名が確定する」に出てきた姉の事です。

 

 

 

 

 

 

姉が2023年あたりから、時々気になる言動が見られるようになっていた。
そして姉の娘の結婚式で一緒に石垣島へ行ったとき、すぐに病院へ行かなければいけない状態にまでなっていた。
そんな状態の姉とわかっていても、私の病名確定の診察に他に同行してもらえる人がいなかったので、やむを得なくの姉出動だった。

私の診察に同行してもらった2日後、今度は私が姉を診察してもらう病院を探して、診察に付き添った。
個人クリニックに行ったのだが、診察の結果、MRI検査のために大きな病院に出来るだけ早い予約をねじ込んで取ってくださった。
その様子を見て、これはただ事では無い事を知ったのだ。

そこからは怒涛の展開だった。
数日後にMRI検査を行って、更にその数日後に検査結果の画像を持って元のクリニックへ。
その時は義兄が付き添ったのだが、画像を見た先生は絶句して義兄の顔を凝視したそうだ。
先生は即、大学病院へ紹介状を書いてくださった。
それを持って大学病院で診察を受けたところ、約6cmの脳腫瘍が見つかったのだ。

私が肺腺がんステージⅣになった上に、姉まで脳腫瘍なんて。
義兄から聞いて真っ先に思ったのが、母親になんと言えばよいのかという事。
そして、もしふたりとも母親より先に逝くことになってしまったら母をどうしよう、という事。

姉はその日に緊急入院し、退院できたのはそれから1ヶ月後だった。
その間は毎日本当に色々と大変な事があった。

腫瘍のせいで日に日に記憶や身体機能が落ちていく姉を見るのは本当に辛かった。

そしてそんな姉を見て悲しむ母を見て、更に心が痛んだ。


だが幸運なことに手術は成功し、腫瘍も良性だった。
いつ死んでもおかしくないとまで言われ、大手術だったにも関わらず後遺症はほとんどなく、無事にリハビリも終了し今はすっかり元通りの元気な姉に戻っている。

私が先に逝くことがあっても、母親を支えてくれる姉が元気で居てくれることが今の私の心の支えになっている。