みなさんこんばんは、
賞味期限が1ヶ月ほど過ぎていた豆乳(合計2Lほど)を
破棄することになった地宮みさとです
やっぱり、あれですね…
食品や飲料の買い足しは、多少安くなったからといって飛びつかず、
消費しきる目処が立ってからやったほうがいいですね

考えてみれば当たり前のことなのでしょうが、
こういうことって、意外と忘れがちになってしまいません?
そして、この
忘れがちなことを思い出させられる
という場合って、
程度の差はあれど、なかなか痛い思いをするものじゃないですか…?
実際、中身をシンクに流していた時には、
- せっかくお金を払って買ったのにもったいないなぁという思い
- 他の方につくっていただいたものを無駄にしてしまった罪悪感
- 他の人や環境に負担をかける申し訳なさ
を覚えずにはいられませんでした。
…ただ。
「心が痛いなぁ…でもこれも私が今確かに感じていることだからなぁ~… 」
」
と、甘んじて痛みをキャッチしていたらばですね、ふと気付いたんですよ。
「ああそうか、これもまた豊かであるということなんだな」
「私は、賞味期限が切れたとはいえ
一応まだ飲めるかもしれない豆乳を破棄して、
そのことに罪悪感を覚えられるほど、豊かな環境で生きているんだな」
…我ながら逆説的というか、
ひねくれている気がしないでもないですが 笑
私たちは、
「豊かさ」という言葉に対して、
ポジティブな側面からばかり捉えがちなのではないか?
とも思ったんですよね
「豊か」という表現は、ポジティブ、プラスな意味で使われることが多いですし、
基本的には良いことだとされていますよね。
でも、実際のところ、
「豊かさ」というのが、何かのカタチで表れる時、
それは本当にポジティブでプラスなカタチしか
していないのでしょうか
まさに今回の私の出来事のように、
ちょっとネガティブ、マイナスっぽく見えるカタチで表れることもある
のではないでしょうか
ポジティブとネガティブ、プラスとマイナス。
どちらもあることが、「豊かである」こと
なのだとすれば……
だからこそ、
ネガティブ、マイナスに思えることに対しても、
「あっそうか、これもまた豊かだってことなんだな~ 」
」
と感じられることで、
本当の意味で、
「豊かさ」というものが腑に落ちやすくなる
のだと思いますよ
