こんばんは、
自己ハンドリング型スピ アドバイザー
地宮みさとです。
 
 
…と、
ようやっと挨拶らしいことが書けるようになりました(笑)
 
 
名前も若干ながら表記が変わりました。
「さすがにちょっと読みづらいし、
堅苦しかったかな?」
ということで…
 
「地宮(ちのみや)」が読みづらいor覚えづらいのであれば、
「みさと」の方でお気軽に呼んじゃってください(*^^*)
(何なら「地宮」の方も、
「ちみや」とか「じぐう」とか呼んでしまっても構いませんので 笑)
 
 
 
この前置きとテーマからお察しの通り、
今回は裏話的なものです、
 
 
 
他の記事を少し読んでいただくとお分かりかと思いますが、
すでにこちらのブログにも、時々、明らかに
“途中経過”
の様子を出している記事があったりするんですが…
 
これは、私自身が、
 
「ちょこちょこ試行錯誤の様子が見える人の方が、
何か親近感が湧くなあ」
 
と思っているからと、
 
「あえてこうして表に出してみることで、
自分にとっても得られるものがあるのではないか」
 
と考えているからなんですよね(^^)
(後者については、
こちらの記事でも少し触れていますね)
 
 
 
それで、
ここ数ヶ月ほどで痛感しているのが、
 
【ひとりで何でもかんでもやろうとしても、
やはり限界というものはある】
 
ということ。
 
 
実は、かつての私は
人間不信になっていた時期もあり、
 
「自分以外は誰も信用できない!
何としてでも、
できるだけひとりでも生きていけるようにならなければ!」
 
と思い込んでいた頃もあるのですが……
 
 
当時を振り返ると、
尚更そう感じます^^;
 
 
 
たとえ私が提供させていただくものにしても、
私ひとりだけで、自分の世界だけに閉じこもり、
他の誰とも関わらない状態で、
1から10まで全部完璧に作れるか、
と言えば……
 
決して簡単ではないでしょうし、
できたとしても、膨大な労力と時間がかかるでしょうね(^_^;)
 
人生はどうしても時間が限られるわけで、
その中で何でもかんでも自分で、となると、
時間がかかり過ぎますし、
ところどころ中途半端になりかねません。
 
そして、
私たちは“完璧・完全”ではあっても、
“万能”ではないのですよね……
(このふたつは、必ずしも結びつきませんよ!)
 
 
となると、
試行錯誤の様子を全く見せないにしても、
一部でもさらけ出していくにしても、
 
結局、あんまり変わらないんじゃないか?
 
と最近、思うわけです。
 
 
どちらにしたって、
私ひとりではどこかしらに
限界が出てくる可能性が高いわけですし、
 
私自身がやろうとしていることも、
他の人に分かる形にするにしろしないにしろ、
少なからず試行錯誤している事実は変わらないのですからね。
 
 
 
もちろん、
「自分をどう出していくか」
はその人自身の選択次第であり、
表現の仕方は十人十色でいいと思っています。
 
そこにこそ個性が表れ、
その人自身が表れますからね(^v^)
 
あくまで私の場合は、ということです。
 
 
 
そんでもって、
こうしてさらけ出してみるのも、
ある種の試行錯誤ではあります。
 
私自身の試行錯誤は、
人との関わりに対しても行っていくかな…
というところですね。
 
 
皆さんは、
人と、どんな形で、どのように関わりたい
とお考えですか?
 
また、そう考えたのはどんなことがきっかけですか?
 
改めて考え直してみると、
また、新たな気付きがあるかもしれませんね!