チェシャネコがお手本。チェシャネコは、一見 冷たいようでいて、実は優しい。 -11ページ目

チェシャネコがお手本。チェシャネコは、一見 冷たいようでいて、実は優しい。

いまは、もう一つのブログを中心に書いています。
http://ameblo.jp/sphericalmoss0921
やりたいように、やればいい

チェシャネコは
「そこらの奴らとは 偉さが違う」
と言います。

皆、一人一人が、人生の主人公で、
一人一人が、そこらの奴らとは 偉さが違う。



今回、なんでヒプノセラピーを受けようと思ったかというと、
最近、自分の不安のなかの一つに気付き、なんとかならないかなーと思ったのが一つ。

それと私の大切な友人が、ヒプノセラピストだったことは知っていたのですが、このタイミングで、セラピーを受けたいと思ったからでした。

その不安の一つって、未来への不安。

“まだ起こっていないことに対して心配してもしょうがない、
そして過去を悔やんだり思い悩んだりしても時は戻らない、
だから心配するな”

っていう考えはわかっているし、出来るときもある。
でも、私の中に 根深く巣食っている不安。

母が死んで 私がひとりになったとき、
私に収入源がなくなったら どうやって生きて行くんだろう?

老後に必要なお金は6000万とも言われている。

ろ、ろくせんまん~?!
そんなお金、ムリムリ顔

なんて軽く考えられる時は良いのだけど、重く、暗くとらえてしまって 
どよ~んペコ
びろ~んてるchan(悲)
と、なってしまう時がある。

ってか、たいがいそっちなの涙

もう、暗い系の絵文字でいっぱいだジブリ 千と千尋 かおなし

未来への不安ばかりでなく、いま起こっていることにも、被害妄想をいだいてしまう。

友人にこぼすと、
「考えすぎなんじゃない?」
と言ってくれたりする。

その可能性は多分にあり、すなわち自意識過剰ということでもある。

・・・


支離滅裂やな~。

こんなブログでも何人か読んで下さっている方がいらっしゃるので、有り難う御座います。

その3もこの辺りで・・・


そうそう、自分だけのために記録することが出来なくて、ブログにする事にしたのでした。

自分だけのために、日記を書くのって、白けてしまう。
頭の中でずっとぐるぐると押し問答をしているのと同じような気持ち。
まず、二行と書き進められない。

ー唐突ですがー

泣くのも同じ。
一人で泣いても 白けてしまう。
冷静な私が顔を出して、恥ずかしくなってしまう。
ずっと泣きたかったんだけど。
泣いてもないのに、泣いてるときに出る“ヒック”という嗚咽のような呼吸になることもあった。
私を丸ごと受け入れてくれる、泣いてる私を受け止めてくれる誰かの前で、泣きたかった。

でも、そういう相手がいなかった。

いなかった、と、思ってるだけかもしれないけど。

と、そんなこんなで、自分のために自分を書き起こしたり出来ないので 今回ブログに書いた、と、いうことの説明が長くなりました。

でも、こうして 誰かが読んでくれるかもしれない、ということへの期待は大きな動機になります。
一時期 話題になっていた承認欲求やなカールおじさん

それで~
いいのぉ~

そいで、私に大切な
音楽、友人、恋愛、をいっぺんになくした、と、いう感じになった21歳でした。

なかなか先に進まれへんなー(´-ω-`;)

つづく


21日 ぽっかり空いた休みに ピッタリはまるようにヒプノセラピストさんとの予定があった。
今回のブログは そのヒプノセラピーの記録を残すための場所になります。

セラピストさんに
“書いておいてね”
と 言われたのにまだ書いてないので、
そうだ、ブログにしよう、と、思い立った訳です。
自分のためだけに記録を残そうと思っても、やる気にならないんです。

小学校のときに先生と“あのね帳”という交換日記をしていました。
毎日、「先生あのね」という言葉からはじめて先生に話したいことを伝える。
すると先生は必ず、毎日読んでくれて、赤ペンで感想を書いてくれる。
私はそれが嬉しくて、毎日 必ず書いていました。

そして、小学校五年生から高校三年生まで、同じ仲間三人で交換日記をしていました。
私は2人の日記を読んで感想を書いたり、自分の思いを思うがままに書いたりしていました。

大人になって、心理学の勉強をはじめてから、あの“あのね帳”も、交換日記も私にとっての心理療法だったということに気付きました。

私の学生時代には、そんな私を承認してくれていると私が感じられる場所があったのだとわかりました。

そして、高校を卒業してからの約三年間には 有り難いことに、後に閉店となるほど暇だったってアルバイト先で 一緒に入っていた友人となった一つ上の先輩に、毎日のように自分を話す機会があった。
それも私には必要な場所、ひとだった。

そして 私にとって大切で重要だった、
音楽、友人、そして付き合っていた人との別れが、いちどきにやってきた。

つづく