http://web.gekisaka.jp/news/detail/?215397-215397-fl
個人的な意見で恐縮です。
賛否両論ありますが、書きます。
私は、博物館やイベント会場、教室、店舗、車内、家、施設、はたまたひとつの自治体、国でもいい、そしてスタジアム、などなど…
『ハコモノ』の空間づくりに興味があります。
例えばスタジアムなら、試合結果によらず、スタジアムにまた訪れたいと思えるような、
お店なら、店内の雰囲気や売り場が良いからまた来ようと思えるような、、、
漠然とはしていますが、そういうことを仕事にしたいと考えています。
そして、これらは全て、その『ハコ』を求め、利用するお客様あっての仕事です。
スタジアムという『ハコ』の空間づくりは、もちろん運営スタッフだけでできるものではありません。
スタジアムの空間づくりは、そこでプレーする選手たちの活躍が欠かせません。
そしてプレーや活躍は、選手どうしだけのものではなく、その姿を見る人がいて初めて歓声があがるのです。
歓声は、選手に勇気を沸き上がらせます。
選手の勇気はプレーに現れ、技を生みます。
技は、人々を魅了し、夢や希望を与えます。
『最高のスタジアム』という空間は、こうしてできていくと思います。
そして、『最高のスタジアム』という『ハコ』を求め、人々が訪れます。
『ハコ』の中で感じる、魅力や視点、もつ夢や希望は、人それぞれです。
それぞれだからこその難しさです。
万人受けする、当たり障りゼロの線を全く外れないのもまた障りですし、
不特定多数の人の中に、一定層のマジョリティーとしてある意識や感覚を、自身の物差しで測るのは最善の方法とは言えません。
例え物差しは間違いではないとしても、マジョリティーのなかではマイノリティーなのです。
間違いではないことはわかっていても、全て正しい、全肯定されて然るべきとは限りません。
同調圧力をうけて、行儀良く、万人受けしろとは言いません。
しかし、『ハコ』はお客様がいなければ『ハコ』としての本領を発揮することはできないと考えます。
『ハコ』のなかには、いろいろな人がいて、いろんな思いがあり、それぞれ影響し合う。
選手の思い、観客の思い、スタッフの思い、それをテレビで見る人の思い、スタジアムのある地域で暮らす人の思い、メディアを通して感じる思い、、、
その人々全てが、良い思いをするのはとても困難です。
長くなりましたが、
歴史も民族もなにもかも含めての『ハコ』であるため、スポーツといえども、切り離せないものがあるのです。
今回の件は、
いかに歴史的に正当な解釈をし、理解したうえでの件であったとしても、
スポーツの『ハコ』では、最善の解釈と言えなかったことがわかったのではないでしょうか。
Paint it blue
川崎フロンターレの『ハコ』づくりの最高の形です。
等々力で闘う選手の瞳に、“私たちが映らない“ことがあったとしたら……。
賛否両論あることは重々理解しています。
しかし、いちサポーターとして、ファンとしての気持ちを、文章にしておきたかったため、か書かせていただきました。