娘の髪の毛が伸びてきました。
肩より下です。
自分の身体がしんどいと
逐一娘に構ってあげることはできず
淋しいようで
ひそかに反乱を起こした形跡が残る。
リビングのテーブルの下に
おはじきが散乱していた。
少しだけ解き放ってもらいたい時もある。
でも
後悔は少ない方がいい。
あの時、もっと抱っこしてあげればよかった。
あの追いかけは
もっと私を見て!愛して!
だったのか、、
こんな日が来るなら。
そう思うかもしれない心に
精一杯、やったじゃないか。
そう少しでも思えるように。
私はあまり未来を考えない。
人間の命は 儚く
そして強いから。
今を大事に生きたい。
そして楽しい時間は短く感じられ
苦しい、痛い時間はとてつもなく長い。
お風呂上がりの娘の髪を乾かし、
とかしている時、、
ふと
さいわいを感じる。
お互いに生きている瞬間に感謝する。
わたしによく似た性格もあるらしい娘。
でも、
彼女は 死を知らないと思う。
告別式でさようならをしたことはあっても
また寝て起きたら太陽がこれから昇って、
昼となり
夜となる、
その繰り返しがやって来ることは知っている。
娘は生後3日程で
手の指を一本ずつ重ね合わせて
キレイに
まるでプロテスタントの祈りのポーズそのままで眠っている時があり
この子は大丈夫なのか?!
遠くへ行く合図ではないよね?!!と
夫と共に真剣に心配し
寝息や頸動脈をに触れて
生きていることが解った。
私が心配しても、
今なのね、私が産まれるタイミングは!と
悟って行動に移した
娘はすごかったです。
うまく回旋して(私たち姉妹はできませんでした。回旋の何段階かで止まってしまいました)
ぐーっと産道を回旋しつつまっすぐ降りてきて
とても頼もしい娘でした。
さいわい。
この現世で、心から愛したい、幸せにしたいと想えた方に、それがお一人であっても
出会えた奇蹟があるならば
一生のうち1人でも!自分の命を削っても惜しみない愛情を注ぎたい人が現れたら
それは
さいわいだと、、思う。
たとえ、その方とパートナーになれようとなれまいと、それは結果論で。
自分の愛情がぐんっと動く方に出会えたなら
それがら友達でも、先輩でも
さいわいである。
前述で
人の命は儚くて強いと書いた。
つい、ついさっきまで元気で笑顔を振り撒いていたあの子が、、
accidentに遇う、
温かかった手が、、温かくなくて
もう二度と母を呼んでくれなくなることも
運命はべートーヴェンの交響曲
運命のように
予期もしないところに、
えっ?我が家のことなんですか・・・?
そっとそっと
しずかに、運命の扉がノックされる。
人の命、心、身体。
よく生きてくれているが
誰にも明日は判らない。
また再び娘の手を引いて歩けるのか
娘の髪を結えるのか、、
ならばこの娘の髪をとかしているひとときは
この上ない
さいわいだと感じながら
今日も生きる。
生まれてきてくれて
ありがとう。
わたしはなるべく健康で長生きしなければならない。という生活努力が必要だ。
でも、
いつ終わりが来るかも判らない。
(自死はない。)
いつ大病に向き合う時が来ても不思議ではない。
誰の責任でもない、
寿命なのだ、、。
こどもの命に早めの限りがあったとしたら
それは誰が悪いわけではない、
天から与えられた寿命なのだ。
可哀想ではない。(しんどくなっていく身体や治療薬は親として痛々しいが。)
短かろうと
天命なのであろう。
娘の髪をとかしている時、
この上なく温かい気持ちに包まれるのは
さいわいだから なのだろう。