母は耳が遠く歯も若い頃から総入れ歯だった。

食事が遅く、早食いの父親と外食するのを

何時も避けていた。



どちらかと言うと、兄弟の中ではのんびり屋

の僕を連れて大森の白木屋の食道へ良く

連れ出してくれた。



母親は針仕事や編み物をして時間を過ごす

事が多く、いつも母の傍で、こんがらかった

毛糸の玉を解きほぐすの手伝ったり、母親

の好きな歌を教わった。


よく、英国の国家を、口ずさんだり、アマリリス

歌を聞かせてくれた。その癖、三味線が得意

で、指の動きが、凄く早く、物心がついてから

かなり意識して、トレーニングしても、母親の

指の動きに追い付かなかった。



もみ殻のついたお米を一升瓶の中に入れて、長い

木棒を使ってもみ殻を取る厄介な作業をやった時

疲れて手を止めると。

「成せば成る成さねば成らぬ何事も、成さぬは人

の成さぬなりけり」と教えてくれた。


この言葉を、後日米国の大統領ケネデイーが

好きの言葉だった事を知って、母親はか弱い、

小さな身体をして、たった一言で山上家を統一して

いたのだとつい最近の法事の折に、母親の事

を想いだして、優しく、放任主義だが、急所、

急所で、たった一言で人を動かしていたこと

に木がついた。


山上家の墓は横浜の久保山だが、沈丁花の

香りがする頃になると、母の事を想い出す。



横浜の久保山の墓地で母を偲ぶ