昨年のブログで人間は0%か100%が人間社会の基本だと書いたのですが100%を達成することは消滅するのではと思ったので書いてみました。
今まで生きてきて言えることは100%は存在しないのではということです。あったとしても生まれたら死ぬということではないか。(機械とか物質でいうと産み出されたら故障したり消失したりする)要するに100%を達成したら姿・形が無くなると思う。第三者(他人)は生き続けるためにあるのではないか。おそらく自然界は第三者によって成立するので100%以外になる。なので周りの関わりで生き続けるのだろうと思う。
第三者のおかげで10%とか40%とか0%と100%以外の数値に成り立っているのではと最近考えるようになりました。個人の力だと0%か100%にしかならないのだろう。病院とか刑務所・警察署といったところは0%か100%にならないようにするところなのだろうと思います。
自分はこの世からいなくなりたいと常々思っているけどおそらく自分はできないだろうと思う。誰かが何かしらのアクションを起こすので自分の意思ではほぼ無理かなと思う。自分の意思でなかったとしても何ヶ月か何年かの誤差で病か事故で亡くなるだろうと思う。それはどのみち命を閉じるのは自分の意思ではない。
0%〜100%とは関係ない話だけど、老いていく姿・弱っていく姿を見せることは他の人のためになるかもしれない。年を取っても活躍する人はしたくてやっているかどう逃げてもすることになっているので基本的には弱い姿を見せることになる。でもそのことが安心をもたらすことになるだろう。
お互い弱み含めたありのままの持っている力で0%と100%以外の世界を生きることになるのでは。自分はいつもこの世からいなくなりたいと願うけど周りの人を信じて関わっていこうと思います。
