明日に架ける橋 ~アメリカ Special Educationの記録~

明日に架ける橋 ~アメリカ Special Educationの記録~

2005年秋に発達障害児と健常児の2人の子供を連れてカリフォルニアに引っ越し。そこで障害のあるわが子がどうやって学校に通うようになり そして今に至るかの記録です

渡米して6年が過ぎ・・・・・アメリカで暮らす日本人も珍しくもないけれど

障害児教育という観点から記録を残しておこうと思います

Amebaでブログを始めよう!

無事にアメリカ入国、ホテル到着。

泊まったのはジャパンタウンのミヤコホテル(現:カブキホテル)


到着してほっとしたらおなかがすいてきて

ジャパンタウンの中を探索。

見つけたレストランでお昼ごはん。

日系スーパーでお惣菜を購入。


午後から夫が所属する研究室の方がホテルまで迎えに来てくれて

(日本人で夫と同業者)

研究室まで行きボスにごあいさつ。

翌朝大学本部に出向いて手続きをすることになり、

その日はホテルでのんびりした。

さあ明日からは忙しくなるぞ。


・・・・時差ボケで変な時刻に起きることもなく、

翌朝。買っておいたお惣菜と巻きずしで朝食を済ませ、

私と夫はレンタカー会社へ。

とりあえずの移動手段を確保。

レンタカーで大学本部に行き、留学手続きを済ませ、

研究室に戻る。

まだいろいろ手続きを済ませないと実際に仕事はできないし、

ボスの「2週間ぐらいは家族と一緒にいろ」という

ありがたいお言葉に甘えることにした。

研究室のある地域は治安が良好だと分かっていたので、

できれば研究室まで徒歩で通えるようなところで

家が見つからないかと思い、

1ブロックずつ車を流しながら「空室」の表示を見つけて

連絡先を控える。

この日、研究室周辺で見つけた空室は3件。

さっそく電話にメッセージを残し、返事を待つ。


初日にホテルまで迎えに来てくださった同僚の方が

外食ばかりではということで晩御飯にご招待くださり、

ホテルまで迎えに来てくださった。

ご夫婦、お子さん、ともに我が家と世代がほぼまるかぶり。

メニューはカニ鍋だった。

ご主人がカニ奉行で割り担当(笑) 

つい2日前まで日本にいて、日本のものを普通に食べていたのに

アメリカの家で食べる普通のごはんに感動した。

おいとまする際、

奥様が白おにぎりをたっぱーいっぱい持たせてくださった。

「自分たちもこっちに来てすぐの白いおにぎりに癒されましたから」との

ことだった。白おにぎりってこんなにおいしいんだなって、

温かいお気づかいに感動した。


3日目。

日本にいるときから夫が所属することになる大学に

スイスから研究に来ていた方とコンタクトを取っており、

そちらが帰国するので車を売りたいからというので

見せてもらうことにした。

ナビを使ってお宅まで伺った。

車は文句なく、即購入を決めた。

ホテルに戻り、ジャパンタウンの銀行で小切手を作り、

翌日持っていくことにした。

このお宅からは子供用の机やその他いろいろなものを

譲っていただき、やはり小さな子供さんがおられたことから

子供用品を購入する店やスーパーなど、

いろいろ情報を教えてもらった。

この日、夫は午後から研究室に出た。

明日にはチェックアウトしないといけないので、

翌日からのホテルを探し、予約を入れた。


4日目。

朝1で車の持ち主のところに小切手を持参。

前日のうちに諸手続きを済ませていてくれていたのですでに名義は我が家。

そちらの電話から保険屋に連絡を入れて保険加入。

そして車を引き取り、私がレンタカーを運転してホテルまで戻った。

移動先のホテルの部屋が既に用意できていることを確認して

昼前に移動。ちょうど移動した後、メッセージを入れておいた物件3つのうち、

2つの大家から連絡があり、物件を見にこいというので出かけた。

1件目は夫の職場の通りを挟んだ真向いという絶好のロケーションだったが、

窓から直接外に出られる構造で、部屋は2階。

窓に柵がなく、子供がいる我が家としては少々危険かな・・・・

その後、職場からは6ブロック、徒歩10分の物件。

部屋も広く、お家賃も相場より安め。

東に面したところが一面窓で、とても明るい。

大家さんもわれわれが日本人であることに非常に好感を持ってくださった。

「ただ我々はアメリカで暮らしたことがないので、身元を保証するものが

何もないんです」とお伝えすると

「あなたのボスと電話で話をさせてくれ。それで確認が取れればOK」と

言ってくださった。

夫が所属することになる大学の信用度は大きいのだなと実感した。

何よりも一番の決め手は、長女が即大宅夫妻になついたこと(笑)

なんなら今日から入ってもかまわないと言われたが、

電気はついているけど水道はまだだったし、

カギだけいただいて、あす以降少しずつホテルの荷物を家に移すことにした。

渡米4日めで家確保。車も確保し、最大の難題はクリアした。


5日目。

狭いホテルで退屈していた母と子供たちを連れて私は新居の掃除。

夫は新居近くの研究室にこの日から通い始めた。

この日から水道も通じたので、近くのスーパーに行き、

トイレットペーパーやらバターや牛乳等を購入、

手荷物で持ち込んだ台所用品を出し、食器棚に収め、これで新居で

料理ができる状態になった。外食にも飽きてたしね。

この日の午後は、私の小学校時代からの知合いであり、

中学の同級生であり、夫がこれから所属する大学に2年前から留学していた

私の友人(男性)夫妻と会った。

彼らは半月後に帰国するので、サイドテーブル、キングサイズのベッド、

ソファー、テレビ等を格安で譲ってもらった。夫と私の友人がトラックをレンタルし、

我が家の新居に搬入。

毛布とシーツを購入し、これで寝る体制もできた。

明日にはホテル生活を終わらせることができそうだ。


6日目。

ホテルをチェックアウト、新居に入る。

電話とケーブルテレビの契約接続も終了、DVDプレイヤーも購入して接続したので

子供達も日本から持ってきたDVDを見られるようになり、ご機嫌だった。

新居最初の晩御飯はジャパンタウンで買ったルーで作った

カレーライスでした。

キングベッドしかないので母と子供たちにベッドで寝てもらい、

私と夫はソファーで就寝。


7日目。

仕事に出ていた夫から電話。

所属施設の中で知らない人から話しかけられ、

「私は今月末帰国するので よかったらいろいろ買ってくれないか」とのこと。

お宅にお邪魔し、ダイニングテーブルとクイーンサイズのベッドを購入。

実はすぐ近所の方だったので、私と夫とその方とで自分たちで手で

えっちらおっちら運んで終了。

これで全員テーブルで食事ができるようになったし、

全員寝室で寝ることができるようになった。

あっという間にあれこれとそろい、

周りの人の助けに感謝。

夕方、夫と子供が近所を散歩してくると言って出て行き、

30分後に戻ってきたら手にバラの花束。

・・・・・あまりにあわただしすぎて、今日が自分の誕生日だということを

すっかり忘れておりました。


1週間でセットアップ終了。

本当にいろいろな人のおかげでした。

レンタカーも返し、これで明日からは自分たちで生活できる。

少しずつ外の世界に目を向けていかねば。


羽田からリムジンバスを乗りついて成田到着。

再びカートに荷物を載せて、建物の中に入り、

まずはスカイポーターサービスのカウンターへ。

渡米当初から使いたいけれども、出発直前にはもう使わないものを

1週間ほど前にあらかじめ成田に発送しておいた。

それを引き取りANAのチェックインカウンターへ。

持ち込めるものは手荷物で持ち込み、

それ以外のものは預ける。

貴重品とかどうしても最初から持っていきたいものを

船便で送るのは不安だったので、

無料で預けられる個数を5個オーバーするのは承知の上で

ANAのカウンターに行ったのだが

「もったいないですよ」とカウンターの方。


一回り大きいサイズの箱を持ってきてくださって、

地上職員の方も手伝ってくださって

軽い荷物はばらしてその中に押し込むなどの

大騒ぎの末、オーバー個数は1個で済んだ。

ありがとう、ANAの方!


身軽になってすぐにセキュリティをくぐって保安区域に入る。

ここは成田。

子供たちにしてみれば、初めてみる外国人がうじゃうじゃ。

さすがにここまで来て、次女も少々緊張気味。


キッズコーナーで遊ばせたり、

日本食レストランで食べたりして時間を過ごし、

あっという間に搭乗時刻1時間半前。


早めにゲートに移動し、そこからはゲート近くのお店等で時間を待つ。

そしてファーストクラスやその他優先搭乗の案内が始まり、

私たちは機内に乗り込んだ。

ここからは9時間余りのフライト。

子供がぐずってほかのお客様に迷惑をかけてはいけないと思い、

いろいろ遊ばせて疲れさせて眠らせるつもりだったが、

万が一興奮しすぎたときのために

眠くなる風邪薬も一応用意していた。


いよいよエンジンがかかり、タキシング。

そして離陸。真夏の夕方、まだ日差しが強い時間。

あっという間に成田は見えなくなり、眼下の風景は海一面になった。


巡航高度に達してから、いろいろ機内サービスが始まった。

今回は小さな子連れということであらかじめANAさんにいろいろお願いしていたので

担当のCAさんとパーサーさんがご挨拶に来てくださり、

何かお困りでしたらご遠慮なくと温かい言葉をかけてくださった。

まずはドリンクとお菓子。

そして夕食。

長女にはアレルギーミール、次女にはキッズミールを頼んでおいたので、

それを真っ先に持ってきてくださった。

そして「ご両親のお食事はどうなさいますか?お一方ずつお持ちしましょうか?」

と聞かれた。一人が子供を見ている間に、もう一人が食べてはどうかという提案だ。

こういう細かい心配りがとてもうれしかった。

結局まず主人と母が先に食べ、

私があとから食べることにした。


食べ終わったらおもちゃの籠を持ってきてくださって、

「ひとつ選んでね」

次女が選んだのはポケモン塗装のビニール飛行機。

長女が選んだのはメモ帳と小さな飛行機がヘッドについたペン。

不思議なことに、彼女たちは今でもそれを持っている。


子どもたちは親が心配したような、

途中でぐずってほかのお客様にご迷惑をおかけすることもなく、

まんまとライトコントロールにはまって寝てしまい(笑)

目が覚めたらすでにアラスカ上空。

朝ごはんのお時間。

やはり朝ごはんは子供食とアレルギー食だけれども、

アレルギー食は子供用に限ったものではなく、

つまり見た目は大人仕様のはずだったが、

パッケージだけは子供が喜びそうなものに変えてあって、

たった一つの機内食のために、と心遣いが本当にうれしかった。


機内食も片づけられ、免税品販売も終了。

機内モニターに出ている高度の数字が下がり始め、

降下体制に入ったのがわかる。

アメリカ大陸内に入っているので地上が少しずつ見えるようになってくる。

いよいよ離席禁止のアナウンスとベルトサインが点灯

・・・・・どんどん地上が近くなってくる。

ハイウェイを走る車が一台一台見えるようになってくる。


そして機内に映されたコックピットからの映像。

機体は滑走路に正対し

どんどん高度を下げて行き、

そしてほんの軽い衝撃とともに無事着陸。

フルブレーキ。

そして駐機スポットへと向かった。


「お客様へご案内申し上げます。

当機はただいまサンフランシスコ国際空港に着陸いたしました・・・・」


飛行機の法律上、このANA機の中は日本。

一歩でも機体を出たらもうそこはアメリカ。

旅行者としてアメリカには何度も来ていたが、

ビザ保持者としては初めて。

さあ入国審査はどうなるのだろう。


パーサーさんと担当CAさんに十分にお礼を申し上げ、

飛行機を降りた。

周りに日本語が一つもない。

さっきまでいた成田とはあまりの違う雰囲気に

子どもたちは緊張している様子だった。

私と夫は、とにかく入国審査のことで頭がいっぱいだった。

長女が緊張と恐怖のあまりぐずったりしないだろうか・・・・

それも不安だった。


交替でトイレに行き、入国審査へと向かった。

入国審査は長蛇の列。

さすがにちょっと子供がぐずりそうな気配になってきたとき、

警備の方が「子供さんがいる人はこっちへ」と

すいているアメリカ国民用のゲートへと案内してくれた。


われわれの順番が来て、パスポートと必要書類一式を提出。

書類に不備はなく、淡々と手続きが進んでいく中、

長女のパスポートを見ていた入管の方が

「今日誕生日なんだね おめでとう」

「あなたもお母さんになった記念日なんだね おめでとう」

と言ってくれた。

われわれの緊張をほぐそうとしておっしゃった言葉だろうけれど

そんな一言がとてもうれしくて

入管の方の前でぽろぽろとt泣いてしまった。


無事入国許可が下り、

荷物を引き取り、

カート3台に乗せて次は税関。

違反品は持ってきていないはずだが、少々緊張。

15個のあまりに多すぎる荷物に面倒くさくなったのか、

「どこから?」「日本」「行ってよし」で終了(笑)


そして自動ドアをくぐったら そこはもうアメリカ。


・・・・・さて、ここからは自分で移動しないといけないぞ。

ホテルまで移動せねばならない。

スーパーシャトルという乗合バスの待合に行き、

ホテルの住所のメモを見せて依頼。

そしてやってきた車に乗って、われわれはホテルへと移動した。


見るものすべてが珍しく、

車内のラジオから流れてくるのはもちろん英語。

子どもたちは興味津津かつ不安げに見えた。

そしてホテルに到着した。

午後12時半。

チェックインには早すぎたが、部屋の準備ができているというので

入らせてもらった。




いよいよ渡米前日。

渡米当初3週間は母が同行してくれることになった。


家を引き払い、大家さんに鍵を返し、

ホテルに移動。

夫は最後の日まで仕事続きで

ホテルに来たのが夜の9時。

あわただしさで疲れて寝てしまった子供たちを

母に見てもらって

私と夫は行きつけだったレストランに

「最後の晩餐」に行きました

・・・・・・っていうと格好いいけど、

行った先は

ラーメン屋でチャーシューメン

うどん屋でエビ天うどん

そして吉牛。


部屋に戻ってきたら母も子供たちも爆睡していた。

夫も仕事疲れと腹いっぱいのせいで眠ってしまったが

私はどうしても眠れない。

明け方、私は最後に発送する荷物を郵便局の

夜間窓口に持って行き、発送。

郵便局からホテルまで戻る間、

少しずつ東の空が明るくなってきたのを見て

次に日本の夜明けを見るのはいつのことだろうと

少しだけさみしい気分になった。


部屋に戻ったら朝5時。

午前11時過ぎのフライトなので

朝はゆっくりホテルの朝食をいただいた。

ホテル前のコンビニで100円お菓子を買いあさり

子どもたちはホテル近くの本屋でおばあちゃんに

いろいろ買ってもらい

最後の日本を楽しんだ。


午前9時過ぎ、ホテルをチェックアウトし空港へ移動。

スーツケース7個に段ボール3個。

ものすごい大荷物をチェックインカウンターで預け、

5人分の搭乗手続き。


出発ロビーには長女の幼稚園のお母様方が

お見送りに来てくれていた。

子どもたちは泣いてしまうからという理由で

前日のうちにお別れをすませていた。

お母様方にごあいさつしていると

ANAの地上職員の方が

「優先搭乗のご案内にまいりました」と

呼びに来てくださった。

いよいよ出発だ。

これは単なる旅行の出発じゃない

私たちはアメリカで暮らすためにここを旅立つ

そう思うと、期待よりも不安が増してきた。

でも地上職員の人に先導されるまま

優先搭乗でセキュリティチェックを受け、

搭乗券が発行されてしまった。


ガラス越しに最後のごあいさつをしていたが

そこで子供たちがトイレーと言い出し

感傷に浸る暇もありゃしない。

そしてとうとう搭乗時間がやってきた。

ボーディングブリッジを渡りながら外を見ると

展望台に移動したお母様方が手を振ってくれていた。

さみしかったけれど

ここからは私と夫とで

子供たちをなんとか無事にアメリカに連れて行き

アメリカ生活を乗り切るしかないんだと

腹をくくった。


子どもたちは当然飛行機初体験。

大喜びだった。

国内線は1時間半のフライトだった。

しかしベルトを締め、エンジンがかかり、

タキシングが始まると

隣に座っていた長女は飛行機が怖くなったのか

私の手を握り締めてぽろぽろと泣いた。

離陸滑走のときに声出して泣くかなと思ったけど

いざ離陸滑走になると

ビビりすぎて声が出ず。

そして飛んだら怖くなくなったようだった。


機内ではCAさんにいろいろと気を使っていただき、

子供のグッズやお菓子等々、

子供たちがぐずらずに済むようにタイミングを見計らって

いろいろと持ってきてくださった。

ありがたかった。

長女は緊張しすぎて声が出ず、

誰も長女に障害があるとはわからなかったようだ。


そして羽田到着。

10個の荷物を引き取り、カート3台に分け、

私が次女をおんぶして

夫が長女の手をひっぱり

成田行きのリムジンバス乗り場へ移動。

荷物を預け、バスに乗り込む。

このバスの中で子供が迷子になるはずはないという

妙な安心感から、

成田手前のパスポートコントロールのゲート手前で

夫にたたき起こされるまで

私は爆睡してしまった。


さあ、成田到着。

2005年の7月に書き始めた別ブログ

再掲は以上です


たった4日間書いただけで、その後は

渡米準備のあわただしさでネットに接続するどころではなく

こっちにきたらきたで生活に必死で

すっかりブログの存在を忘れてしまっておりました


次からは渡米してからのことを

書こうと思います。



私の別ブログからの編集再掲です
2005年7月7日の記事です。
http://usa-specialneed-education.at.webry.info/200507/article_4.html


=========================
次女を実家に預けたこの一週間。
明日、お迎えに行きます。
そして、今日からダンナが2泊の予定で東京出張。

そう、今夜は長女と二人きり。
17時になったらダンナが帰ってくるから、

それから空港に送っていって、
帰りどこかに寄ろうかな?

しかし、この1週間、ほんとに長女は甘えんぼで、
でも私の手伝いをとてもよくするし、
でも毎朝自分で登園の準備して幼稚園に出かけていくし。
、、、、、こいつ、実は私が付き添わなくても

園まで行けるんじゃなかろうか。

ホント、何も困らないんだよね。
こっちの言ってることは理解してくれるし、
長女の言いたいことは身振り手振りと片言で理解できるし。

なんで誰でもわかる言葉で

しゃべれないんだろう!?!?

時々、本気で、
「この子の頭の中の回線を

誰か繋いでくれ~~~!!!」
って思います。
そんなこと、出来るわけないって、分かってるんだけど。