2月17日(日)に文京シビックセンターにて主宰するthink Politics ! の第1回勉強会を開催したので以下に内容を報告しておく。think Politics ! 設立の趣旨と勉強会の内容を2回に分けて書くことにしたい。

「民主主義」を「最低の政治形態」に貶めないために、主権者たる個人個人が、自らの「良心」と「良識」にしたがって、主体的に政治を考え、議論し、発言する「場」を提供する。

上記がthink Politics ! の目的である。この目的を掲げるにあたっては、お察しの通りウィンストン・チャーチルの次の言葉に強く影響を受けている。

“Indeed, it has been said that democracy is the worst form of government except all those other forms that have been tried from time to time.”(実際に、民主主義は最低の政治形態である。ただし、これまでに試みられたあらゆる政治形態を除いては…。)

この発言は英国議会下院において1947年になされたものとされる。チャーチルがこのような機知に富んだ皮肉を述べた背景には、第二次世界大戦の戦争指導を行いながら、対独戦勝利後の総選挙において保守党が惨敗し、首相の座を引きずりおろされたことによるというのが私なりの解釈である。

民主主義が至上のものではないということを私自身も少なからず経験してきた。今から10年以上前、ある政治家、いや当時はまだ議員にすらなっていない政治家と活動していた時のことである。選挙区内を歩いて回り、一生懸命に支持を訴えかけていた。

あるお宅を訪問した時のことである。パジャマ姿の中年男性が出てきて、不機嫌そうな面持ちで我々にこう吐き捨てた。

「政治なんてものはどうだっていいんだ!」

心底腹がたち、昼食の時に一緒に歩いていた政治家の方に私はこう言った。「なぜあそこまで言われなくてはならないんですか?あんな何も考えてないような連中に対して、なぜ頭を下げなきゃならないんですか?」と。するとその政治家は穏やかな口調でこう言った。

「ふるちゃん、それは違う。その考え方は違う。ああいう関心のない人たちにこそ、我々はちゃんと言葉を尽くして訴えなければならない。それが、民主主義国家の政治家なんだ」。

その瞬間に私の頭をかすめたのは、マックス・ウェーバーの『職業としての政治』の最後の、そしておそらく最も有名な一節だった。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自身のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」をもつ」。

彼にはその「天職」に就くための明確な覚悟があると思った。それと同時に、私には少なくともその時点から政治家が「天職」ではなくなった。それまで私は漠然と「政治家になりたい」と思っていたが、その時から現在に至るまで政治家になるのを「やめている」。ちなみにその政治家は後に衆院議員となり、順調に当選回数を重ね、政府の要職を担うに至った。

その経験が、いやそれ以外の経験ももちろんあるが、私にチャーチル的な民主主義観を抱かせるに至った。民主主義をより機能させるためには、「良識ある主権者」が必要であり、「良識ある主権者」たるためには各自が主体的に考えなければならない、そう考えるようになった。

長らく私は、「良識ある主権者」になるためにはひたすら自己研鑚のみが必要であると考えてきた。自ら主体的に政治について学び、考え、発言することが必要である、と。幸いにして私は学部、大学院を通じて政治学を専攻し、その一方で議員インターンシップを経験することで、一般の有権者よりは政治について少しだけ深く考える機会に恵まれた。

ただ、大多数の有権者はそうではなかった。しかし、この政治について考える機会に恵まれなかった大多数の全てが「政治的無関心」ではないということを、2012年12月の衆議院総選挙において「再発見」した。彼らの一部の本音は、「政治に関心はあるが、何を学び、どう考えればよいのかわからない」というものだった。

「無関心」に支配されるのではなく、「関心」を持ちながら、その「関心」を満たすことができないというのは実に不健全な姿のように思えた。私は政治家でもなければ、政治学者でもなく、政治評論家でもなかった。しかし、大多数の有権者よりも少しだけ政治について考える機会に恵まれてきた。政治を「教える」ということはできなくても、共に「考える」ことができるのではないか?そう考えるようになった。

経済学の分野でこれをやっていたのが金融経済読書会(Financial Education & Design, FED)であった。彼らのような手法で、政治について学び、考え、議論し、発言する「場」を創ろうと決意するに至った。

私はthink Politics ! に様々な経歴を持っている人に参加してほしいと考えている。そして、特定の考え方に偏ることなくとにかく意見をぶつけられる、そんな「空間」にしたいと考えている。言論を重視し、個人の「良心」と「良識」に基づくものであるのならば、どんな意見が出てきても良いと思う。参加者に求めることはただひとつ、"think Politics ! "(政治について考えろ!)ということだけであるのだから。